人生を救われた言葉

時雨 莎祺

恩人

 2022、9月。ある医師から、薬を処方された。それを飲んだ。


 それが、のちに起こる悲劇の始まりだったのかもしれない。


 その薬を飲んで1週間。身体が重く、全身に気怠さが出てきた。学校も休み、ベッドで休んでいた。なぜか何も食べたくない。起きたくない。もう嫌になった。そんな感じがした。学校にも行かなかった。その時は中学三年生。受験の大事な時だ。

そんな時に、鬱を発症した。


 母親が、貰った薬の副作用を調べたところ、鬱症状、全身倦怠感とあった。すぐに服用を辞めた。そしてその薬の効果が抜けたころ、別室登校を始めた。教室には出向かず、自習をしていた。集中力が低下し、学力が右肩下がりになった。このままでは、目標の高校に行けない…と思っていても、痺れた体は動かなかった。


 別室登校を始めて二週間もした頃だろうか。担任から、

「そのままじゃ、君の目指す私立高校は無理だ。通信制高校に行かないか。」

 と告げられた。当初考えていた公立高校も断念し、第二候補の私立高校も無理だ、と。すごく悔しいが、その時は無機質からか何も感じられなかった。


 そして流れるまま通信制高校に行こうとしたが、ふと立ち止まった。そして、自分に語り掛けた。

「お前、このままでいいのか?」

 と。


 その時の答えは、

「もちろん、否。」

 そしてその日のうちに先生に告げた。

「通信制には行かない。夢も諦めない。その代わり、努力する。」

 と。


 そして、環境も変えた。

 教室に入るだけで動悸がした。でも、それでは何も変わらないと思い、一日に一時限ずつ授業を受けていった。

 それから月日は流れ、私は六時限とも授業に参加するようになった。

 別室からも抜け出し、担任から目ざましい成長スピードだ、と言われた。


 そして進路を私立高校に決め、勉強に勤しんだ。そして、学校を通じて合格の通知が届いた。担任からも、学年主任からも、養護教諭からも、親たちからも、本当によく頑張ったと言ってくれた。


 そして二月ごろ。廊下でばったり、養護教諭の先生と出会った。

 挨拶を交わし、高校の話もした。そして、人生を救われた言葉を口にした。



「良い顔してるね!」



 その先生曰く、別室登校の時はひどい顔をしていたという。その言葉にグッときて、つい泣きそうになってしまった。

 それ以来私は、”良い顔”をするようにしている。



 ちょっとはにかんで、楽しそうに過ごしているような顔。



 良い顔してるね!

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人生を救われた言葉 時雨 莎祺 @creeper7

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