第10話 キノコ鍋パ



 ぐつぐつと、鍋が煮えている。

 ぽこぽこ湧いては消えていく気泡を眺めているだけで幸せな気持ちになる。

 見上げた空には満天の星が輝き、肌に当たる風が少しだけ涼しい。


「できましたよ、ヴィルヘルム。ソロキャンアイドルリコリス特製、鬼マタンゴの水煮鍋と、丸焼き鬼マタンゴです。今日は素材そのままの味を楽しんでいただきたい――というのは嘘で、初日の料理としては及第点かなっていう程度のご飯です。まことに申し訳ありません」


 お塩とか、それから香草とか、お肉とかお魚があればもう少し味わい深くできたのだけれど。

 ルーベンス先生は美味しいと言っていたけれど、鬼マタンゴを頂くのは私もはじめてなので、味は未知数なのよね。

 ヴィルヘルムは特に怒る様子もなく、くん、と鼻を動かした。


「旨そうな香りがする」


「そうですか、よかった」


「リコリス、お前は魔法少女とやらになったり、アイドルになったり、帝国の王となったりと、忙しいな」


「常に私は私の主なのです。私の可能性は無限大。私が魔法少女と言ったら私は魔法少女ですし、アイドルと言ったらアイドルなのです」


「そうか。良く分からないが、己に自信があるのは良いことだ」


「ルーベンス先生が言っていたのです。大自然の中で自我を失わないためには、己は己の主であることを意識しなければならないと」


「お前の先生は、中々深いことを言う」


「右も左も木々しかない深い森の中や、果てしなく続く雪原や、小舟でこぎ出した海の上で、恐怖に飲まれて自我を失わないための心得なのだそうです。ヴィルヘルムにもルーベンス先生の素晴らしさがわかるのですか?」


「多少は。自然とは圧倒的な力だ。どれほど人が立ち向かおうともかなわないもの。そこにあるのは原初の恐怖。その恐怖に飲まれてしまえば、人は道を違える。道を違え世界の秩序を乱そうとしたものから世界を守るのが、俺たち神竜の役割だ。神竜と、俺の乙女であるお前の」


「その時が来たら頑張りますね。ヴィルヘルムは私にサバイバルナイフと可愛い服をくださったので、その恩返しです」


「白竜の剣だ」


「白竜のサバイバルナイフを」


 私はヴィルヘルムの前のテーブル替わりに置いた平たい岩の上に、沢山とってきた大きな葉っぱを敷くと、その上に串刺し丸焼き鬼マタンゴを置いた。

 それは鬼マタンゴと言われなければ鬼マタンゴだとは思えない、大き目のキノコである。

 つるりとした茶色の笠が良く焼けて、更に濃い色になっている。

 肌色の柄の部分は、火が通ったからだろう、少しだけ縮んでいる。

 顔に近づけると、シイタケとシメジを足して濃くしたような、キノコの良い香りがする。

 キノコの良い香りの中に、カリカリに焼いたベーコンのような香ばしさが混じっている。

 目の前に置かれた鬼マタンゴの串焼きを、ヴィルヘルムはじい、と見つめた。


「もしや鬼マタンゴが嫌いなのですか、ヴィルヘルム」


「生食はしたことがある。本来俺たち神竜は神と等しい存在なので、食事は必要としないが、他の動物や魔物が鬼マタンゴを食っているのを見ていたら、味が気になってな」


「生食はしてはいけないのですよ」


「人間は弱いからな。俺ぐらいの存在になれば、大抵の魔物を食うことができる。それはともかくとして、鬼マタンゴは他の魔物に比べてしまえば、癖がない味をしている。臭みがなくさっぱりしている。つまり、味があまりない」


「そうなのですね。生食はしてはいけないのでわかりませんが、お料理に使うと美味しいとルーベンス先生は言っていました。つまり、焼けば美味しいのですよ」


「ただ焼いただけで味が変わるというのは妙な話だ」


「お魚だってお肉だって焼いたら味が変わるじゃないですか。焼いた場合と煮た場合でも、食感と風味が変わるのです。とりあえず食べてみましょうよ、私もはじめて食べます」


 ヴィルヘルムが初めて食べる料理に警戒しているようなので、私は先に串にささった鬼マタンゴに口をつける。

 ぱくっと一口、噛みついてみる。

 弾力のある表面に歯が食い込むと、ぷちっと千切れるような感触がある。

 弾力があるのは表面だけで、中はふにゃりと柔らかい。

 キノコの旨味とエキスが口いっぱいに広がり、もぐもぐ噛み続けると肉厚のベーコンのような香ばしさとふくよかな味わいが舌に残る。

 物凄く柔らかい、お肉みたい。

 焼いただけなのに、キノコと一緒にソテーした高級肉のような味わいだ。

 私は口に手を当てて、ぱちぱちと数度瞬きをした。


「大変です、ヴィルヘルム。ただ焼いただけなのに、とんでもなく美味しいですよ」


「……あぁ、本当だ」


 ヴィルヘルムはてっきり、小型犬のように口をお皿に突っ込んでご飯を食べるのかと思っていた。

 けれど、ちょこんとお皿の前に座って、尖った爪のある手で器用に串を持って口に運んでいる。

 とってもお上品な姿だ。

 一口噛み千切った後、よほど美味しかったのか、ヴィルヘルムは残りの鬼マタンゴを一息に口の中へと入れてしまった。


「炎で焼くだけでこれほど旨いのだな。リコリス、もうないのか」


「ありますよ。もっと召し上がります?」


「あぁ。お前の分は残しておけ」


「これからメインのキノコ鍋もありますので、私は一本で十分です」


 私は残りの丸焼き鬼マタンゴを、ヴィルヘルムの前に置いた。

 凄い速さでもぐもぐ食べてくれるヴィルヘルムを眺めながら、私も自分の分をゆっくり食べた。

 そういえば、ここに来てからはじめての食事だ。

 飲み込んだあたたかい鬼マタンゴが、胃に落ちていくのがはっきりと分かるぐらいに空腹だったようだ。

 こうして食事をとるまでまるで気づかなかったのだけれど。

 私は丸焼き鬼マタンゴを食べ終えると、ぐつぐつ煮えているお鍋の取っ手を持って、ヴィルヘルムの前に運んだ。

 お鍋の取っ手は熱いのだろうけれど、私の魔法少女的衣装の手袋は耐火に優れているらしく、全く熱さを感じない。便利だ。


「ヴィルヘルム、鬼マタンゴの水煮です。召し上がります?」


「あぁ。食う」


「そんなに小さな体なのに、結構沢山食べることができるのですね」


 既にヴィルヘルムは丸焼き鬼マタンゴを五個ぐらい食べている。

 一つの大きさが私の握りこぶし大ぐらいあるので、結構な量だ。


「これはただの仮の姿だからな。満腹感を得るための擬態だ」


「実際は大きいですものね、ヴィルヘルムは」


「これも良い香りがするな、リコリス。水で煮ただけなのに」


「水で煮ただけですけれど、スープが白乳色に変化していますね。まるでシチューのようです」


 お鍋の中には、白乳色のスープに茶色い鬼マタンゴが浮いている。

 ぎちぎちいっぱいに入れたのだけれど、煮込むとかなり小さくなってしまうらしく、その嵩は半分ほどになっている。

 そのかわり、スープの色が変わっているので、旨味がほぼ水に溶けたのだろう。

 お鍋というよりはスープになってしまった。

 スープからは大量のマッシュルームとポルチーニ茸をすりつぶして凝縮したような良い香りがする。

 ベーコンのような香ばしさもやっぱり感じることができる。

 お肉は入れていないのに、お肉で出汁をとったみたいな香りだ。


「しまった。お皿がないです、ヴィルヘルム」


「俺はこのまま食うから構わないが」


「鍋ごとですか」


「あぁ。鍋ごと」


「それでは、私の分だけサバイバルナイフをコップにかえて、よそいましょう」


 白竜の剣は、サバイバルナイフから、両手で抱えられるぐらいの大きなコップへと姿を変えた。

 コップも武器だと認識してくれたらしい。

 お鍋も、コップも武器。

 鈍器なのだろうか、やっぱり。

 私はお鍋を傾けて、零さないように慎重にコップに鬼マタンゴスープを注いだ。

 スープはとろりとしていてポタージュのようで、口をつけるとキノコの旨味が凝縮された中に、鶏肉が入っているようなまろやかで淡白な味がした。

 臭みはまるでなく、ひたすら美味しい。

 なんだか安心する優しい味だ。

 私はコップを両手で抱えながら、焚火の炎を見つめた。

 時々ぱちぱちと爆ぜる音がする。

 燃える炎が消えないように、焚火に薪を追加する。

 ソロキャンプをするのははじめてだ。

 はじめてにしては上出来だと思って、口元をにやにやさせた。

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