第16話 ユリウス様、狩人になる
それにしても、神竜の乙女の衣装に変身した途端に、びしょびしょだった私の体はすっかり乾いている。
髪も綺麗に整えられていて、お手入れ要らず。
私はユリウス様にぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、衣装チェンジの便利さについて感心していた。
今のところ何も考えずに変身しているからこの衣装というだけで、服装も多分好きなように変えられるのだろう。
どんな服でも防御力が高いというのは有り難いわよね。
「おい。リコリス、朝食はどうした」
ヴィルヘルムの声に、私ははっとして顔を上げた。
そういえばヴィルヘルムは朝食をずっと待っていたんだったわね。
こんなところでユリウス様に抱きしめられている場合じゃなかった。私には朝食を作るという使命がある。
「ユリウス様、離してください。私は朝食の支度をしなければいけません。まずは食材を探さなくては」
「あの子犬のような何かにこき使われているのか、リコリス。まさか何か酷いことをされたのか? 俺がいない間に、十八歳以下の青少年が目にしてはいけないようなことを……!」
「何のことかは分かりかねますが、ヴィルヘルムと私は契約を交わしました。おかげで私の胸からはサバイバルナイフが飛び出すようになり、可愛くて防御力が高い服に着替えることによって、身体能力も飛躍的に向上しました」
「胸からサバイバルナイフが!? おい、お前、リコリスになんてことをするんだ……!」
「お前は王子。そして人間だな。人間ということはお前も料理が作れるのだろう。朝食の時間だ」
ヴィルヘルムはユリウス様とまともに会話をする気がないらしい。
というか、朝食のことにしか興味がないのだろう。
岩の上でつまらなそうに丸まっているヴィルヘルムから私を庇うようにしながら、ユリウス様は口を開く。
「リコリス、俺が来たからにはもう安心だ。お前のことは俺が守る。共に王都に帰ろう」
「え……?」
「ん?」
思わず不満気な声が漏れてしまった。
王都に帰るの?
まだソロキャン生活二日目なのに。鬼マタンゴしか食べていないのに。
大自然の中で全裸で仁王立ちするという夢は叶ってしまったけれど、キャンプはまだまだこれからだというのに。
リコリス帝国開拓使はまだ1ページも進んでいない。ほんの数行程度である。
不思議そうに首を傾げるユリウス様に、私は強い心で持って反論することにした。
「ユリウス様、私は罪人です。私のことなど捨て置いてください」
「何故そのようなことを言うのだ、リコリス。君を守ることができなかった俺を恨んでいるのか? それは、そうだな、……卒業式の式典に出席している間に、君が流刑にされていたなど、婚約者としてあまりにも間抜けすぎる」
「いえ、そういうわけではなく」
「すまなかった、リコリス。気づいた時には君はどこにもいなかった。何があったのかを父や宰相から聞き出し、君を見つけるまでに一晩かかってしまった。さぞ心細かっただろうと思う。辛かったな、リコリス。俺を恨んで良い。君の美しい足で、俺を踏んでくれても構わない」
ユリウス様が私の足元に跪いて項垂れて、何やら長々と謝罪をしはじめる。
可哀想だから踏んだりしないし、私は別にそれほど怒っていない。
キャンプの前に怒りや恨みつらみなどは無意味な事柄なのである。
「ユリウス様は、私の罪についてはご存じではなかったのです?」
「いっさい知らされていなかった。婚約者が隣国と通じていたと知れば俺が傷つくだろう、もしかしたら私情に飲まれて君を守ろうとするかもしれないという配慮から、知らせなかったらしい。全く、腹立たしい。リコリスがそのような罪を犯すわけがない。疑うべき人間は他に沢山いるだろう」
「ユリウス様は私を信じてくださるのですか。だから私を助けに来てくださったのですね」
「当然だろう! 俺はリコリスを信じている。だがもし本当に君が罪を犯していたとしたら、それはつまり俺の君への愛情が足りなかったということだろう! すまなかった、リコリス。君は常に、俺の剃髪を求めていたというのに、なかなか踏ん切りがつかずに、髪を剃り落とせなかった……! 君への愛は真実だが、髪を剃るのには若干の抵抗があってだな……!」
「髪のことはさておき、ユリウス様。私は帰りたくありません。この地でソロキャンを満喫しながら、開拓を行い、私の帝国を作るのです。全キャンパーの皆様の聖地、新生リコリス帝国を興した暁には、ルーベンス先生の訪れた地として記念碑を立てて、名誉市民としてルーベンス先生をお呼びするのです」
「……それは、つまり、リコリスはこの何もない荒れ地で生きていくと決めたということか?」
「何もなくありませんよ、大自然があります。ログハウスを作って、農地を作り、温泉を掘る予定です」
ユリウス様は私の足元に膝をついたまま、腕を組んで悩ましげに眉を寄せた。
それから良いことを思いついたとでもいうように、ニンマリと口角を吊り上げた。
「この地には俺とリコリスしかいない。良い考えだ、リコリス。俺とリコリスで、初代新生リコリス帝国の皇帝夫婦になろう」
「ユリウス様は、ヴァイセンベルク王国の次期国王陛下ですけれど」
「そんな地位は要らん。弟も国王になりたそうだったからな、くれてやる。リコリス、俺と君で、この地の創世の男女になろう。君は創世の女神として崇め奉られるだろう。子供は十人ぐらい欲しいな、リコリス。十人を育てるのだから、俺は立派な狩人になる」
「十人の子供たちと共に、俺にも食事を提供しろ」
ヴィルヘルムは食事の話になると反応が早い。
「十人の子供たちと、ペットの白犬を養えるぐらいの甲斐性はある。安心しろ。お前がリコリスに邪な気持ちを抱かない限りは、危害を加えたりしない」
「あぁ、是非養ってくれ。旨い料理が食えるのなら、お前たちがこのままここにいようが、他の場所にいこうが、どちらでも構わない。ただし、俺はリコリスと契約したからな。側を離れることはできない。契約とはそういうものだ」
「俺のリコリスと勝手に契約しやがって、羨ましい。血反吐が出るほどに羨ましい……」
ユリウス様はぎりぎりと唇を噛んだ。
血反吐は吐かなかったけれど、唇から血がだらだら垂れる。
けれどユリウス様は圧倒的な再生能力の持ち主なので、たちどころに傷が癒えてしまった。
「ユリウス様は帰らないのですか?」
「君がここにいるというのなら、俺もここにいる。ここにいればあの女と二度と会うこともない。リコリスと、二人きり、ずっと、二人きりだ。なんてことだ、ここは楽園じゃないか……!」
立ち上がったユリウス様が、天を仰いで涙を溢した。
ユリウス様もルーベンス先生が訪れた、このキャンパーの聖地の価値が理解できたのかもしれない。
それにしてもあの女とは一体誰のことなのかしら。
女性関係で深い悩みでもあったのかしらね。
「ここが、俺とリコリスの約束の地なのかもしれないな。挙式をあげようか、リコリス。そこの神竜に見届けてもらおう。良いだろうか、白竜ヴィルヘルム」
「人と人は番うということは知っている。お前たちは番になったのだな。おめでとう。ところで朝食はどうしたんだ」
「番……!」
ユリウス様は両手で口を抑えた。
乙女のように頬を赤らめている。番という言葉がそんなに嬉しかったのだろうか。
どのあたりにときめきポイントがあったのかしら。
私は動物みたいって思ったのだけれど。
ヴィルヘルムが私の近くに飛んでくると、「朝食だ、リコリス」と何度も言いはじめる。
私はお腹をさすった。
私もお腹が空いてきた。
マグロ丼が食べたい。不意にそう思ったのは、ユリウス様の赤い髪を見たせいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます