第9話 聖女と乙女



 燃えるような夕焼けが、世界を橙色に染めている。

 海の向こうに落ちていく太陽が水面を黄金色に輝かせて、上空に向かうほどに紫色から黒色に変わっていく空には一番星が輝き、丸い月がポッカリと浮かんでいる。

 ざ、ざ、と聞こえる波の音に身を委ねながら、私は私の隣で丸くなっているヴィルヘルムの体を指でつついた。

 赤いドレスとフカフカのパニエの上で寝転んでいるヴィルヘルムは、白くてふわふわの毛玉のようだ。


「ヴィルヘルムは、大きい姿の時はつるっとしているのに、小さい姿になるとふわふわになるのですね」


 そっと撫でてみると、柔らかい白い毛の奥に、滑らかな鱗を持ったひんやりした硬い体があるのがわかる。

 海に落ちる夕日のように赤い瞳が、私を見上げた。


「これは幼体だ。成長すると毛は抜け落ちて、美しい白い竜の姿になる」


「神竜の皆さんにも幼体があるのですね」


「生まれながらにしてあの姿ではない。俺たちは女神ラキュラスによって生み出された。世界の秩序を守る者としてな」


「女神ラキュラス様!」


 私はぽん、と手を合わせる。

 なんて奇遇なのかしら。


「女神ラキュラス様とは、ヴァイセンベルク王国の守護女神であらせられる方ですね。なんと、私の妹のアリアネちゃんが、ラキュラス様に祝福を受けたラキュラスの聖女なのですよ」


「そうなのか」


 ヴィルヘルムはもっと驚くのかと思ったけれど、「ふぅん」みたいな感じで、瞬きをパチリと一つしただけだった。

 私の目の前にある丸太トーチの上では、水が徐々にお湯に変わりはじめ、その横の焚火では、丸焼きキノコの表面にプツプツと水滴がうかび始めている。


「なんだか感動が薄くないですか、ヴィルヘルム。ラキュラス様とは、ヴィルヘルムのお母さんのようなものなのでしょう?」


「女神ラキュラスに俺たちが生み出されたのは、この国にお前たちのようなヒトの姿さえなかった、創世の時代だ。今から五百年前、いや、千年前……一万年は経っているのか? 忘れてしまったが、それ以来ラキュラスには会っていない。母を恋しがるような年齢ではない」


「いくつになってもお母様とは良いものですよ、ヴィルヘルム。私のお母様はアリアネちゃんを産んだときになくなってしまいました。私も一歳を過ぎたばかりの頃でしたから、記憶にはありませんけれど」


「俺も似たようなものだ。ラキュラスは俺たちを生み出すと、それぞれ役割を与えて国の東西南北に守護者として据えた。幼体の頃だ。だから、ラキュラスのことは、顔ぐらいしか記憶にない」


 夕日が水平線の向こう側へと沈んでいく。

 暗い夜が訪れる。

 焚火の炎だけが、私たちの姿を照らしている。

 丸い月の白い光が、黒い海に一本の道のように明るい線を引いている。


「ラキュラスの聖女と、神龍の乙女というのは、どういった違いがあるのですか?」


 なんだかしんみりしてしまった空気を払拭するために、私は話題を変えることにした。

 この国にはラキュラスの聖女であるアリアネちゃんがいるのに、さらに神竜の乙女というのは、役割が重複してしまうのではないかしら。


「ラキュラスの聖女は、ラキュラスが選んだこの国に平和と豊壌を齎す存在だ。聖女は戦う力を持たない」


「アリアネちゃんは強いですよ。特に聖女チョップと、聖女腕ひしぎ十字固め、それから聖女三角絞めが強いです」


「お前の妹は本当に聖女なのか?」


「聖女です」


「そうか。……ともかく、聖女は戦う力を持たない」


 ヴィルヘルムは、私の言葉を聞かなかったことにしたらしい。

 アリアネちゃんの繰り出す聖女チョップは良くユリウス様の手の甲を焼け焦げさせていたし、私に近づいた罪などといった冤罪で、ユリウス様を三角絞めにしたり、街の悪者を腕ひしぎ十字固めで成敗していたのに、おかしいわね。

 アリアネちゃんは強かった。

 私もアリアネちゃんのように強いサバイバルキャンプ女子になりたいと言ったら「お姉様は駄目ですわ! お姉様はか弱い一般人なのですから!」と何度も強く言われてしまった。


「神竜の乙女とは、聖女を守護する存在だ。この国に邪な者が現れた時、我ら神竜はそれを打ち滅ぼすために、それぞれの乙女を選定する。乙女は四人。四人揃えば、どんな困難にも打ち勝つことができる」


「魔法少女じゃないですか」


 魔法少女とは、少女たちが手を取り合って戦うと相場が決まっている。

 特に強制的に戦闘を終了させる超必殺技は、魔法少女たちが全員揃わないと繰り出すことができない。

 神竜の乙女とは、やっぱり魔法少女だった。


「ん? ええと、つまり、ヴィルヘルムが私を選んだ今、この国に邪な者が現れたということですか?」


「さぁな。俺は料理が食いたかっただけだ。創生より今まで、そういった存在とは縁がない。この荒れ地で微睡んでいたら、禿頭の男が作っていた料理の芳しい香りで起こされた。それから、俺は料理のことが忘れられなかった。だから、たまたまここにきた人間のお前の料理を食うために、力を授けただけだ」


「そうなんですね。国の危機とかじゃないんですね」


「多分」


「神竜が多分とか言って良いんですか」


「まぁ、大丈夫だろう」


「……まぁ、アリアネちゃんは強いですから、神竜の乙女などというものがいなくても大丈夫だとは思いますけれど」


 私は、私とはあまり似ていない妹のアリアネちゃんの姿を思い浮かべながら、丸焼きキノコの串を、もう片面を焼くためにひっくり返した。


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