第3話 ヴィルヘルムとの契約


 ヴィルヘルムをお供に加えた私が再び歩き出そうとすると、長い首が私の行く手を阻むようにして回り込んでくる。

 ヴィルヘルムの大きな顔に通せんぼされてしまい、仕方なく足を止めた。


「リコリス、どこへ行く? 料理を作るのなら、材料が必要だろう」


「ヴィルヘルムが料理にわくわくな気持ちは分かります。お腹が空いているのですね? けれど、ソロキャンをはじめるには、まずは拠点を作らなければいけないのです」


「野営地のことだな」


「ソロキャンの拠点です」


「どこを野営地にするつもりだ?」


 野営じゃないのよ。

 心が萎えてしまうから、そんな古めかしい表現をしないで欲しい。

 ルーベンス先生がソロキャンと銘打っているのだから、心の師匠に従う私も勿論ソロキャンをするわけである。野営とかじゃない。


「やっぱり、海辺にしようと思うのです。お魚が捕れますし、貴重な塩も得られますし、川辺でも良いのですけれど、森の中を拠点にするよりは海の近くを拠点にした方が安全じゃないかしらと思って」


「俺が共にいるのだから、どの場所でも安全だ。だが、お前が海が良いというのなら、協力するのはやぶさかではない。拠点が決まらなければ、料理をしないのだろう?」


 ヴィルヘルムは余程お腹が空いているらしい。

 私の料理への期待値がとっても高い。

 もしまずい料理を提供したら不機嫌になって「騙したな、小娘!」とか言いながら襲いかかってくるのではないかしら。

 ヴィルヘルムに美味しい料理を提供できるか否かは、私の死活問題になりそうね。

 私としても、他者に食べて貰うのに不味い物を作る気はないのだけれど。


「ううん、でも、ヴィルヘルムに移動の協力をして貰うのは、少々ずるい気がするのですけれど」


「どのあたりが?」


「ソロキャンとは自分一人の力で行う物なので。ヴィルヘルムの力を借りてしまったら、それは最早ソロキャンではないのです」


「海に出るまでには、夜になるかもしれない。そうしたら料理を作る時間がなくなるだろう」


「うーん、でも」


「つべこべ言うな。さっさと行くぞ、リコリス。お前を手助けするのは今回限りだ。それなら良いか?」


「仕方ないですねぇ」


 私はため息をついた。

 仕方ないわよね、ヴィルヘルムの申し出を断るのも悪いし。

 ルーベンス先生も竜には礼儀正しくって言っていたし、きっと許してくれるわよね。

 ヴィルヘルムは私の前で首を下げた。


「お前は小さい。頭に乗れ」


「背中ではなく?」


「背中には羽がある。羽ばたいたらお前は飛ばされるだろう。頭には角がある。しっかりしがみついているんだぞ」


 私はヴィルヘルムの言うとおりに、頭の上によいしょと跨がった。

 私の両腕を回しても回りきれないぐらいの頭の立派な角にしがみつく。

 ヴィルヘルムが頭をゆっくりと上げていく。

 いきなりお城の尖塔の真上に立たされたようなぐらいに、高い。

 木々をかき分けて、更に上まで首が伸びる。

 青空と、眼下に広がる広大な森、それから私の落とされた草原と、森のずっと向こう側に青い海が見える。

 確かにヴィルヘルムの言うとおり、歩いていたらとても今日中にはたどり着けなさそうな距離だった。

 草原の向こう側には、荒れ地をぐるりと囲むように並ぶ山脈。

 荒れ地には、当然だけれど、街らしい場所は見当たらない。

 いくつかの湖があるのは確認できた。

 湖があれば体を洗うことができる。洋服も、なんとかしたいけれど―――まだ、先の話よね。

 ヴィルヘルムが羽ばたくと、鳥や動物たちが驚いたように逃げていく姿が視界の隅に映る。

 私を乗せたヴィルヘルムは、空に舞い上がった。

 そして悠々と、海へ向かったのだった。


 まさしくそれは、文字通りひとっ飛びだった。

 あっという間に景色が変わり、ヴィルヘルムは砂浜の上に降り立つと、私を頭の上から降ろした。

 さくりと、ブーツが砂を踏みしめる。

 海の香りがする。

 ざざ、と波が寄せては返す音が耳に心地よい。

 白い砂浜、青い海。背後には森。

 砂浜の奥は岩場になっている。大きめの岩から、丸い石がいくつも落ちている。


「ありがとうございます、ヴィルヘルム。ヴィルヘルムはとっても大きいのですね」


 森の中に居たときは、ヴィルヘルムの姿は半分ぐらい木々に隠れていて確認することはできなかった。

 今は遮蔽物のない砂浜にいるので、その姿をすっかり見ることができる。

 小山ほど――というのは言い過ぎだけれど、私の住んでいた屋敷と同じぐらいの大きさである。

 陽光に照らされて、白い体が艶々と光っている。


「真っ白で、美人さんです。竜の中でもかなりのイケメンなのではありませんか?」


「イケメン? 姿形が良いという意味か」


「ええ、ええ、そうです。イケメン。男前。ハンサム。そんな感じです」


「お前も人間の中では美しい方ではないのか?」


「まぁ! ありがとうございます。とってもお上手ですね!」


 褒め言葉は快く受け入れるのが、淑女の嗜みである。

 私にはもう関係の無いマナーだけれど、折角褒めてくれるのだからにっこり受け入れるべきだろう。

 とはいえこの土地には人間は私しかいないので、私の容姿が綺麗だろうが普通だろうが、美醜は何の役にも立たないのよね。


「さて、てきぱきと拠点を作ってしまいましょう。必要なのは、寝る場所です。寝る場所と、薪。それさえあれば一応はなんとかなります」


「俺の背の上で寝ると良い。安全だ」


「お気持ちは嬉しいのですが、ソロキャンの醍醐味がですね……」


 私はきょろきょろとあたりを見渡した。

 手頃な木や、蔦や、柔らかそうな葉などはあるけれど、なんせ私は素手だ。

 魔法を使っても良いけれど、どうしようかしらと思案する。


「サバイバルナイフがあれば良かったのですけれどね……」


 ルーベンス先生はどんなときでもサバイバルナイフ一本でなんとかしてきた。

 ナイフ、こっそり太股に忍ばせておけば良かったわね。


「剣が欲しいのか、リコリス」


「剣というか、サバイバルナイフですけれど」


「剣ならある。俺と契約を交わせば、白竜の剣が手に入る」


「……なんですかその、伝説の勇者の剣みたいなやつは」


「この世界には、四体の神竜がいるだろう。四体の神竜は、それぞれ神器を守っている。俺はその一人で、俺が守っているのは白竜の剣というわけだ」


「それはそれは!」


 私は両手を胸の前であわせて、ヴィルヘルムを見上げた。

 神竜とか、神器とか、よく分からないけれど、ヴィルヘルムがそう言うからにはそうなんだろう。

 ともかく今はサバイバルナイフが欲しい。

 サバイバルナイフとは言わない。刃物なら何でも良い。


「ではさっそく、ヴィルヘルム、私と契約を交わしましょう。そしてその白竜の剣というものを、私に貸してくださいな。サバイバルナイフもなければ包丁もないとあっては、お魚もさばけないのです」


「……料理のためだ、仕方ないだろう」


 とっても物わかりの良いヴィルヘルムは、私の体に額を押しつけるようにした。

 ヴィルヘルムは大きいので額を押しつけられると弾き飛ばされそうなぐらいの衝撃を感じるけれど、なんとか転ばないように足に力を入れる。


「汝、悪を滅し世界を守る者として、白竜ヴィルヘルムとの不滅の契約を交わすか?」


「はい!」


 私は元気よく答えた。

 悪とはなんだろう。世界を守るとなんだろう。

 不滅の契約とか言っていたかしら。

 まぁ、なんとかなるわよね。今はなんせ刃物が欲しいのよ、私は。

 私が元気よく返事をすると、私の胸のあたりが光り輝き始める。

 剣の柄のようなものが、私の胸からはえている。

 特に痛みはない。

 私は柄を握りしめて、私の体の中からずらりと剣を引き抜いた。

 それは私の体に合わせてくれたような、持ちやすい小ぶりの美しい剣だった。

 白い刀身に、銀色の柄。

 両刃の剣である。


「ヴィルヘルム、これ、折れたりしません?」


「折れない。何でも切ることができる、神竜の剣だからな」


「じゃあ早速薪をあつめましょう」


 私は剣を持って、森へ向かった。

 ヴィルヘルムは何も言わずに私の姿を、森の入り口の側に巨体を横たえながら眺めていた。




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