第15話 「ヴィルヘルム! 空から王子様が……!」



 透き通った水に体を浮かべて空を見上げていると、空と湖の境目が分からなくなってくる。

 真っ直ぐな黒い髪が湖面に広がって、私の菫色の瞳には空が映しこまれて、今は水色になっているかもしれない。

 青空に白い鳥が飛んでいる。

 あれはきっと渡り合鴨。

 渡り合鴨のロースト。焼き鳥。からあげ。鴨うどん。

 今晩のご飯はお肉にしたい。キャンプと言えばお肉。焚火で焼くお肉が定番中の定番だ。


「そういえばヴィルヘルム、昨日の夜はありがとうございました。ヴィルヘルムの体がふかふかだったためか、良く眠れました」


 湖にぷかぷか浮かびながら、私はヴィルヘルムに話しかける。

 ヴィルヘルムは近くの岩場に寝ころびながら、私の方をちらりと見る。


「あれは幼体と成体の中間の姿だ。砂浜で丸くなっているお前があまりにも哀れだったのでな」


「ヴィルヘルムに哀れだと思われないように、今日はきちんとテントを作りたいですね。自然そのままの素材を使って行うサバイバルキャンプも良いものですが、女子力高めに飾りをつけて非日常のオシャレ空間を楽しむ女子力ソロキャンもまた良いものです」


「じょしりょくソロキャンか、強そうだな……」


「ええ。女子力とはパワーです」


「そうか、力か」


 せめてヴィルヘルムに哀れまれない程度のソロキャンを目指すべきよね。

 今日はテントを作って、ついでにタープなどを張りたい。

 最終的にはログハウスかしら。

 ログハウスを拠点として、各地でソロキャンを行いながら、リコリス帝国を興すために開拓をしていかなければいけないわね。


「今日も一日はりきっていきましょう。ソロキャンアイドルリコリスの朝は早いのです」


 私はもう一度空を眺める。

 白い鳥の姿は見えない。

 その代わりに、黒い鳥が空を飛んでいる。

 黒い鳥の姿が徐々に大きくなってくる。どんどんこちらに近づいてきているようだ。


「ヴィルヘルム、大変です! 空から大きな黒い鳥みたいな人間が……!」


「何を言っているんだ、リコリス」


 鳥かと思ったけれど、翼のある中心に見えるのは、私と同じ形をした人間である。

 その人影は軍用コートをはためかせながら、近くの岩場にあっという間に着陸をした。

 背が高く体格の良い男性だ。

 軍用コートに身を包み、背中の黒い羽は可動式一人用飛行装置。

 まさに機械技術と魔道技術の叡智の結晶である。

 着陸した途端に、肩にリュックのように背負って、胸と腰に固定ベルトのある可動式一人用飛行装置の黒い羽が折り畳まれる。

 眼を隠していた黒いゴーグルを持ち上げると、金色の少し目つきの悪い瞳が露わになる。

 艶々の赤い髪と、黒い軍用コートが風に靡いている。

 その男性は徐に立ち上がり、私を真っ直ぐに見据えた。


「リコリス、助けに来たぞ!」


「まぁ、ユリウス様」


 私は湖にぷかぷか浮かびながら答えた。

 空から降ってきたのは王子様だった。

 私の婚約者である、ユリウス・ヴァイセンベルク王太子殿下である。

 ユリウス様は私の姿を確認した後、慌てたように両目を手で覆って、しゃがみ込んで、大きな体を小さくした。


「り、リコリス、すまない、水浴びの最中を狙ったわけではないんだ、偶然なんだ……!」


「ユリウス様、落ち着いてください。ここは新生リコリス帝国予定地。私の帝国で私が全裸になるのは私の自由なのですから」


「リコリス、良く分からないがこの男が可哀想だろう、早く服を着ろ」


 狼狽しているユリウス様を安心させるべく声をかけた私を、ヴィルヘルムが呆れたように咎めた。

 水浴び、気持ち良かったのでもう少し泳いでいたいのだけれど。

 ユリウス様は森の方を向いて、何故か正座をしている。

 背中にある可動式一人用飛行装置を外す姿が奥ゆかしい。


「お前の知り合いか、リコリス」


「ええ。この方は、次期国王であらせられるユリウス・ヴァイセンベルク王太子殿下です。以前は私の婚約者でした」


「何故過去形なんだ! リコリス、俺を過去の男にしないでくれ……!」


「いえ、あの、私は罪人ですので、もうユリウス様の婚約者ではないかと思いまして。ユリウス様の婚約者ではなくなりましたが、皆のソロキャンアイドルかつ、新生リコリス帝国初代女帝ですので、ご安心を」


「俺は俺の婚約者のリコリスが良いんだ……! それに誰なんだ、この男は! リコリスと随分親しくしやがって、誰の許可があってリコリスとの会話を楽しんでいるんだ、擦りおろすぞ」


 ユリウス様が森の方を向いて正座をしたまま慌てたり怒ったりしている。

 背中しか見えないのに、その表情は手に取るように分かる。

 ユリウス様は普段は王子様として気合を入れて振舞っているのだけれど、感情的になると口が悪くなる。数日会わなかっただけなのに、懐かしいわね。


「ユリウス様、落ち着いてください。男性ではありません、ヴィルヘルムは神竜です。ちょっとお腹がすいているだけの神竜です。私とヴィルヘルムがどうして仲良しになったかといえば、そうですね、見て頂いたほうが早いかもしれません」


 説明が面倒になった私は、湖の中から岩場の上に上がった。

 岩の上で水滴を滴らせながら、風をあびるのが気持ち良いわね。

 仁王立ちのし甲斐があるというものだ。

 大自然の前に、羞恥心など無用な物。神話の男女が蛇に諭されて林檎を食べるまで、全裸であることに羞恥心を感じなかった気持ちも頷ける。


「ユリウス様、ちょっとこちらを向いてください」


「それは、その、できない……!」


「いいから、いいから。今から私は魔法少女に変身しますので、見ていてください」


「魔法少女とは……?」


 ユリウス様は流石に気になったのか、ちらりと私の方を見た。

 私は胸に手を当てる。


「白竜の乙女の力よ、目覚めよ!」


 変身のための言葉と共に、私の体は白く光り輝くリボンに包まれる。

 一瞬のうちに、愛らしいメイド服風戦闘服に着替えた私は、びしっとユリウス様に向けてポーズをとってみせた。

 これも魔法少女としての定番だからだ。

 様式美はクリアしていかないといけないという使命感を感じる。


「キャンプを愛しキャンプに愛されし、ソロキャンアイドル、リコリス!」


「リコリス、魔法少女でもなければアイドルでもない。白竜の乙女だ」


 ヴィルヘルムはやはりこの件については厳しい。

 きちんと指摘してくるので、私は聞こえなかったふりをした。


「リコリス……、なんて愛らしい姿だ……、たった一日会えなかっただけなのに、俺のリコリスはアイドルになってしまったんだな。君を救えなかった俺のせいで、リコリスがこんなに愛らしい姿に……!」


 ユリウス様がふるふる震えながら、目尻に涙を浮かべて私に手を伸ばしてくる。

 私が神竜の乙女になったことに、そんなに感動したのかしら。

 私は知らなかったけれど、ユリウス様は王家の方だ。

 神竜についても勿論ご存じなのだろう。

 ユリウス様の手が私に伸びて、ひしっと抱きしめられる。

 ユリウス様は筋肉質で大きいので、力が強い。

 けれど今の私は変身しているので、ユリウス様のがっつりした抱擁もそんなに痛くなかった。


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