第24話 海と言えばクラーケン
ユリウス様は、一度砂浜に巨大手羽先をどさりとおくと、バサリと軍服を脱いだ。
軍服の下には白いシャツを着ている。
白いシャツも脱ぎ捨てたユリウス様の見事な背筋が、青空の下で輝いている。
ルーベンス先生ほどではないけれど、ユリウス様はとても逞しい。
風に靡く赤い髪が、数多の獣たちを従える、百獣の王のようだ。
私もお手伝いしようと、ヴィルヘルムを拠点に残してユリウス様の方へと歩いていく。
さくさくと靴の裏に感じる砂の感触や塩の香りに、目を細めた。
ユリウス様は近づいていく私に軽く手を振ると、剥き出しの肩に手羽先を背負ってざばざばと海に入っていく。
寄せては返す白い波は穏やかで、体を半分以上海の中に沈めながら生肉を海水に漬けるユリウス様の姿は、今まで私が見てきたどのユリウス様よりも素敵に見えた。
「どうしよう、これが夏の魔力なのかしら」
私は白い砂が海水をたっぷり含んで暗い色をした砂浜に立って、頬を両手で押さえた。
夏、海、恋。
本屋さんに並んでいた雑誌に書いてあった単語が、ぐるぐると頭を回る。
今の季節は夏ではない。春の始まりといったところ。
夏ではないのだけれどーー
「虹色アサリが取れるのではないかしら」
ふと足元を見ると、小さな穴が濡れた砂浜にぷつぷつと空いている。
虹色アサリか砂浜ガニがいそう。
春といえば大アサリの季節だ。キャンプ二日目にして、恋にうつつを抜かしている場合じゃない。
そういえばキャンプドキュメンタリーで、無人島に置き去りにされた初対面の男女が、サバイバルキャンプを行いながら恋と絆を深めるという番組があった気がする。
つまり、私の気持ちは春だけど夏の魔力というよりは、サバイバルラブ、といったところかしら。
私は片方を鍋に、片方をサバイバルナイフに戻した神竜の剣で、砂浜にしゃがみ込むと砂浜の穴をつんつんと突いた。
ユリウス様の手伝いに来たけれど、今のユリウス様は私には少々刺激が強すぎる。
なんせ上半身裸体なので。
「ん?」
穏やかだった波が、不意に大きく引いたかと思うと、私の身長よりも大きな波の塊となって押し寄せてくる。
何事かと思って立ち上がり目を見開いた私が見たものは、私の体と同じぐらいの吸盤を持った、軟体動物の長く太い濃い灰色の足だった。
「リコリス、逃げろ!」
太くウネウネとうねる足が、ユリウス様をがっちりと拘束している。
うじゅるうじゅると蠢く足の奥にあるのは、二つの感情がわからないぎょろりとした瞳と、ぬめぬめした三角形の体。
私などひと飲みにできそうな巨体の、イカを単純に巨大化させたような姿。
「クラーケン!」
もしかして、四つ首ダチョウの生肉の匂いにつられてやってきたのかしら。
はじめましてのその魔物は、王都近郊の海ではまず見かけない、船をも沈めると漁師の皆様に恐られている巨大海洋魔物である。
クラーケンはぬめっとした足で、四つ首ダチョウの足を絡め取っている。
その足が海に沈んだと思ったら、四つ首ダチョウの足がすっかり無くなっていた。
三角形の体がぐにぐにと動く。もぐもぐしているわね。多分食べたのね。
「ユリウス様、クラーケンですよ、ユリウス様!」
「あぁ、分かっている。ここは俺に任せて、君は親父殿の元へ!」
ユリウス様の肉体美に、クラーケンの足が纏わりついている光景を、私は唖然と見上げた。
この光景。どこかで見たことがあるわね。
私の脳内で、楽しげな音楽と共に『キャンプ飯はじめました。〜美味しい魔物料理のすすめ〜』がはじまる。
『みなさんこんにちは! 週末、仕事疲れを美味しいキャンプ飯で癒しましょう! 疲れた心と体を癒す、皆のメスティン・ユマと、キャンプ業界の神、ルーベンス先生がお送りする、キャンプ飯はじめましたの時間です〜!』
メスティン・ユマお姉さんは、いつもどんな時でもキャンプスタイルである。
全身キャンプブランドに身を固めて、防寒対策はばっちり。体のラインも全て隠す。素肌をほぼ出さないアイドルとして、男性たちの人気を集めている。
夏になると半袖になるので、それが唯一の露出だ。健康的な小麦色の肌に男性たちは釘付けである。
『今日の食材はなんですか、ルーベンス先生?』
『今日は、海の王者、クラーケンだ』
ざばん、ざばんとうちつける高波を背景に、ルーベンス先生が海の岩場で仁王立ちしている。
今日はいつもの裸エプロンではない。
気合いの入った褌姿だ。
褌というのは、下着の一種で、布を下着がわりに巻いたものである。
女性の水着よりもよほど露出度が高く、ルーベンス先生の引き締まった臀部や腹筋を見ることができる海辺の褌スタイルは、ルーベンス先生ファンの間ではもはや伝説である。
ルーベンス先生を崇める男性たちの間では、褌が流行っているとか、いないとか。
『クラーケンは肉食だ。捕獲するときは、クラーケンの出現するポイントに向かって、生肉を投げろ』
『それだけでクラーケンが出てくるのですか、先生?』
『後は運が良ければ、現れる。俺の幸運スキルはレジェンド級なので、生肉を投げるだけでクラーケンが大抵やってくるが、皆の場合はクラーケンが現れるまで何度でも挑戦してくれ』
ルーベンス先生は、両手に大きな生肉を抱えて、海に投げ込んだ。
程なくして、海から巨大な足がにょきりと現れる。
ルーベンス先生は迷いなく海に飛び込んだ。
クラーケンにダイビング延髄ニードロップを決めた後、太い足に纏わりつかれながらも、その足を逆に掴んで水上ジャイアントスイングを行い、クラーケンを陸上に放り投げるルーベンス先生の勇姿。
ルーベンス先生、凄い。愛してる。
『クラーケンは肉厚で大味だが、一匹捕獲すれば飢餓に喘ぐ村を丸ごと救えるほど栄養価が高く、調理方法によっては非常に旨い。だがかなり危険な相手なので、捕獲する場合は、魔物捕獲調理業界から、クラーケン捕獲師の資格を取ってからにするように。ルーベンス先生との約束だぞ!』
海の中から飛び上がって、陸に打ち上げられたクラーケンに向かい、ヴィクトリーフィニッシュ踵おとしを決めた後、ルーベンス先生がサムズアップしながら言った。
「先生、可愛い……!」
思わず脳内のルーベンス先生にきゃあきゃあしてしまった。
きゃあきゃあしている場合じゃなかった。
ユリウス様を助けなければ。
いくらユリウス様とはいえ、海の中でクラーケンと戦うのは分が悪いのではないかしら。
「俺は大丈夫だから、逃げろ、リコリス!」
ユリウス様は体をぎりぎりと締め上げてくる巨大な足を掴みながら、大きな声で言った。
私は、自分の服装を見下ろす。
神竜の力は万能のようだから、きっと水中戦も可能なのではないかしら。
「水中戦用の服装にフォームチェンジしろ、リコリス!」
ヴィルヘルムが私の隣にふよふよと飛んできて言った。
とうとうフォームチェンジとか言ってきたわね。ヴィルヘルム、何も知らないふりをしているだけで、本当は魔法少女について知っているのではないかしら。
「神竜の力よ、目覚めよ!」
私は胸に手を当てて、水中戦用の衣装を思い浮かべた。
私の体は光に包まれて、一瞬のうちに面積の少ない真っ白なフリル多めの水着姿に変わっていた。
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