第3話、事件の日は始まる
翌朝、と言うには少々早い時間。
まだ朝日の気配はしない時間にグナは揺り起こされる。
「グナ〜。そろそろ変わって〜。」
「……ああ、ごめん。」
「ちゃんと服は着といてよ〜」
そのまま寝床から抜け出しかけて注意される。
起き上がって、ずれない様にもう一度布を巻き直す。
拾った槍を片手に寝床から退くと、
「じゃあ私寝るから、日が昇ったら起こしてね。」
「りょーかい。」
そう言ってジンニはさっさと寝てしまった。
グナは周囲に意識を向けて集中する。そうやって索敵してみたが、どうやら脅威になるものはいないようだ。
(あれ、薪があんまないな。)
昨日集めた分では少し足りなかったようだ。これでは日が明けきるまで持たないかもしれない。
近くにはまだ枝が落ちているので、一本手に取ってみる。
(……うん、若干湿ってるけど、このくらいならいけるかな。この辺りの枝を集めるか。)
昨夜の時点では火起こしからしなければならなかったので完全に乾いた枝を選んだが、このくらい火が燃えていれば、多少湿った枝でも放り込んでおけばそのうち燃える。
極力物音を立てないように気を付けながら、周辺の枝を拾っていく。
拾って、たき火から少し離れた所に集めてをしばらく繰り返す。
(こんなもので良いか。)
焚き火の前に腰を下ろす。まだ火力が落ちてはいないようだが、枝が乾き切るのにも時間がかかるので少しずつくべていく。
ふと思い出してジンニの方に目をやる。
既にだいぶ位置がずれ始めているが、まだ布からははみ出していないから良いだろう。
この寝相の悪さだけは本人も気にしているらしく、屋外で寝ることが多い身分故に如何ともし難いものがあるが、寝起きは良い方なので実害はそこまでない。
問題らしい問題といえば、布からはみ出て蟻に食われれば大問題なので、ジンニと組む者は必ず彼女を布の上に戻す、と言う役目がついて回ることになる。
あとは、木の上で寝なければいけない場面にでも出くわせば致命傷になると思うが、そんな場面は今の所ない。
(さーて、あたりが平和なのは何よりだけど……ん?)
ふと、グナの背筋が凍る。
遥か遠くの方、まだグナといえども索敵しきれないくらいの距離から、奇妙な音がし始めたからだ。
クヮーン、クヮーン、クヮーン
小さな割れ鐘を打っているような、あまり心地の良い音ではない。
(なんだアレは……まさか、昨日の連絡にあった「奇妙な音」ってアレのことだったのか?)
だとすれば確かに奇妙だ。あんな音は確かに村の外では聞いたことがないし、ましてやニエラの獣があんな声を上げるとは考えられない。
(近づいてくる!?)
反射的に槍を掴んで構えていた。何かあったら、すぐにジンニを起こして逃げ出そうと覚悟する。
少しずつ、音が近づいてくる。
かと思われたが、少しすると音は遠ざかっていった。
どうやらグナたちから離れた場所を、別方向に向けて一直線に進んでいたようだ。
槍を握っていた手を一旦緩める。
一旦心を落ち着けて、もう一度たき火の前に座り直す。
(あんな音を出す獣なんているわけがない。何か人工的な音なのか……でも、マルソの民なら夜中にこんなところを彷徨くわけがないし……)
マルソというのはザルカとは友好関係にある隣村だ。と言っても数百キロメートル離れているが、間に何もないので隣村である。
(マルソの者でないとすれば他の村か……いや、その可能性も低いのか。でももし仮にそうだとすれば、間違い無く敵対的なものということになる。そうだとするならば、今は安全でもこの状態がいつまで続くかわからないな……)
そしてグナは判断を下す。
グナの決断は、このままここに留まることだった。
というのも、先ほどの音の動きから察するに、敵と思しき存在の移動速度は実はグナたちが本気で走るよりも早いのだ。
ならば少しでも早くに逃げ出した方がいいかとも考えたのだがしかし、そうしたところで相手の現在地が不明な以上、本当に逃げることが出来ているかの判断がつけられない。
であれば、ひとまずこの場に留まり、可能な限り休息をとっておくことが重要だと判断したのだ。
そのままグナはジンニには声を掛けず、周囲の索敵を続けながら夜明けを待つことにした。
その後も警戒を続けたが、どうにか何事もなく夜が明け始める時間になった。空の端が徐々に白く変化していく。
まだ少し早いかとも思ったが、ジンニともこの話は相談しなければならないのでそろそろ起こすことにした。
「ジンニ、起きてくれる?」
「ん、わかった。」
そう言ってのそのそとジンニが起きてくる。
「服着といてね。」
「あ、」
やっぱり布からも這い出そうとしてくるので、一応制止しておいた。なんだか昨晩同じことを言われたような気がするが、まあ気のせいということにしておこう。
「……おはよう。ちょっと時間早くない?」
「夜中に異常があったから、それについて話し合っておきたいと思って。」
「え、異常?私起きた記憶ないけど、大丈夫なの?」
「うん。起こさないでおいた方がいいと思ったからそっとしといた。」
「何があったの?」
夜中の事件の話を伝えた。
それは聞いたジンニは深刻そうな、というか諦めたような顔になった。
「やっぱり、何事も起こらなきゃいいと思ってたけど、そうはうまくはいかないか。
しかも移動してたなら間違いなく何か行動を起こすものだろうし、その速さが私たちより速いって……」
「相手の状況は全くわからないから、警戒を強める以外の対処法はないと思う。矢の手入れはしてある?」
昨日倒した獣たちに使った矢は回収してあるので、再利用のために手入れはしておかなければならない。
「もちろん。昨夜のうちにやってある。とは言え、敵が人間で尚且つ複数だったりすればこれでも足りるとは限らないけど……」
「その場合はなるべく俺が倒す。もし俺で間に合わなさそうな敵が来た時に援護するのが妥当な作戦だ。」
「そうね。覚悟だけはしておく。」
焚き火の火を消して後を土に埋める。森に火事を起こすようなことがあっては危険なので、そう言ったところにも手を抜かないように気をつける。
「じゃあ、出発しようか。」
「そうだね。」
昨日来たのとは逆の方向、つまり村から離れる方向に再び進む。
やや駆け足気味で、尚且つ周囲の警戒を強めながら移動する。
狩りに出る回数はこれで幾度目かわからないが、周辺の環境は一年も経てば激変してしまうし、五十人以下の狩人で外周数十キロメートルの村の周辺を警戒しなければならないので見知った土地というのは基本存在しない。
だから後どのくらいで森を抜けられるのかもわからなければ、目の前にどのような危険が待ち伏せているかは全く予想できない。
しばらく走っていると、少しずつ木がまばらになってきた。
「そろそろ森を抜ける頃かな。より警戒を強めるよ。」
「わかってるよ。」
これまでは、森の中なので敵からこちらは見えにくい。加えてグナの索敵能力はかなり高いので、敵に先手を取られる危険性はかなり低かった。
しかし森を抜ければ低木と草しかない。敵からこちらの動きを察知するのがより簡単になってしまうので、迂闊に動いているとどんな攻撃をされるかわかったものではない。
「よし、そろそろ……」
「?」
グナは突然、駆けていた足を緩めた。
「何かあったの?」
「前方に何かある。」
前方を睨みつけながらグナがそう言った。
「ある?いるじゃなくて?」
グナはゆっくりを歩を進めていく。
「生きた獣や人間の気配じゃない。動いているわけでも敵意があるわけでもなさそうなんだけど、何かがある。」
ジンニはグナが何を言おうとその判断を疑いはしない。
グナには必ず何かが明確に見えているとわかっているからだ。
グナは一旦歩みを止めた。
「この先、五十歩のあたりにあるみたいだ。武器は念の為構えておいて。」
「了解。」
二人はそれぞれ槍と弓を構えながら進んでいく。
そして丁度五十歩目、丁度森を抜け、短い草だけが並んでいるエリアに出た時。
右手にそれは倒れていた。
「は?」
「は?……ニエラの……獣?」
そこにあったのは、牛のような姿をしたニエラの獣の死骸だった。
体からはまだ微かに黒い煙のようなものを立ち上らせているが、明らかに動く気配は感じられない。
「何が……あった?」
この辺りに他の狩人も、ましてやザルカ村の住人もいるはずがない。
ニエラの獣を倒せるような野生の獣もいないはずだ。
もし仮に、そのどちらかがいたとしても、彼らが持っている武器は、槍や弓や刀、あるいは自前の角くらいだ。
そしてそのニエラの獣は、そんな武器ではあり得ないような、生物の所業とは思えない方法で倒されていた。
「一体誰が……いや、どうやって?」
そのニエラの獣の死骸は、体を恐ろしく綺麗な断面で、三つに分割されて死んでいた。
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