第7話 婚約者と妹の思い出



 ◆◆◆◆


 私は熱心に、愛読書である『春夏秋冬王国キャンプ生活』に目を通していた。

 ルーベンス先生の著作は数多い。

 私は基本的にすべて購入するようにしているけれど、特に好きなのは『もしもの時のソロキャンプの心得』である。

 ページがすり切れるほど読んだあの本には、人類の英知がすべて詰まっていると言っても過言ではない。

 ルーベンス先生とは神。

 ゴットオブルーベンス。

 できることなら我がオリアニス公爵家の全資産を注ぎ込んで、ルーベンス先生のパトロンになりたい。

 そして私は毎週金曜日午後九時から三十分放送されている『キャンプ飯はじめました。〜美味しい魔物料理のすすめ〜』で、ルーベンス先生の助手をなさってる、『メスティン・ユマ』お姉さんのかわりに、ルーベンス先生の助手になりたい。

 スキレット・リコリス。とか、どうかしら。

 ルーベンス先生の隣でニコニコしながら「みなさんこんばんは、キャンプ飯はじめました、の時間がやってきました〜!」と言いたい。

 ルーベンス先生の禿頭と大胸筋と二の腕を、あんな至近距離で拝見することができるなんて、ユマお姉さんに私はなりたい。


「窓辺で本を読む君は、まるで儚い可憐な花のようだ。俺のリコリスは今日も美しい。君の前では女神も裸足で逃げ出してしまうだろう」


 あんなに素晴らしい大胸筋を至近距離で拝見できる上に、ルーベンス先生の手料理を食べることができるとか、ユマお姉さん羨ましすぎる。

 キャンプ大好きアイドルとしてデビューしてから、王国のキャンプ愛好家の男性たちの癒しとなっているメスティン・ユマお姉さんだけれど、私だってきっと王国のおじさまたちの癒し系アイドルになれるはず。

 私も今からオリアニス公爵家の権力を利用してアイドルとしてデビューしようかしら。


「悩ましそうな溜息も、夜露に濡れた花弁のように魅惑的だ。どうか俺を見てくれ、リコリス。俺の愛しの花」


「花ではありません、私はスキレット・リコリス。キャンプを愛しキャンプに愛されしソロキャンアイドル、リコリスです」


「そうだな、リコリス。君は俺のアイドルだ。俺だけの。俺が王になったら、城の敷地内にキャンプ地を作ろう。いつでもキャンプがし放題だ」


「遠出ができない方々には、お家キャンプも流行っているのは確かですけれど。それから、私はユリウス様だけのアイドルではありません。キャンプ愛好家の男性たちから圧倒的な支持を集めるのが目標です」


 先ほどから何やら私に話しかけてくるユリウス・ヴァイセンベルク様に私は視線を向けた。

 静かな空間でキャンプに想いを馳せながら読書を楽しみたかった私は、学園の昼休憩の時間に図書室に来ていた。

 図書室では静かにしなければいけない。

 それなのに、私が図書室に訪れたのとほぼ同時に「奇遇だな、リコリス」などと言いながら現れたユリウス様が、私のお気に入りの窓辺にあるテーブルセットの椅子の正面に陣取って、何やら話しかけ続けてくるので、他の生徒たちにはうるさいと思われたのだろう。

 いつの間にか図書室は、私とユリウス様の二人だけになっていた。

 窓辺からは春の日差しが差し込んでいる。さわさわと風に揺れる立木の白い花が、薄く開かれた窓から良い香りを運んでくる。

 春の日差しに照らされたユリウス様は、炎のような赤毛の精悍な顔立ちの男性である。

 私よりも一つ年上の十八歳。年齢よりも大人びて見えるのは、体格が良いせいなのかもしれない。

 嫋やかな王子様というよりは、野性味溢れる武人のような偉丈夫で、開かれている制服のシャツの間からは太い首としっかりした鎖骨が見える。

 無駄なお肉のない硬そうな腕が、制服の袖から覗いている。

 体格は私よりも一回りぐらいは大きい。

 それなので、図書室の椅子がユリウス様には少々窮屈そうである。 

 真昼の月のような金色の瞳が熱心に私を凝視している。瞬きを忘れたのではないかと思うほどに熱心に見つめられている。私はじい、とユリウス様を見返した。

 視線を送った途端に嬉しそうに頬を上気させるユリウス王太子殿下は、次期国王陛下であり、私の婚約者でもある。

 昔は紅顔の美少年だったのに、随分とまぁ、大きく育ったものである。

  

「それは駄目だ。リコリスは俺だけのアイドルだ。他の連中になど見られてたまるか」


「ユリウス様、キャッチフレーズなども考えましたが、見ますか?」


「是非見せてくれ」


「こんにちは、私はあなたのアイドル、スキレット・リコリス。ハッピーキャンプクッキングで、仕事疲れのおじさまたちの心も体も癒しちゃう」


「なんて、素晴らしいんだ、リコリス。俺の癒し。俺の天使。だが駄目だ、仕事疲れのおじさまたちなど癒さなくて良い。そこはユリウス様の心も体も癒す、に変えてくれ」


「ユリウス様は将来ルーベンス先生のように、光り輝く頭髪になるのでしょうか」


「何か不満があるのか、リコリス」


 私はユリウス様の燃えるような色合いの、艶々の少し長い髪を見ながらため息をついた。

 ユリウス様の外見は、雄々しい偉丈夫という意味では結構タイプ。

 けれど、何かが足りない。

 それはきっと、禿頭だろう。ルーベンス先生のような潔い禿頭。剃り上げた、つるりとした頭部が足りない。


「ユリウス様も頭髪をお剃りになって、裸エプロンで、素手で魔物を捕縛なさってくだされば……、いえ、それでは駄目ですね。ルーベンス先生は、ルーベンス先生です。ユリウス様ではありませんし」


「頑張ってみる。リコリスのためだ。俺は愛しのリコリスのためなら、どんなことでもしよう。裸エプロンで魔物を捕縛することぐらい、俺にとっては造作もないことだ」


 ユリウス様が私の手を握り締めながら言った。

 力強い手のひらの感触を感じたのは一瞬のことだった。

 ユリウス様の手の甲に、手刀が打ち付けられる。


「図書室で不埒なことをする王太子殿下撲滅チョップ!」


 手刀が当たったと同時に、白い落雷がユリウス様の手の甲に落ちる。

 ちなみに私の手は無事だった。

 私を背後からぐいぐいと抱きしめる、チョップの主であるアリアネちゃんが、聖女バリアを張ってくれていたからだ。


「アリアネ、今日も邪魔をしに来たのか……」


 ユリウス様の手の甲から、ぷすぷすと白い煙が上がっている。

 焼け焦げた肌がすぐに修復されていくのは、ユリウス様の持つ圧倒的な自己回復能力のためだろう。

 アリアネちゃんは私の髪に頬をすりすりしながら、ふふん、とユリウス様を鼻で笑った。


「残念ですわね、お義理兄様! お姉様の心はルーベンス先生にしかありませんのよ、ね、お姉様!」


「アリアネちゃん、聖女チョップでユリウス様を攻撃してはいけませんよ。ユリウス様の自己回復能力が類稀なるものだからといって、痛いものは痛いのですからね」


「リリス、俺の心配をしてくれるんだな……!」


「ユリウス様、そのような名前で呼ばないでください。それではまるで私が、男性を誑かす不埒な悪魔のようではありませんか」


「俺にとってリコリスは、悪魔もかくや、というぐらいの存在だ。それぐらい俺を魅了し、惑わす。美しい俺のリコリス」


「その口、縫い付けてやりましょうか。今日もお義理兄様はうるさいですわね、お姉様。アリアネと裏庭にでもいきましょう。今日も授業を頑張りましたから、いつもみたいに裏庭のベンチなどで膝枕してよしよししてくださいませ」


「リコリス、アリアネなんぞにそのようなことをしなくて良い。膝枕なら、俺にしてくれ。俺も日々頑張っているのだから、よしよししてくれ」


 私を挟んで、ユリウス様とアリアネちゃんが睨み合っている。

 喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものだ。

 ーーこの時の私は、まさか断罪されて流刑にされるなんて思っていなかった。


 ◆◆◆◆


 はっと目を覚ますと、両手に鬼マタンゴから切り離したキノコを抱えて、私は草むらに倒れていた。

 夕方が近づいてきたのか、青い空は少し日が陰り始めている。

 

「無事か、リコリス。きゃんぷあいどるとはなんだ」


 小型ヴィルヘルムが私を覗き込んでいる。

 どうやら私は鬼マタンゴの胞子で一時的に混乱状態に陥って、白昼夢を見ていたようだ。


「キャンプアイドルとは、新生リコリス帝国の帝王となった私が目指す、歌って踊れてキャンプもできるアイドルのことです」


 私はくらくらする頭を押さえながら、よたよたと起き上がった。

 ヴィルヘルムから与えられた魔法少女の力で、私の体には傷一つついていなかった。

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