第23話 焚き火と恋



 じりじりと、お肉が焼ける音がする。

 輪切り肉にしたときにはたんぱくそうだった、引き締まった肉質の四つ首ダチョウのお肉だけれど、串に刺してカマドに固定して、下から炎で炙っていると、皮からもお肉からも油が滴り落ちて、炎を大きく膨らませた。

 鬼マタンゴキノコスープは火が通ったので、テーブルの上にひとまず移動させている。

 お鍋に蓋がしたいと思ったら、神竜の剣は私の気持ちを察してくれたのか、勝手に蓋が現れた。

 徐々に神竜の剣の力を扱えてきている私。

 そのうちミキサーや自動泡立て器などに変化してくれるようになるかもしれない。


「ミキサーや自動泡立て器は、キャンプでは使用しませんけど」


 私はカマドの火力を確認しながら、小さな声で呟いた。

 お肉は炎から離して焼いているので、しばらくそっとしておいても焦げたりはしないだろう。

 できることならお塩をふりたい。

 エリアルさん特性バーベキューソースの味を思い出してしまったわね。

 エリアル・バーベキューとして商標登録を真剣に考えるほどに、エリアルさんのバーベキューソースは美味しいのよね。

 元気かしら、エリアルさん。

 たまたま入った私の部屋でラキュラスの涙をみつけてしまったエリアルさん、王家と私のいざこざに巻き込まれてしまったのよね。私と親しかったばかりに、申し訳ないわね。


「リコリス、何か手伝うことはないか?」


 ヴィルヘルム用丸太ベッドを作り終えたユリウス様が、私の隣にきて言った。

 小さな丸太ベッドの上にパニエを敷き詰めて、ヴィルヘルムは丸まってすぴすぴ眠っている。

 創世の時代から生きているおじいちゃんはよく寝るわね。一応は、満腹になったのかもしれない。

 多分きっと、夕食の時間には目覚めて、「リコリス、飯はどうした」とうるさく言うのだろう。

 それはそれで懐かしいわね。


「大丈夫か、少し休憩してはどうだろうか」


「いえ、疲れたわけではなくて、少し昔を懐かしんでいました」


「昔を?」


 私は輪切り肉よりもさらに細かく切ったお肉を串に連ねるように刺したものを、焚き火の周りの砂地に刺して固定しながら返事をした。

 大きな葉の上に並べている肉の串を、ユリウス様も一緒に焚き火の周囲に刺してくれる。

 どれほど食べるのかというぐらいに、お肉の串が多量にある。

 私は食べきれないけれど、ヴィルヘルムがきっと食べてくれるだろう。


「昔というのは、リコリスが幼い頃の話か」


「はい。お父様の浪費によって、我が家が赤貧だった時代。家具と調度品を、高利貸し業者に全て持っていかれて、何はなくても大きな家だけはあった時代」


「リコリス……」


 お肉がじわじわと焼けてくると、香ばしく良い香りがする。

 中まで火が通って問題なく食べられるようになるまで、数時間はかかるかしら。

 夕方には程よく焼けた柔らかいお肉が出来上がるだろう。

 ユリウス様はお肉の串を砂地に刺しながら、片方の手で目頭を押さえる。


「俺がもっと早く公爵家を訪れていれば、リコリスに不自由な思いはさせなかったのに」


「いえ、辛かったというわけではないので大丈夫です」


「君とはじめてあった時のことを思い出す。オリアニス公爵は酒臭く、アリアネは幼く、二人とも王家からの使いになど会いたくないと言って大騒ぎしていた。その中で君は、逃げようとする二人の腕を掴んで、にこやかに微笑んでいたな」


「そうでしたかしら」


「まるで使用人のような服を着て、手は擦り切れて、髪は無造作に縛っただけの君は、俺よりも一つ年下とは思えないぐらいに、そうだなーー地に足がついている、という印象だった」


「あの頃は、お腹が空いたとしくしく泣くアリアネちゃんのために、ひたすらうどんを作り続けていました。小麦粉を袋に入れて足で踏んでこねていたものですから、きっと腰が鍛えられたのでしょう。大地を踏みしめる力は、言うなればうどんパワーです」


「どんな状況にあってもまるで悲壮感のない君に、俺は恋をした。一目惚れだった」


「ユリウス様……」


 まだ幼かったのに、疲れた文官のような風情だった私に恋をしてくださるなんて、ユリウス様の女性の趣味は変わっていらっしゃる。

 もしや年上が好きなのかしら。私の方が年下だけれど、隣の疲れた必殺仕事人のお姉さん感が出ていたのかしら。


「ユリウス様は本当は年上の女性が好みなのでは?」


 気になったから聞いてみましょう。

 どう足掻いても私は年上女性にはなれない。今はただの、しがないキャンプアイドルリコリスである。


「年上だろうが、年下だろうが関係がない。俺は、リコリスが好きだ。君に一目惚れしてから、俺は君に夢中。俺の瞳は君しか映さず、美しい青い空も宝石を散りばめたような星空も、君が俺の隣にいてくれるから美しいと感じる事ができる。君は俺のディーヴァ。俺を惑わすファムファタル。甘く蜜を滴らせる黄金の林檎よりも、創世の男女を惑わした禁断の果実よりも甘い、美しき花。俺のリコリス」


 ユリウス様は、片手に生肉の串を持って、片手を胸に当てながら、素敵なポーズをとると歌うように言った。

 ユリウス様の周囲に薔薇の花びらが散っている幻が見える。

 煌めきすぎて眩しい。

 流石は王太子殿下。私にはない詩心を持っていらっしゃる。

 私などは常日頃ルーベンス先生とキャンプについてしか考えてこなかったので、感心するばかりだ。


「いつも素敵な言葉をくださってありがとうございます、ユリウス様」


「リコリスは、俺をけして笑わないな。このような言葉を書き連ねていると、似合わないと言って笑うものの方が多い。君は、いつでも俺を優しく受け入れてくれる」


「どうして笑う必要があるのです?」


「君のそういうところが、俺は好きだ。このようなことになってしまったのに、君は俺を恨むことも怒ることもない。いつでも前を見ている君が、俺にはとても眩しい」


「私はユリウス様にそのように言っていただけるほど優れた人間ではありません。でも、ありがとうございます。さぁ、お肉はこれで十分ですね。後のお肉は海水につけて乾かして、保存食にしましょう」


「海水に漬けるのだな。それでは残った肉を海まで運ぼう。ついでに体の汚れを落とそうと思う。あまり汚れたまま君の隣にいるのは、気がひけるからな」


「私は気にしませんけれど」


「俺が気にする。君と過ごす初めての夜に、服が木屑と砂まみれというのは、少しな」


 ユリウス様は私と違って魔法少女ではないので、服を自動洗浄する能力はない。

 私は再びユリウス様が、全裸で局部に葉っぱを一枚つけた姿を想像した。

 ぶんぶんと頭を振って、その葉っぱをズボンに変えた後、素肌にエプロンを装着していただいた。

 どうしよう、似合うわね。

 いえ、見たことはないのだけれど、多分似合う。

 残っている四つ首ダチョウの片足と、足先を抱えて海に向かうユリウス様の背中を見つめながら、私はなんとなく落ち着かない気持ちになった。


「……遅く来た思春期」


 眠っていたとばかり思っていたヴィルヘルムが、顔を上げて言った。


「ヴィルヘルム、起きていたのですか。それは一体どういう意味です」


「お前と俺は契約を交わし、心と体が繋がった状態だ。お前の感情が昂ると、俺にも伝わってくる」


「私の気持ちとヴィルヘルムの気持ちが連動しているということですか?」


「正確には違うが、わかりやすく言えばそうだ」


「つまり、私とヴィルヘルムは、ユリウス様をめぐる恋のライバルということに……」


「どうする、リコリス。高位種族の俺に勝てると思うのか?」


「美味しい料理を作ってヴィルヘルムを懐柔しましょう。ユリウス様は私の婚約者ですので」


 冗談を言ってるのは分かっているのだけれど、得意げに勝ち誇ったように、ユリウス様を奪う宣言をしてくるヴィルヘルムに、ちょっとイラッとした。

 私は胸を押さえて首を傾げた。

 胸の奥にちくりと刺さる棘のような、奇妙な痛みがある。

 なんだろう、これ。

 くつくつと低い声で笑っているヴィルヘルムに「おじいちゃん、夕ご飯のお肉をあげませんよ」と言うと、ヴィルヘルムは素直に「それは困る。からかって悪かった」と謝ってくれた。


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