5話 義妹会議


 夜の10時までおにいと勉強会をやっていたあたしは、その後お風呂に入って、洗面台の前でスキンケアを済ませてから部屋に戻ってきた。

 普段から夜更かし気味のあたしからしたらそこまで深夜でもないけど、こんな夜まで勉強したのは初めてで、かなり眠い。

 眠たい目を擦りながら髪を乾かすためにドライヤーを手に取って準備していると、勉強机の前にいたパジャマ姿のおねーちゃんが急に立ち上がった。


「海里、ちょっといい?」

「ん? どしたの?」

「………」


 いかにも何か言いたげな表情のおねーちゃん。

 その顔はまるで、全校朝礼の時に生徒会長の挨拶をする時のおねーちゃんだった。

 空気を読んで一旦ドライヤーを止めたあたしは、ベッドに座った。


「少し時間もらっていい?」

「別に、いいけど。あたし眠いから手短に——」


「じゃあ今からを始めます」


「……は、ハア?」


 おねーちゃんは唐突に義妹会議?という謎すぎる会議を始めると言い出した。


「まずは寝ないようにちゃんと椅子に座って」

「は、はあ」


 椅子に座るよう言われたあたしは、ベッドから自分の勉強机の椅子に座り直した。


「議題はもちろん【お兄ちゃん】について」

「何がもちろんなん?」

「海里……さっきはやけにお兄ちゃんと楽しそうにしてたよね?」


 おねーちゃんは無視して話を続ける。


「あんな楽しそうにしてる海里、久しぶりに見た……」

「べ! 別に楽しくなんてねーし!」

「……嘘つき」


 おねーちゃんの一言一言がいつもより重々しく感じられて気持ちが悪い。

 もしかしておねーちゃん、さっきリビングであたしとおにいが勉強会をしていたのを良く思ってないとか?

 でもおねーちゃん、昨日は自分はブラコンじゃないって否定してたのに。


「ねえ、海里ってさ……わたしのことを『ブラコン』ってバカにする割には、自分だってお兄ちゃんのこと好きなんじゃないの?」

「ち、違う! あたしはただ、おにいと同じ高校に」

「そーいうのをブラコンって言うのっ!」


 普段は比較的温厚なおねーちゃんが、突然、声を荒げた。

 その姿を見て、流石のあたしも圧倒されてしまう。


「な、なに、怒ってんのおねーちゃん。こっわ。おにいのことそんなに好きなん?」

「当たり前」

「昨日はブラコンじゃないって言ってたのに? それって矛盾じゃん」

「……なら海里、これ」


 おねーちゃんはパジャマのポケットから何やら黒い布を取り出すと、あたしに手渡した。


「なんこれ? トランクス?」

「それはお兄ちゃんの脱ぎたてトランクス」

「うげっ!」


 あたしはおにいのトランクスと知った瞬間、床にそれを投げ捨てた。

 おにいのトランクスどうして持ってきてんの!? 確かに貰った瞬間、『もあーん』と不思議な臭いがしたから嫌な予感はしたけど!


「なんでこんな汚いもん渡すの!」

「ふっ……ふふっ」

「なんそのキモい笑い」

「海里にはまだまだお兄ちゃんへの愛が足りないわね。お兄ちゃんのパンツの"楽しみ方"も知らないなんて」

「た、楽しみ……?」


 おねーちゃんはあたしが投げ捨てたトランクスを拾い上げると、何の躊躇もなく自分の鼻を近づけた。


「まずはトランクスのゴムに染み込んだお兄ちゃんの腰回りの汗を嗅いで、次に外側のくっさい高尚な香りを楽しんでから、最後に裏返して内側を……」

「え…………ちょ、ちょ、待って! さっきから何してんのおねーちゃん!」

「お兄ちゃんのパンツの楽しみ方だけど? こんなのも知らないの?」

「お、おねーちゃん、キモすぎて吐きそうなんだけど。お、おえ……っ」

「キモ!? お、お兄ちゃんが大好きなら、こ、こんなの普通よ!」

「お、おぇぇっ」


 あたし喉の奥から込み上がってきた気持ち悪さを吐き出すように嗚咽を漏らしたが、吐きそうになる寸前でそれをなんとか我慢した。


「あなた……リビングであんなにお兄ちゃんと仲良くしてたのに、こんなことも分からないなんて。三流ね」

「分かりたくねえし! おねーちゃんのそれはブラコンの域超えてるっつの」


 あたしはドン引きしながらも、椅子に座り直す。


「て、てかなに? おねーちゃんはそのキモすぎるブラコン趣味の自慢をしたかったの?」

「違う。リビングで海里とお兄ちゃんが仲良くしてるの見て思ったことがあって……」

「思ったこと?」

「海里……まさかお兄ちゃんに話してないよね?」


 あの事、というのは当然、自分たちが義妹だという秘密だと思う。


「話してない、けど……やっぱ話したらマズい?」

「当たり前でしょ。海里もお兄ちゃんが中学の時のトラウマを引きずってるのは知ってるでしょ?」

「それって……彼女に財布扱いされてたってヤツだよね」


 おねーちゃんは「正解」と言わんばかりにはこくりと頷いた。


「お兄ちゃん、ずっとあの時のことを引きずってて。塾にいるお兄ちゃんと同じ習学院高校の先輩から聞いたけど、お兄ちゃんって高校進学してからも殆ど女子と会話してないみたいなの。それに最近、お兄ちゃんが2次元の女の子ばっかり見てるのも知ってるでしょ?」

「えと……ブイチューなんたらっていう?」

「そう、Vチューバー。2次元に逃げるくらい、お兄ちゃんの中にある女子に裏切られた時の傷は深い。だからお兄ちゃんがわたしたちのあの事実を知ったら……必然的にわたしたちから距離を置くと思う」

「距離を……?」


 それを聞いて、あたしはエレベーターに乗った時の会話を思い出した。

 あの時おにいは「もし自分が二人と赤の他人だったら距離を置く」と確かに言っていた。


「今回の義妹会議は、"あの事"をお兄ちゃんに話さないって、約束するために開いたの」

「でも……でもさ! いつかあたしらが義妹ってことをおにいに伝えないと、あたしらずっと、おにいにとって妹のままなんじゃ」

「そこで提案」


 おねーちゃんはあたしの言葉を遮ると、スッと目を細めた。


「ここで一つ、勝負しようよ……海里」

「勝負?」

「お兄ちゃんを先に堕とした方が——この事実を伝えてもいいって勝負」


 おねーちゃんの提案を聞いたあたしは首を傾げる。


「お、堕とすって……? 具体的にはどういうことなん?」

「そんなの……お兄ちゃんから「好き」って言われた方に決まってる。好きって言われて、お兄ちゃんのを奪う寸前で、この事を伝えるの」


 そう言ったおねーちゃんの目は完全に優等生のソレでは無くなっていた。

 淫靡でとろんとしたその目つきと、今にも垂れそうな口元のよだれを啜る様子は、まるで肉を前にした獣だった。


「いいよね、海里?」

「……う、う、ん」


 あたしはこの時、おねーちゃんのヤバさを知ってしまった。

 おねーちゃんは、おにいと……え、えっちなことしたいんだ……。

 普段は周りからゆるふわ清楚系とか、黒髪美人生徒会長とか持て囃されて、真っ白なイメージを持たれているおねーちゃんが、こんなにも心の中に黒くてドロドロな裏の顔を持っていたなんて……。

 おねーちゃんの闇を知ったのと同時に、この野獣からおにいを守らねばならないと、あたしは心に決めた。


「じゃ、これで義妹会議はおしまいっ。明日からはお互いに敵同士ということで」

「……分かったし」


 まさか……あたしら義妹って分かったことでこんなことになるなんて……。

 おにいのためにも、絶対に負けられないじゃん。

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