第5話、そして狩りは終わる。
グナはしばらく地面に仰向けで倒れたままだった。
槍を刺されてすぐに抜いてしまったこともあって、血は流れ続けているし、徐々に全身に力が入らなくなってくる。
(さて、どうしたもんかな。)
ジンニはおそらくすぐに殺されはしないだろう。
先程気絶させられたように見えたが、本人が油断しているならともかく、ジンニには原則打撃が通用しない。あれはただの演技で、意識は保っていたはずだ。
意識があるなら、少しの間ならジンニも身を守れるはず。
しかし、近接戦闘なら村随一のグナがこの様だ。
防御力こそ高くあれど、どちらかといえば遠距離型のジンニがそう長く持つとは思えない。
(と言うか、これはあれだな。俺がまずもたないな。)
グナは全身を真っ赤に染めて倒れているのだが、さっきから起きあがろうとする気力も失せてきた。痛みこそ最早麻痺しているが、体感的にはそろそろ失神してもおかしくない頃合いだ。
(ジンニのことくらいは村に知らせないとな……今後他の人たちが狙われるかもしれないし。)
こんな状況で、不思議と頭はよく働く。
(にしても、なんであいつらは俺を斬ってジンニは連れ去ったんだ?反抗したから?いや、ジンニも応戦はしてたしら最初からそのつもりだったはず。最初になんか言ってた気もするけど、はっきりとは聞こえなかったしな……)
頭は働くが、身体は動かない。グナが動く気すらも起こさずいた時、不意に
(!…………よりにもよって今来るのかよ……)
索敵範囲上に敵が現れる。
さっきの奴らではない。
それは、
(まあ、これが俺の本業なのか。)
あからさまにニエラの獣である。
数は一体しかいないが、気配からして虎型だろう。デカいし、速いし、一番面倒な形だ。
とはいえ、普段グナとジンニが二人とも万全で相手すれば、そんなに脅威になる敵ではない。
と、同時に、
(俺一人じゃ無理だと思うんだが……)
身体も碌に動かないグナ一人でどうこうなるとも思えない。
豊富な血の匂いに惹かれたのか、どんどんこちらに近づいてくる。
そして獣はグナを見つけると、そちらに突進してくる。グナの視界に現れた獣は、すぐさま腹に爪を振り下ろした。
振り下ろされた爪が地面に突き刺さる。
「流石に村には帰らないとな……」
逆に敵が現れたことで、却って気合いが入る。
ひとまず地面を蹴って攻撃を回避した。
「長期戦は無理だからな。」
ニエラの獣の目らしき場所に向かって、槍の先端を突き出し、ラクラリを乗せて押し込む。
これが命中すれば、普通の獣なら一撃でも致命傷が与えられるはずだ。
ニエラの獣がいくら頑丈だと言っても、流石に行動は抑え込めるはずだ。
まあ命中すればの話だが。
「っあ……!!」
流石は虎の姿をしているだけのことはある。死にかけのグナが放った一撃など、遅くて仕方がないのだろう。
余裕の身のこなしで回避されてしまった。
自らの撃った槍の重さで胸の傷が引っ張られ、痛みと出血が更に酷くなり、グナは思わず声を上げる。
そして、獣はもう一度腕を振りかざし、体勢を崩したグナの背中に殴りかかる。
「ぐっ……あ……」
背中にしっかりと、獣の鋭い爪が突き刺さる。
振り下ろされる腕に従って切り裂かれる背中の痛みと衝撃に、グナはそのまま吹き飛ばされる。
最期とばかりに、獣が倒れ伏したグナに襲いかかる。
「……っ!」
グナはその瞬間を見逃さなかった。というか、それを見逃せば命がなくなるので、なんとか隙を見出した。
飛び掛かられる直前に仰向けになり、勢い任せに体を起こし、頭から獣の腹向かって飛び込む。
そして、頭が獣の体に触れた瞬間。
「んっ……!!」
そんなことをやったことはないが、一か八かの頭突きラクラリを放つ。
その時出せる全力で放ったラクラリは、果たして獣の身体を浮かせる程の威力だった。
そのまま地面に倒れた獣に近づき、拾った槍で胸を突き刺す。
徐々に身体から立ち上る黒いものが少なくなり、やがて炎が燃え上がる。それは動いていた時の禍々しさとは対極の、綺麗で鮮やかに輝く炎だった。
やがて獣はわずかな灰のみに変化した。
しかし、そんなものをグナは見ていない。
どうやら、すぐ近くにブエルの花がたくさん生えているらしい。
起き上がることもままならないグナは、そちらを目指して地面を這うようにして移動していた。
「はぁ…………っはぁ………………」
息も絶え絶えになりながら、どうにか手足を動かす。
(くびおれるかとおもった……)
一番負担が少ないとされる蹴りのラクラリですら、連発できないレベルの疲労と痛みを伴うことが多い。
ましてや首でそんなものを再現すれば、下手したら自分が即時ご臨終になりかねない。
逆に言えば、それをいきなりやってまだ生きているのはグナの普段の修行の成果だろうが。
(もう……さすがにげんかい…………)
今のグナの状況を整理しておくと、
まず、謎の敵に槍で刺された腹部の穴が一つ。
次に、謎の敵に謎の武器で斬られた胸の傷が一つ。
そして獣に爪で付けられた背中の切り裂き傷が一つ。
つまり計三つの致命傷を負っている。
(しぬ……)
それはそうだろう。
少し血は止まり始めているとはいえ傷はかなり深く、本当に死んでしまいかねない。と言うか現時点においても、まだ生きてられる方がおかしい。
(ブエルの……はっぱ……)
「万能植物」ブエルの花。その葉っぱをすりつぶすと止血と鎮痛に効く。
近場に群生しているのを見つけた時から、グナはそれを最後の頼りにしていた。
(はやく……)
手当たり次第にブエルの花の葉っぱだけを摘み取る。片手にいっぱいになるまで集めると、近くの岩の上に乗せ、持っていた槍の柄で叩き潰す。
本来ならばそれを傷に貼るのだが、最早グナの場合貼るなんて悠長な話ではない。
潰した塊を傷に詰めるようにして埋めていく。
「はぁ……」
処置をしてからしばらく経って、ようやく傷口の痛みが引いてきた。
血が固まり始めて流血もマシになってきたが、グナの感じる痛みはひどくなる一方だ。ここまで戦い続けで興奮状態だったので比較的痛みを感じづらくなっていたのが、一息ついたことで解除されてしまったのが原因だろう。
「どうしようもないな。」
こんなに痛い思いをしたのは初めてだ。
怪我自体はそれ相応にしてきたし、数ヶ月前にも猪の牙に胸を刺されて死にかけたばかりだが、あの時ですらここまでは痛くなかった。
これだけの出来事があったが、時間はまだ日も昇り切らない朝だ。今は涼しいが、これから暑くなるとどんどん体力が削られてしまう。
(森の中ならそんなに暑さはひどくないだろうけど。とりあえず昨日の焚き火跡まで戻るべきだろうか)
戻ったところで何があるわけでもないが、このままここにいたって仕方がないので一旦そこまで戻ることにした。
激しく動くと痛みや出血が戻ってしまいそうなので、ゆっくりと体を起こし森の中に引き返す。
なるべく静かに動いたが、引き攣れた傷口のせいでまた少し血が流れる。
出発した時はあっという間だった距離が、ひどく長い時間がかかる距離になってしまった。
どうにか焚き火の跡まで戻ってきたところで、昨日の夜に食べた肉のことを思い出す。
「まだ少しは持ってるんだっけ…………あ……。」
基本的に狩りの間は一日一食だが、お腹が空いても嫌なので、少しは包んで持って歩くことが多い。
昨日も軽く干した肉を用意して包んでおいたのだが、持っているのはジンニだったと言うことを思い出して、なんともいえない気持ちになる。
軽装で激しく動くグナよりも、動きの少ないジンニの方が物を持つのに適していると言う理由でいつもそうしていたのだが、こんなことになるとは想定していなかった。
「獣本体は……」
流石に大きな獣の肉を全て食べることはできないので、一塊切り出した後の獣はそこら辺に置いておくのだが、流石に切れた獣を置いておくと蟻がたかるので、大抵一晩も経てば人間が食べたくない見た目になっていることが多い。
案の定、少し離れた位置に置いておいた獣の残りは、すでに切った断面が真っ黒に蠢いていて、できれば近づきたくない状態になっていた。
「別のやつがどっか途中にあったよな……」
何か口に入れないと危険だとはわかっているが、手元に何もない以上どうしようもない。多分内臓もやられてる気がするし吐き気もするが、それ以上に血が足りなさすぎる。
仕方がないので、村の方向に歩きながら自分が昨日狩った獣を探すことにした。
一本の槍を背負い、一本の槍を杖のようにしながらひたすら歩く。昨日は走った道なので、歩くと格段に遠く感じる。
幸か不幸か足をやられなかったので、歩くこと自体にはそこまで辛さを感じないが、あっという間に嫌な汗が吹き出し、みるみるうちに息は荒くなり、知らず知らずのうちに表情が厳しくなる。
陽が高く登る頃、ようやく
「あった……」
昨日の夕方、狩って保存しておいた獣を一つ見つけた。
獣というか鳥か。この辺りにはよくいる、なんなら一部家畜化したものが村の中でも飼われているものだ。
見た目が極彩色で異様に毒々しいが、毒はない。グナが両腕で抱えられるほどの大きさしかない上に、村の中にもいるので、狩って帰っても食料としての人気はあまりないが、今のグナにとってはとてもありがたい。
手早く槍で捌く。が、手に持っていた方は、戦いの中でだろうか、かなり刃が鈍になっていてよく切れない。
仕方がないので、背中に背負っておいた少しマシな方を取って使おうとしたところ、背負うために留めていた革の帯が切れてしまった。
手にとって見てみると、ニエラの獣に背中を切られた時に帯の一部が大きく傷ついていたようだ。
今、槍を外そうとした時の負荷で限界を迎えたらしい。
肩から巻いていた帯は諦めて、腰の帯に挟んでおくことにした。ついでに確認したが、腰の帯は傷んでいないようだ。
その代わり腰に巻いている布のふとももの裏あたりが大きく裂けていることに気がついた。
「はずかし。……とか言ってる場合でもないか。」
鳥を捌き終わって、肉を食べる。
本当なら焼かないと美味しくないのだが、火を起こすのにも体力を使うので諦めた。あまり美味しくないのであって、栄養補給の観点なら大した差はない。
あたりにブエルの花があったので、ほどんど乾いてしまった傷口の葉を交換する。
「あ〜しばらく寝たい〜」
本当ならもう寝てしまいたいのだが、日が高いうちに寝るのはむしろ致命的だ。
意識は保っておかなければならないし早く村にも戻りたいから、どうにか歩き続けるより仕方がない。
「血がたりね〜」
消化するのにも血を使うので、さっきまでより気分は悪くなった気がするが、体は動くし、どうやら内臓がそこまで痛めつけられていたわけではなさそうなので、まあ良いということにしよう。
食べ切れなかった分の鳥は、細かく切り分けて紐で括り、槍の先端に結んでおいた。
骨やその他の残骸の方は、勿体無い気もするがその場に捨てておいた。いずれ自然に帰るので気にしないことにしている。
その後は、もう延々と歩き続けた。
気温が高くなっても歩いて、歩いて、歩いて、傷口の葉を取り替えて歩いて、歩いて、陽が傾き始めても歩いて、日が暮れてからも歩いて、肉を食べて歩いて、歩いて、歩いて歩いて、葉を交換して歩いて、歩いて、肉を食べて歩いて、歩いて、月が高く昇っても歩いて、歩いて、歩いて、肉を食べて歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、肉を食べて歩いて、やがて空が白み始めても歩いて、歩いて、歩いて、歩いた。
ひたすら両手に持った槍を杖代わりにして歩いた。
どうしても疲れたら少しの間だけ腰を下ろし、そしてまたすぐに歩き始める。
そうして翌日の陽が傾きかけた頃、やっと村が見え始めた。
「よかった……」
一日だけで来た道のりが、昼から一晩、さらに次の日一日かかってしまった。
それでもなんとか生きて帰ってくることができた。
それからあとは大変だった。
奇しくもグナが帰りついたのは本来の狩りの日程と大体同じだったため、誰も異常には気付いておらず、いきなり血まみれのグナが一人で現れたので、村外郭の防衛部隊の人が気付いて大騒ぎになったらしい。
防衛部隊が、なんとか歩くグナをすぐに救護し、村の中心まで急いで連れて行った。
医者が、最早効果も怪しくなっていた応急処置を施し直して、改めて治療の準備を始める頃には、グナは体力が尽きて意識を失っていた。
そして次に目を覚ました時には、予定通り狩りから戻ってきて話を聞いたナブや他の狩人たちが押しかけてきていた。
そしてジンニが連れて行かれたこと。その敵は未知の武器を使ってきたこと。謎の乗り物に乗っていたこと。自分はその敵とニエラの獣に立て続けに襲われたこと。
それらを全て伝えると騒ぎはいっそうひどくなった。
結局他の狩人は当面狩りを中止し、防衛部隊と共に村の外側の防衛を強化することに決まった。
治療が長引きそうだったグナに関しては、他の狩人も見舞いには来てくれたが、基本的にはデラオが休みをとって看病についてくれた。
幼馴染の親友を失ってデラオも辛かったとは思うが、グナも全力で戦ったことは一目でわかったらしく、そのことについては何も言わずに世話をしてくれた。
無論守るだけではなく、村長も含めたありとあらゆる方法でジンニの捜索を試みたが、それらしい成果は得られなかった。
グナが家に帰れるまでには数十日かかったが、その間手がかりが見つかることも、謎の敵が再び現れることもなく、結局この事件は未解決。
伝説かつ最恐の事件として記録されることになった。
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