episode5.5 音痴のカラオケ

「ねえ、この後さ、カラオケ行かない?」

 カラオケ。久しぶりに耳にする響きだ。普通の高校生にとっては慣れ親しんだ場所なのだろうが、私にとってはもはや観光地に等しい。そんなことを思っていると、意外にもヒデくんが苦い顔をしていた。

「ヒデくん、どうしたの?」

 私が訊ねると、ヒデくんがハッと我に帰り、いつも通りの爽やかな笑顔を見せた。

「いや、何でもない。ただ、カラオケなんて久しぶりだなって思って」

 意外も意外、なんと仲間がいた。ヒデくんは交友関係も広いし、てっきり行き慣れてるのかと思っていた。とはいえ、彼も私も断るつもりは全くなく、元気よく闊歩するしーちゃんについていく。

「さあて、なに歌おうかしら」

 鼻歌を歌いながらタッチパネルを操作するしーちゃん。テレビ画面に曲名が表示される。名前だけはなんとなく聞いたことのある流行りの曲だ。しーちゃんは伸びのある声でポップな流行歌を歌い上げる。天才って何でも出来るんだなぁと思わず感心する。歌い終わると点数が表示される。93点。さすがとしか言いようがない。

「次、ヒデくんいいよ」

 私がタッチパネルを渡そうとすると、ヒデくんは遠慮して断る。やけに拒否感が強い。

「いや、書記ちゃんが先でいいよ」

 不思議に思いながらも、「そう?」と言って、辛うじて知っている曲を選択する。「歌ってるところ見られるのって緊張するなぁ」と思いながら、なんとか歌い上げる。点数は67点。平均より明らかに下だが、かといって下手とも言い難い。歌は人を表すというが、本当にそうらしい。

「じゃあ、次は俺か」

 妙に緊張した様子でタッチパネルを操作し、数年前のヒットソングを選ぶ。「まあ、私よりかは上手いだろうなぁ」という私の予想は、大きく裏切られた。ヒデくんの歌は、まるで磁石の同極のように、音程バーから絶妙に離れていく。ああ、なるほど。だから乗り気じゃなかったのか。

 ヒデくんは歌い終わると、「はあ」と深い深いため息をついた。

「何が辛いって、自分でもどう外れてるかが、ちゃんと分かってることなんだよな」

 どうやらジャイアンタイプではないらしい。いっそジャイアンのように堂々と下手な歌を歌えたら、ヒデくんも苦しまなくて済んだだろうに。彼は意気消沈、項垂れてしまった。

「その……なんか、ごめんね」

 申し訳なさそうなしーちゃん。しかし、「ごめん」の一言は、落ち込んだヒデくんの心に追い打ちをかける。まずい。どんどん雰囲気が悪くなっていく。私は思わず個室から飛び出した。


 もちろん、逃げ出したわけじゃない。こういうときは飲み物に頼るのがベストなのだ。私はドリンクバーに足を向かわせる。さて、何を入れようか。一見無難そうに見えるコーラは喉にあまりよくないから却下。かといってカルピスはちょっとベトッとするし、いつもみたくコーヒーを持っていくのは論外だ。私は思わず腕組みした。カラオケのドリンクって、意外と難しい。悩みに悩んだ末、一番喉に良さそうなアセロラジュースをコップに注ぐ。トレーにカップを三つ乗せ、個室に戻ると、案の定、部屋の雰囲気は最悪だった。

「ほら、二人とも。ドリンク飲んで元気だして」

 二人はアセロラジュースを少し飲むが、あまり表情が明るくならない。「やっぱりコーヒーじゃないとだめなのかな」と頭を抱える。はあ、しかたない。かくなる上は、と、しーちゃんからタッチパネルを強奪する。こうなったら、馬鹿みたいに思いっきり歌ってヒデくんを元気づけてやろう。

「えっ!? しょ、書記ちゃん?」

 くそ、歌える歌が全くない。ままよ、こうなったら……私はマイクをギュッと握りしめた。

「ほたーるのーひかーりーまどのゆーきーふみーよむーつきーひーかさーねつーつー」

 最初は呆然としていた二人だったが、少しずと忍び笑いが聞こえてきた。

「しょ、書記ちゃん。や、やめて。お、お腹痛い。あはは」

「な、なんで『蛍の光』、書記ちゃん、おもしろ、あはは」

 曲が終わり、マイクをテーブルに置くと我に返った。なんで『蛍の光』なんて歌ったんだろう。愕然とする私をよそに大笑いしている二人。私はアセロラジュースをヤケ飲みした。不慣れなことはするもんじゃない。やはり「身の程を知るべし」のモットーに則り、大人しくしているべきだったか。そう反省していると、ヒデくんが元気よく立ち上がった。

「よし、こうなったら俺も歌ってやるぞ。二人とも覚悟しとけよ」

 調子外れの歌が室内に響き渡る。本来あるべき歌の姿から絶妙に外れたその歌は、不思議と耳に馴染んだ。しーちゃんはタンバリンを箱から取り出し、ヒデくんの歌に合わせて叩き始めた。まったく、ひどい有様だ。だけど、と思いながら、私はもう一度アセロラジュースを飲んだ。調子外れの歌も悪くない。不格好で、みっともなくて。それでもこんなに愉快じゃないか。「身の程を知るべし」がモットーの私だが、今日ぐらいは「身の程」に合わぬほど、はっちゃけてやろう。私はグラスを置くと、タンバリンを手に取り、思いっきり叩き出した。

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書記ちゃんは推理しない 今田葵 @ImadaAoi

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