第28話 夜空を見上げる
とっぷりと、日が暮れる。
テーブルの上のお料理はすっきり綺麗にヴィルヘルムのお腹の中におさまった。
ヴィルヘルムは満足したらしく、丸太ベッドに丸まっている。
お皿を片付ける私に「明日も肉にしよう。クラーケンよりも肉だ」としつこく言っていた。
クラーケンの足はまるっと一本近く残っているのに、あまりお気に召さなかったらしい。
確かにヴィルヘルムの言う通り、クラーケンの足はイカと同じく淡白で、甘みはあるけれど、物足りなさを感じる。
お醤油が足りないのだろう。
このところ、ユリウス様を見るたびに思い浮かべてしまうマグロ丼も、やっぱりお醤油がないと味気ない気がする。
ルーベンス先生も、キャンプの時は簡易式調味料セットを持参していたものね。
ルーベンス先生がプロデュースした簡易式調味料セットは、かなり人気の商品だ。
もちろん私の寮の部屋にも一度も使っていない新品が飾られている。
お醤油とか、塩胡椒ぐらいは持って来たかったわね。
事前に流刑にすると知らせてくれていたら、調味料の準備をしておいたのに。
残っている食材は、金色の卵が一つと、クラーケンの足。
鮮度が落ちないように、両方ともユリウス様が作ってくださった氷の保管庫にしまってある。
「ユリウス様は、とてもお強いですし、魔法も得意でいらっしゃるのですね」
私とユリウス様は、ユリウス様が作ってくださった二人用の丸太ベッドの上に並んで座っている。
大きな葉っぱがたくさん敷いてあって、ふかふかで寝心地が良さそう。
「肉体変化は、有り余る魔力のいわば副産物だ。暴走する魔力をおさえるために、肉体を鍛えた。それと、リコリスには秘密にしていたが、戦うことが好きなんだ」
私の質問に、ユリウス様は秘密を共有するように、小さな声で言った。
風に、少し長めの髪がさらりと靡く。空を眺めていた輝く星と同じような金色の瞳が私を振り向く。
ぱちりと目が合うと、愛しげに、少し恥ずかしそうに、ユリウス様の瞳が細められた。
私は胸をおさえる。ただ傍にいたり、話をしているだけなのに、どうしようもなくときめいてしまう。
気恥ずかしさを誤魔化すように、私は熱心に星空を眺めた。
ソロキャンと一人でするもの。
けれどーー今は、ユリウス様とヴィルヘルムと、三人。
これはもう、ファミリーキャンプだろう。キャンプとは自由。そこに余計な縛りは必要ない。
私は少し頭が硬かったのかもしれない。
便利な魔法や道具は使って良いし、ユリウス様に頼ってしまっても良いのだろう。
楽しければなんでも良い。それが、キャンプだとーー私は黒い空に輝く両手で抱えたらこぼれ落ちてしまうぐらいにたくさんの星を眺めながら思う。
「戦っているユリウス様は、とても素敵です」
「ありがとう。だが、女性とは血生臭く戦う男を恐れるものだろう。リコリスには、俺のことを、百合と薔薇の花が似合う、詩的な男だと思っていて欲しかったんだ」
「ユリウス様は、戦いと詩作を好む、雄々しいロマンチストの男性です。私は今のユリウス様の方がずっと、素敵だと思います。だから、隠さないでください。私がキャンプアイドルであり、魔法少女であるように、ユリウス様もお強いスーパーヒーローでありながら、詩作がご趣味。隠す必要はありません」
「リコリスは、あるがままを受け入れてくれる。ずっと昔から、そうだったな」
ユリウス様は私の頬をそっと撫でた。
頬に落ちた黒い髪を、耳にかけてくれる。
熱を孕んだ瞳に見つめられて、視線を逸らすことができない。
焚き火の炎と星々だけが、あたりを照らしている。
上気した頬や潤んだ瞳に、気づかないで欲しい。
だって、あまりにも恥ずかしい。
「もう一つ、隠していることがある。……リコリスにも、皆にも」
ユリウス様の表情が、切なげに歪んだ。
私の頬に添えられたユリウス様の手のひらに、私はそっと自分の手を重ねる。
「隠していること?」
「あぁ。君とはじめて会った日。俺が公爵家を訪れた日。ーーあれは、きっと俺に君が取られると、本能で感じたのだろうな。俺と話をする君の姿を見たアリアネが癇癪を起こして、その力を暴走させた」
「そうでしたかしら。そんなことがあれば、きっと覚えていると思うのですれど」
ユリウス様が初めてオリアニス公爵家を訪れた日。
なんとかご挨拶だけさせたお父様は、すぐに部屋に逃げてしまった。
使用人を雇うほどの余裕もなく、調度品や家具もほぼない公爵家でユリウス様を持て成すために、唯一無事だった中庭に、私はユリウス様を案内した。
中庭で栽培して乾燥させたハーブティーを入れて、ユリウス様と中庭のテラスでお話をしていると、アリアネちゃんがやってきて、私の膝にアリアネちゃんが座ったことまでは覚えている。
それからーーどうなったかしら。
思い出そうとしても、記憶が曖昧だ。
短い歓談は問題なく終わり、ユリウス様はお帰りになられた。
それだけは覚えているのだけれど。
「あの時ーーアリアネは、俺のことを指差して、悪魔だと言った。聖女の名の元に悪魔を払うとーー君はひどく狼狽えて、何度も俺に謝っていた。アリアネは聖女の力を使い、俺を消そうとした」
「ユリウス様、何をおっしゃっているのか分かりません。そんな記憶は、私には……」
「なんでもすぐに浄化できる聖女ビームをアリアネは放ったが、力を使うのは初めてだったのだろう。その力は暴走し、その場にいるものたちを全て焼き払ってしまいそうになった。と言っても、人払いをしていたので、その場にいたのは俺とリコリスとアリアネの三人だが」
ユリウス様は私の疑問には答えずに、懐かしそうに続けた。
「俺は形態変化を使い、リコリスを守った。人前で人ならぬ力を使ったのは、あれが初めてだった」
ふと、記憶の奥底によぎる光景がある。
私を抱きしめるように庇っている、まだ幼い少年だったユリウス様の姿だ。
覆いかぶさっているからだろう、赤い髪が、私の顔に落ちている。
ユリウス様の背中からは、骨を組み合わせたような大きな翼がはえている。その翼は、私をすっぽりと覆っていた。
遠く、アリアネちゃんが泣きじゃくっている声が聞こえる。
「異形の姿を見せれば、皆怯えるものだと思っていた。……だが、君は、俺を見上げて言った」
「ーーまるで、天使みたい」
ユリウス様の腕が私の背中に回る。
引き寄せられると、頬に軍用コートの硬い肌触りがした。
「思い出したのか?」
「断片的に、少しだけ。どうして、忘れていたのでしょうか。どうして、思い出せないのでしょう」
「聖女の力の暴走と、聖女が俺を悪魔だと謗ったこと、それから、俺の持つ力。王家として、この事実は隠す必要があった。だから、共に連れていた宮廷魔道士に命じて、記憶を惑わす幻術を施した。君もアリアネも、あの時のことは忘れてしまうように」
「そうですか……、仕方ないこととはいえ、少し、横暴な気がしますけれど」
「あぁ、そうだな。すまなかった。けれど俺は、君のことが忘れられなかった。ひと目見た時から君を好きだと思ったが、俺の力を恐れない君を、心の底から欲しいと思ったんだ」
「ユリウス様のお力のこと、今は皆知っていますでしょう? どうして隠す必要があったのですか?」
「それは……、人には不相応な魔力の量も、体を変化させる力も、生まれつき持っていたものではないからだ」
私を抱きしめる腕に、力がこもる。
それはまるで助けを求めているようにも感じられて、私はユリウス様を安心させたくて、その背中に手を回した。
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