ドニとエマ12
その日の朝は、体から何かがスッポリと抜けた感じがするのにズッシリと重く、なかなか起き上がれなかった。
重い足取りのまま教室へ向かうと、もう既にテオたちが教室に集まっていた。最近はこの6人で集まると直ぐにエマの話になる。
エマの話をしていると、いつもニコルさんがスーッと近づいてくるのに気がついた。オレが「ニコルさんもエマの事が気になるの?」と聞くと、切れ長の目でこちらをじっと見つめ、無表情のままコクリとひとつ頷いた。その時からエマの話をする時だけ、ニコルさんがオレたち6人の中に加わる様になった。
皆の話を聞いていると、マリーさんとエマが同一人物のようになっていて、やっぱり二人は似てるよなぁと思った。
今日の授業は自分の実力を知る事を目的とした模擬試合が行われた。
皆は凄く手強くて、勝ち上がって試合数をこなす度に体に疲労が蓄積していく。
次の対戦相手はニコルさんだった。木剣を用いての模擬試合なのだが、ニコルさんの持っている木剣は、オレがいつも使っている木剣より、ふた周りほど細身だった。
ふたりで向かい合い、開始の合図を待つ。
ニコルさんは切れ長の目を更に細める。
オレは木剣に力を入れて握り直す。
開始の合図が鳴り、ニコルさんが素早く剣を打ち込んでくる。その剣を正面で受け、右へ流し、上で止める。
一撃一撃は重くないが、しっかり見ていないと直ぐに見失いそうな剣戟が振るわれる。
あまりの速さに防戦一方になる。
このままではいけないと思い、攻撃に転じようと踏み込もうとした瞬間――
ニコルさんの姿がフッ……と消えた。
いつ、見失った……?
バッと下に視線を降ろすと、身を屈めながらこちらに向かってくるニコルさんが居たので、咄嗟に剣で防御する。――が、下からの強撃に木剣が吹き飛ばされ、オレは後ろへ倒れ込んでしまった。
「――止め!」
先生の声がかかり、目の前にはニコルさんの木剣の剣先が突きつけられていた。
息ひとつ乱れず、涼しげな目元でこちらを見下ろすニコルさんに、圧倒的な差を見せつけられているようだった。
ふたりで終わりの礼をして別れる。直ぐにテオたちが駆け寄ってきて試合の感想を言い合った。
オレたちが話しているとニコルさんとレオンさんの試合が始まった。
開始の合図とともに動き出したのはニコルさんで、茶色の短いポニーテールの髪を靡かせ真っ直ぐ突き進んだ。
レオンさんはそれをどっしりと構えニコルさんを見据えていた。
ニコルさんの右に左に繰り出される素早い剣戟を、レオンさんは全て冷静に対処していく。
攻撃しているのはニコルさんで、レオンさんは防戦一方に見えるのに、押しているのはレオンさんのように見えた。レオンさんは攻撃していないのに、だ。
ニコルさんが打ち込んで、レオンさんが受け止める。繰り返される度にニコルさんが押されていく。
ニコルさんが木剣を振り上げ強撃を繰り出そうとした瞬間、――ゴッと言う音と共にニコルさんの木剣が吹き飛ばされていた。
ニコルさんが振り下ろすよりも速く、レオンさんが木剣を横に薙ぎ払っていたのだ。
しばしの沈黙の後、うおおぉぉ!と歓声が上がる。
レオンさんはニッと笑いながらニコルさんに手を差し伸べ、ニコルさんはいつもの無表情のまま礼をしてからその手を握った。
周りで見ていたオレたちは興奮覚めやらぬままふたりに駆け寄った。みんな思い思いにふたりに賞賛の言葉や感想を言っている。オレも「レオンさんもニコルさんも凄かった!」と伝えると「オレのことはレオンでいいって!」と笑ってくれた。
授業は終わり昼休みになったが、オレたちは先程の試合に興奮して、その場に残り感想を言い合っていた。
視界の端に、ピンク色が見えた。
「エマ!」
オレは反射的にその名前が口から出ていた。エマの短くなったピンク色の髪の毛がふわりと揺れる。自然と足がエマの居る方へ駆けていく。
「体調、大丈夫?」
「うん、ドニのおかげ」
エマはそう言うとふわりと微笑んだ。エマの笑顔を見れた事に安心して、オレは自然と笑みがこぼれた。
テオたちに何も言わず抜けてきたことを思い出し、ハッと振り返ると皆がニヤニヤしながらこちらを見ていた。その視線に気まずくなりながらもエマを見ると、何やらニコルさんと見つめあっているようだった。
「エマ、ニコルさんと知り合い?」
「初めて会った……」
「へぇ珍しい。ニコルさん滅多に他人と話したりしないのに。結構前に王家のお姫様とその護衛騎士が駆け落ちしたーってスキャンダルがあってから女性騎士も王都だと珍しくないんだってさ」
「そうなんだ……」
ニコルさんはエマの話に興味がある様だったから、もしかしたら何処かで知り合ってたのかな?とも思ったがそうでは無いようだ。
「お昼まだだよね?わたし食堂とか行ったことないから一緒にいこ?」
エマが控えめにこちらを伺うように聞いてきた。その見上げるような視線にドキリとするが、なんとか気持ちを落ち着かせる。
問題は食堂である。エマは特進科なので関係ないが、ちょっと高すぎるよなぁと悩んでいると、テオたちが後ろからものすごい勢いで近づいてきてオレの腕やら肩やらを物凄い力で引っ張ってきた。その力に負けて後ろへよろめくオレに、テオたちが顔を近づけてくる。
「あれがドニのいってたエマちゃん!?」
「おいドニ!お前なに躊躇ってんだよ!」
「ホントにピンクだ!」
「お昼誘われたんだろ!?」
「あれ?髪切った?長かったよね?」
「女から誘わせて断るつもりか!?」
「すげー!近くで見ても可愛いなぁ!」
「男だったら不安にさせんなよ!」
「幼なじみかぁオレも田舎のこと思い出すなぁ……」
皆が早口で思い思いの事を話すのでオレは目を白黒させた。急に静かになったテオたちが、短く頷き合ったかと思うとオレに硬貨袋を持たせてくれた。その行動に驚いてテオたちを見ると、遠慮するなとでも言うように皆笑っていた。
「……ちゃんと返すから」
「いいって!今日俺たちに勝った景品って事にしとけよ!」
「ドニ今日の模擬戦で5位になったから褒めてあげてな〜!」
オレが食堂の料金を気にしている事を察してのテオたちの行動に、感動で顔が熱くなるのを感じる。まだ会って数日なのに、こんな大金を持たせてくれて……みんな休日は荷積みや配達などの仕事をしてお金を貯めていると言っていたから、今度手伝わせてもらおうと誓った。
エマの方へ向かうと、エマはクスリと口元に指を当てて微笑んでいた。後ろから「おぉ……!」と感嘆の声が聞こえてきて、なんだか恥ずかしくなってエマを伴って足速にその場を立ち去る。
エマに5位になってすごい!と無邪気に褒められながら、体調は大丈夫そうだなぁなんて思い食堂へ向かう。
食堂へ着くとその広さに圧倒されながらも、特進科は料金が無償なので配給口が違うことをエマに教えて、メニューを受け取ったら近くの席に集合することにした。
オレは皆から貰ったお金を大切に使わせてもらう事にした。長い列に並び注文したメニューを受け取ると、既にエマは席に座っていて、形のいい白いてをヒラヒラとこちらに振ってくれていた。
相変わらずこちらを見てクスクス笑う人達は居るが、先日のように何か言われることは無くふたりで食事を終えることが出来た。
昼休みも終わりに近づき、そろそろ片付ける時間かな?と思っていると、急にエマが真剣な顔でこちらを見てきた。
「ねぇドニ、明日のお昼……わたしがドニの分も持ってくるからまた一緒に食べよ?」
「……えっ」
遠くに食堂の喧騒が響くのが聞こえる。あまりにも都合のいい提案に、幻聴ではないかと自分を疑ってしまう。
エマの提案を断るなんて選択肢はないけれど、承諾していいものかと悩んでしまう……。それは自分の決断に対する甘え、ではないのかと……。
オレの返事を不安そうに待つエマが見える。
「えっと、エマがいいなら……」
「もちろん!まかせて!」
……ずるい言い方をしてしまった。
オレの返事を聞いて目をキラキラさせて微笑むエマを見て、可愛いなぁなんて思いながら現状から逃げている自分に目を逸らした。
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