11話 王子様
ぽつりぽつりと小さく会話をしながらも、カリカリとペンを走らせる音が響いていく。
わたしも目的のページを開いては書き写す、を繰り返していると、不意に正面から視線を感じ顔を上げる。すると、マリーさんと視線がぶつかった。
「エマさんは、既に持ってきた本を読んだことがあるんですか?」
美しい水色の瞳に疑問の色を映しながら、コテンと愛らしく小首を傾げる。マリーさんはわたしの返答を待たずに続けた。
「急にごめんなさいっ目的のページが分かってるようにスムーズに進められてたのでつい……」
その言葉に喉の奥がギュッと締め付けられた様な気分になる。また、悪いことがバレたような、罪悪感――
この本だけではなく、ストーリーに出てきた題名の本等は、思い出せる限り、“ 勉強”と称して、両親に頼んで取り寄せてもらっていたので、全て読破している。
マリーさんの言う通り、どこに何が書いてあるか、大体は把握していた。
体が冷えていき、ドクリ、ドクリ、と全身に脈打つ感覚が広がる。
ズルをしたのがバレた子供の様に泣きそうになりながらも、何とか小さく「はい」と返事を返すので精一杯だった。
「すごい……!エマさんは入学前からこんな難しそうな専門書を読まれていたのですね……!」
マリーさんの瞳は無邪気にキラキラと尊敬の色に染まっていて、余計に罪悪感で胸が抉られそうになる。
ごめんなさい……そんな尊敬されるような人間ではないのに……
今まで自分のしてきたことで、胸が押しつぶされそうになる――
陰鬱な気分を抱えたまま、なんとか課題を協力しつつ終わらせることが出来て、お昼休みになった。
みんなから食堂へ誘われたが、ちゃんと登校できた事をドニに報せたかったので、お断りさせていただいた。
ドニの所属している騎士科の教室へ行ったが誰もおらず、校舎の外にある演習場へ向かうことにして廊下を歩いていた。
まだ校舎の構造を把握していないので、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていたら、角から曲がって来た男の人と思わずぶつかってしまった。
「ごめんね、大丈夫?」
「いえ、こちらこそすみません」
返事をしながらパッと顔を向けると、サラサラと流れるように美しい灰色の長い髪を緩く編み込んで横に流し、目元は優しげに垂れていて、瞳はタンザナイトの様に深い青色に輝いている。男性なのに儚げで、思わず惹き込まれそうになる魅力に溢れていた。
背もスラッと高く大人びていて制服も着ていないので、学院の生徒ではないようだけど……
「怪我がなくてよかった」
男の人は何故だか心底ホッとしたように微笑むと、流れる様な仕草で、わたしの左手を取り、口元に寄せると、「ちゅ」と、軽い音がした――
伏せられた長いまつ毛が、青い瞳に影を落としているのを、見つめていたら、段々と、何が起こったのか、理解、してきた。
握られた手が、触れられた手の甲が、ジワジワと熱を持って、心臓へ向かって、熱く熱く、脈打って広がっていく――。
手の甲に、キスをされた――――――!!!
柔らかい唇が触れた感触が、握られた手が、まるで直接熱を押し当てられている様に熱い。その熱が全身を駆け巡って、顔まで一気に熱くなるのを感じる。
わたしは何も言葉を発する事も出来ず、瞬きすら忘れて、今までどんな風に呼吸をしていたのかさえ思い出せないくらいに、胸が苦しくなってくる。
「兄上!ここに居らしたのですね……!」
背後から声をかけられ驚きと共に振り向くと、男の人にまだ繋がれていた手が、ギュッと、より一層、強く握られた。
振り返った先にいたのはクリスチアン様で、そのクリスチアン様が“ 兄上”と呼びかける、この人は――
「待っていて下されば、お迎えに上がったのに……」
「ふふっクリスは心配性だね、学院が懐かしくなって、ちょっと探検」
「まったく……兄上を保護してくれてありがとう」
クリスチアン様がそう言って困った様にわたしに微笑む。
“ 兄上”と呼ばれた男の人は、握っていたわたしの手をスっと解放すると「保護はひどいなぁ」と言いながら綺麗にクスクスと笑った。もう手は離されているのに、まだジワジワと熱を持っているようで、余計に意識してしまう。
そうしていると、後ろからパタパタと近づいてくる音がして、フレデリク様が駆け足で近づいてくるのが見えた。
「探しましたよクラウディオ殿下、学院長がお待ちです」
「おや、フレデリク久しく見ない内に大きくなったね?」
「兄上、そろそろ……」
フレデリク様の息が上がっており、随分探し回ったのだろうな、ということが窺えた。
そしてクラウディオ“ 殿下”……
ゲームではクリスチアンの兄弟の話は双子のクロヴィスしか出て来ないはずなのに、どうして……?
「またね、――エマ」
確かめるようにゆっくりと名前を呼ばれる。なぜかその声が、頭から離れない。美しい灰色の髪が光を受け、空気の中に溶けだしそうな儚さを残して“ クリスチアン様の兄のクラウディオ殿下”はわたしの前から去っていった。
なのに、まだ手が、顔が、全身が、ドクドクと脈打ち、それに合わせて熱が、身体中を駆け巡っている様で、呼吸をするのも苦しいくらいだった。
だからこの時のわたしは、彼の違和感に気づくことが出来なかった――
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