第27話 お肉料理にイカそうめん



 ユリウス様は私を片腕に抱いて、ついでに波間に漂う極太のクラーケンの切り落とされた足をもう片方の手に抱えて、砂浜へと戻った。

 両手が塞がっているのにすいすい進むのは、足がヒレに変化しているからだろう。

 かきあげられた濡れた髪が、額に落ちている。

 太い首に、浮き出た鎖骨、たくましい肩と腕。

 私の胸は相変わらずどきどきと高鳴っていた。

 ずっと婚約者だったのに、今更ーーと思われてしまうかしら。

 ユリウス様は私に愛のポエムをたくさんくださったのに、私は何も返すことができていないもの。

 好きという言葉さえ、伝えていない。

 私にもせめて詩心があれば、ユリウス様に気持ちを込めたポエムのお返しをすることができるのに。


「無事か、二人とも。それは新しい食糧だな!」


 砂浜に戻ると、ヴィルヘルムがうきうきと弾んだ声で、私たちの周りをふよふよと飛びながら言った。


「クラーケンの足ですよ、親父殿。イカ刺しなどにして食うと美味い」


「イカ刺し?」


「はい、薄く切った生のクラーケンの刺身のことですね。俺はリコリスを運びますので、親父殿はクラーケンの足を持ってきてくれますか?」


 ユリウス様はクラーケンの足を一旦波打ち際に置いて、私を拠点まで抱き上げて運んでくださった。

 多少の脱力感は感じるけれど、怪我もしていないし歩くことはできる。

 けれど私はユリウス様に甘えることにした。

 ヴィルヘルムは幼体から、青年体の大きさに姿を変えると(一番大きいヴィルヘルムは、老年体と呼ぼうと思う。おじいちゃんなので)クラーケンの足を口に咥えて戻ってきた。

 そのままもぐもぐごっくんしそうな勢いだけれど、ヴィルヘルムは咥えていたクラーケンの足を、食材置き場にペッと吐き出した。べちゃり、とイカ足が地面に落ちる。

 ユリウス様は私を大きくて柔らかい木の葉がたくさん敷き詰められている、ヴィルヘルムの寝床を作るついでに作ってくださったらしい新しい寝床に座らせた。


「怪我などはないか、リコリス」


「大丈夫です。この通り、とっても元気です」


 ユリウス様が心配するので、私は立ち上がると両手を握りしめて言った。

 何故か勢いよく視線を逸らされてしまい、首を傾げる。


「どうしました?」


「いや、その、服を元に戻してくれないだろうか。その前に、水魔法で体を清めた方が良いか、塩で体がべとつくだろう」


「水着です、ユリウス様。その、あの、私の水着は戦衣なので別に良いとは思いますけれど、ユリウス様もお洋服を着た方が良いと思います、ええと、ここは、お互いに着替えるということで」


「そ、そうだな、ひとまず水浴びをして、着替えよう。お互いに」


 私のことはさておき、ユリウス様は上半身が剥き出しだ。

 胸板や腹筋に水が滴るのをなんとなく見ていられなくて、私は視線を彷徨わせる。

 幼体の大きさに戻って、ベッドの上で丸まっているヴィルヘルムと、目があった。

 そういえば文句を言うんだったっけ。


「ヴィルヘルム、水中での戦い、途中で息が苦しくなりましたけれど」


「当然だろう。俺は水中生物ではない。青竜とは違うのだからな」


「つまりヴィルヘルムが水の中が得意じゃないから、ヴィルヘルムの乙女の私も水中戦が苦手だということですか」


「俺は濡れるのは嫌いだ」


「我儘ですか。先に聞いておかなかった私も悪いといえば悪いですけれど」


 私は小さくため息をついた。

 しっかり焦げ目がついてきた串焼き肉の香ばしい香りと、大自然の前に、なんだかもう良いや、という気持ちになって、それ以上文句を言うのをやめた。

 元々私はあまり腹立たしさが続かないタイプなのである。

 ユリウス様に手を引かれて、拠点から少し離れる。

 砂浜の上に並んで立つと、ユリウス様が指を軽く弾いた。

 途端に晴れ渡った空から、スコールのような水がざあざあと降り注いでくる。

 水は熱いというほどではないけれど、冷たくはなく、あたたかい。

 塩水でベタつく体が洗い流されていき、降り注ぐ水が虹を作った。

 ユリウス様は水に濡れた赤い髪をかきあげる。上を見上げたユリウス様の精悍な顔に、体に水滴がしたたり落ちていく。

 ぼんやりとその姿を見ている私に気付いたように視線を合わせると、眩しそうにふと目を細めた。

 優しく微笑んで、私の両手をそっと握る。

 世界から切り離されたような雨の檻の中で、二人きりでいるみたいだ。

 一人きりのキャンプも素晴らしかったけれど、ユリウス様と一緒の今も、こんなに楽しい。

 美しかった世界が、もっと輝いて見えるような気がした。


「……リコリス、先程は、……すまなかった」


 水魔法の雨が止むと、優しい風が体を包み込む。

 濡れた体や髪を風が撫でる。風魔法なのだろうけれど、詠唱もなく、魔法を使ったような気配さえなかった。

 ユリウス様の魔力は、やはりかなり特殊なのだろう。

 詠唱をせずに、まるで手足を動かすのと同じように魔力を使える方なんて、私はユリウス様の他には誰も知らない。 

 暖かい風に包まれながら、ユリウス様が私と両手を繋いで俯いている。

 ざらりとして固い指の腹が、私の手の甲を慈しむようにそっと撫でた。

 それだけで、剥き出しの神経に直接触れらているように、触れられた場所にだけ意識が集中してしまう。


「どうして謝るのです?」


「他に方法がなかったとはいえ、俺は君の唇に触れただろう。断りもなく、口付けてしまった。もっと大切にしたかったのに」


「え、あ、あ、あの、良いのです、ユリウス様は婚約者ですので、好きな時に好きなようにしてくださって良いのですよ」


「……君は、優しい。あまり俺を甘やかすのはいけない」


「甘やかしているわけではなくて、本心からそう思っています。でも、できればもう一度、……やり直して欲しい、です」


 何を言っているのかしら、私。

 顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていくのがわかる。

 私と同じぐらい、ユリウス様の顔も赤い。

 二人で見つめ合いながら真っ赤になっていると、「肉が焦げるぞ、リコリス!」というおじいちゃんの声が響いた。


 ヴィルヘルムの言う通り、お肉は確かに焦げそうになっていた。

 私は慌てて水着から元の衣装に着替えると、かまどの上の巨大ステーキをひっくり返す。

 ユリウス様も薪の周りの串焼き肉を、くるりと反転させてくれている。

 身支度を整えた私たちは、黙々とお肉を焼いて、ついでにクラーケンを薄くスライスして、イカそうめんにした。

 クラーケンは大きすぎて、薄く切らないとゴムみたいな食感で、美味しくない。

 炎を調節しながらお肉が焼ける頃には、すっかり日が傾き始めていた。

 夕暮れの光が、海辺を燃えるような橙色に染めている。

 軍服に戻ったユリウス様は、ヴィルヘルムのベッドの横に、今度は私たち用の丸太ベッドを作っていた。


「そろそろご飯にしましょうか、ユリウス様、ヴィルヘルム」


「肉が焼けたのか、リコリス」


「焼けましたよ。今日は干し鬼マタンゴスープと、四つ首ダチョウのスペシャルステーキと、串焼き、それから、クラーケンのイカそうめんです」


 家具職人ユリウス様によって、お料理を並べる食器が十分に準備されている。

 私は中央に置いた四つ首ダチョウの輪切り肉ステーキを切り分けて、ヴィルヘルムとユリウス様の前にあるお皿の上に置いた。

 ユリウス様はせっかく体を清めたのに、再び木を削っていたからだろう、木屑に塗れた体を軽く払うと、テーブルの前の椅子に座った。

 ヴィルヘルムは今日一番生き生きとした顔で、目の前のお肉を見つめている。


「リコリス、クラーケンがまだたくさん残っているが、あれは食わないのか」


「そんなに食べられないでしょう、おじいちゃん。お肉、いっぱいあるんですよ。クラーケンはお刺身が少しあれば十分だと思いますけれど。そもそもそんなに大量に食べるものではないのですよ、いうなれば、巨大なただのイカですし」


「あれを運んだときに噛み付いたが、ぐにぐにして固く、旨くはなかったぞ。火を通せば旨いのではないか」


「なんでも火を通せば美味しいと言うわけではありませんよ。クラーケンの場合は、ただ単純に火を通しただけでは固くなる一方なのです。とても噛みきれない程に硬くなるので、適当な大きさに切り分けないといけません。イカ焼きはお祭りなどでよく売っていましたけれど」


「クラーケン焼きも、クラーケンの名産地などに行くと祭りの露店で買える。どちらかといえば高級食材なのだろうが、クラーケン焼きは庶民的な食べ物だな」


 ユリウス様が、木製のコップに水魔法でお水をそそいで、私たちに分けてくれる。

 初日よりもかなり食卓らしくなったわね。

 これなら、女子力ソロキャンと言っても差し支えはないかもしれない。

 四つ足ダチョウの串焼きは、獣臭さはまるでなく、焼き鳥の味がした。

 噛み締めるたびに肉汁が口に溢れて、ほろほろと口の中でとろけていく。じっくり焼いたから、かなり柔らかく焼き上がったみたいだ。

 ステーキの方が、噛みごたえがある。

 どちらもいますぐ走り出したくなるような、力強いお肉の味がした。

 クラーケンのイカそうめんは、海水の塩味が付いている。

 それがクラーケンと言われなければ判別がつかないぐらい、まさしくイカそのものである。

 贅沢は言えないけれど、お醤油が欲しい気がした。

 夕飯の量が多すぎて、私は全て食べることができなかった。

 ユリウス様はたくさん召し上がってくれたけれど、残った分はヴィルヘルムに食べてもらうことにした。

 私たちが「そろそろ休みますよ」と言っても、ヴィルヘルムはそれはもう幸せそうに、もぐもぐお肉料理を食べ続けていた。


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