第2話、この日までは
それは、遡ること三年前。
その日はいつもの通り、獣の狩人たちが狩りに出発する日だった。
まだ日も明け切らない早朝。
村の外周に位置する場所で、各々の装備を揃えた獣の狩人たちが集まっていた。その数総勢三十八人。皆で円になって立っている。その中に、グナとジンニも並んでいた。
リーダーらしい狩人が話をしている。
「最後に、いつも言うことだが、くれぐれも命を落とさないように。各組、最大限の注意を怠るな。
ニエラの獣はいつどこでどのようにして現れるか、決して予想ができない。勝つことが無理だと思ったら逃げるのも勇気だ。絶対に無理をするな。
俺からは以上だ。他に何かあるか?」
すると、円の中の狩人の一人が声を上げた。
「ナブさん。そして皆さんに伝えておかないといけないことがあります。」
「なんだ?」
「昨晩北部の村の防衛部隊から連絡がありました。内容は「村の外から今までに聞いたことのない音がした。正体が何かは全くわからないが警戒してほしい」とのことです。」
「聞きなれない音だと?」
ナブというらしい狩人が聞き返す。
「はい。それ以上の情報はありません。」
「ニエラの獣ではないのか?連中は奇声を上げることもしばしばだが。」
「彼らも防衛部隊です。我々ほどではないにしろ、ニエラの獣のことは知っているはず。その彼らが聞いたことがないというのですから、きっと本当に未知の音なのでしょう。」
「それもそうだな……他に連絡のある者は?」
今度は誰も声を上げない。
「今の情報に関しても、十二分に警戒をしろ。もしかしたら未知の脅威が現れたのかもしれない。くれぐれも自身を過信しないように。」
「「「はい!」」」」
「では出発。各々事前に知らせた方角に進め!」
こうして狩人たちはそれぞれの決められた方角へ進んで行った。
村の外の世界はサバンナと森が交互にあるような奇妙な土地になっている。その森のような部分の木々の間を縫うようにして、グナとジンニは進んでいた。
ジンニは、獣の狩人専用の柄の布を身に着け、腰の周りとたすき掛けの位置を革の帯で止めた姿だ。村では極めて珍しい黒に近い茶色の髪を三つ編みにして、腰の帯に挟み込んでいる。
背丈はグナと同じくらい。薄い褐色の肌で、細くは見えるが鍛え上げらた筋肉が伺える。
背中には矢立と弓を背負っていて、遠距離攻撃向けに見えるが、実は腰帯にはいくつもの鋭い短刀が隠してある。
一方でグナは、腰にジンニと同じ柄の布を巻き、腰とたすきの位置を革帯で止めている。
ザルカ村では男も女も、別に上半身を布で覆うことが礼儀だとはされていない。どちらも下半身さえ隠せば問題ないということになっている。
だが村の男や狩人でも上裸のものはほぼおらず、基本肩まで布を巻くことが多いので、作法的に問題が無いとはいえ普段から覆うのが下半身だけのグナはかなり珍しい姿といえる。
背中で長い銀髪を三つ編みにしているが、どこにも留めず揺らしている。
武器は槍が二本。一本は背中に背負い、もう一本は右手に持って歩いている。
二人は辺りを警戒しつつも、一見そんな素振りは見せず会話しながら歩いている。
「ねえグナ。未知の音って何だと思う?」
「さあ。ナブさんが知らないことは俺も知らないからね。」
「新種のニエラの獣だったら厄介だよね。」
「新種も何も。あいつら種類なんてあってないようなもんじゃん。」
ニエラの獣は、特定の形をした生物の種類ではない。
同じ形はないのではと思うほどに多種多様な見た目をしている。
唯一の共通点は、普通の獣より圧倒的に凶暴で、必ず全身から黒い煙のようなものを立ち昇らせていることだ。
肉食獣という訳ではないらしく、人を襲っても食べるわけではないので、余計に正体がわからない。
かつて、今ほど警備が整っていなかった時代。村の中に一頭が侵入し暴れた時には、その都度死者は二十人を下回らなかったという言い伝えもあるほどだ。
その時、村長のマレウ様は怪物の正体を占おうとしたという。
しかし、いつものような結果は返って来ず、唯一結果に表れたのが「ニエラ」という言葉だったそうだ。
その日から、そういった怪物は「ニエラの獣」と呼ばれている。
「それもそうか。とは言ったってやたらとデカいのとか出てきたら困るけどね。」
「今更っちゃ今更の話。何回蹴り殺されかけたことか。」
「まあ何が出てきたってm」
「二十七度!」
グナがそう声を発した瞬間、ジンニは後ろを振り返り、さっきまで背負っていたはずの弓を構えていた。すでに矢もつがえられている。
同時にグナは正面を向き槍を構える。
「……」
沈黙したままジンニが一本だけ矢を放つ。
その方向からドサッという音がした。
「……警戒やめ。」
「なんだったの?」
「猪。」
「流石。私じゃ姿も見えない奴の正体が何かなんて察せないね。」
「そんなこと言うけど、俺だって姿の見えない敵を声も上げさせずに倒したり出来ないね。」
念の為まだ低い位置で武器を構えつつ、二人はそちらへ向かう。
音がした場所に着くと、ジンニが言った通り、体長二メートルはありそうな猪がひっくり返っていた。
この規模の猪に後ろから不意に頭突きされたりしたら、ニエラの獣と戦う狩人といえども怪我では済まないだろう。
グナは身動き一つしない猪を屈んで眺めながら呟く。
「これを矢一本だけで倒すとはねえ……」
「私が倒したから、後処理はよろしく。」
「りょーかい。」
ジンニは、猪に刺さっていた矢を抜くと、足元の草で軽く拭い矢立に開いているもう一つの穴に差した。
三日間連続の狩りだが、使える矢は限られているので可能なら矢は回収して再利用する。骨に当たったとしても壊れないように剛性の高い合金で作られているし、血で鈍らになったときに削る道具も持ってきている。
一方グナは、腰の帯についている袋から木箱を取り出した。木箱を開けると短くて鋭い針がたくさん入っている。
そこから針を五本取り出すと、猪の体の各所に刺していく。
この針の先端には専用の薬剤が仕込まれている。
どこにでも生えている「ブエルの花」の葉にある手順で加工を施して作られる薬剤なのだが、この薬剤を一定量生物の血液に混ぜておけば、死んだ獣も半月程度なら腐ることがない。
この処置をしておくことで、三日目に戻ってきたときに回収しても食用にできるようになるわけだ。
このあたりには肉食の獣はいないので、放置しておいても食い荒らされる心配はまずない。
生きて動いていればニエラの獣が襲うこともあるようだが、死んで動かないものにニエラの獣は襲い掛からないらしい。
「これで大丈夫なはず。」
「じゃあ次いこっか」
「そうだね」
その後も獣を6頭ほど狩った。結局その日はニエラの獣には出会わないまま、日が暮れてきた。
「さて、そろそろ暗くなってきたね。」
「この辺で休む?」
「そうね。じゃあ火でも起こしましょうか。」
そう言ってジンニは少し前から拾い集めていた枯れ枝を使って焚火を起こし始めた。その間にグナは辺りからブエルの花を摘んで集める。
先ほども出てきたブエルの花だが、この植物はどこにでも生えている雑草のような植物でありながら、「万能植物」と呼ばれることもある、とても様々な能力を持った花だ。調味料にすらできる。
ブエルの花は非常に特徴的な見た目をしている。花の色はオレンジに近い赤で、花弁が五枚ある。そのうち四枚の花弁は先端が丸くなっていて、これをすりつぶすと甘味料になる。後の一枚の花弁だけは先端がとがっていて、これをすりつぶすことで塩の代わりに使うことができるのだ。
なぜこのような奇妙な形になったのかはよくわからないが、こちらとしては便利なことこの上ないので適度に活用させてもらっている。
ブエルの花がある程度集まると、今度は腰から短刀を抜き近くにあった鹿を捌き始めた。近くにあったも何も、ついさっき狩ったやつなのだが。
ちなみになぜ花を先に摘んだかというと、鹿を捌くのが少し億劫だったからだ。
肉を捌き終わり、調理できるくらいになった時にはもう日は沈み、火は良い感じに燃えていた。
「はい。ブエルと肉。」
「ありがと」
ジンニが肉を焼いている間、グナはきちんと周囲を警戒している。獣は火を恐れるし、ニエラの獣も夜はあまり活動しないと言われてはいるが、村の外では何が起こるかわからないので一応気を付けておく。
「ほら、焼けたよ!」
「ありがと」
ようやくグナは地面に腰を下ろす。
背負っていた二本目の槍は邪魔になるので近くの木に立てかけたが、一本の槍は自分の利き手のすぐそばに置いてある。
朝村を出てから基本何も食べていないので、流石に空腹だ。
二人で焼きあがった肉を食べる。
「若干血抜きが甘かったかな……」
「そう?十分じゃない?もちろんちゃんと吊るして血抜きできるのが理想だろうけど……」
「まあ、そう言ってくれるならそういうことにしておこうか。」
すぐに食べ終わると、今度は寝床を用意する。
湿気は敵なので、焚火の近く、火が燃え移らない程度の距離に乾いた細い枝を敷いて簡単に床にする。面積は一人分。
「先にグナ寝ていいよ。なんかあったら蹴っ飛ばすから。」
「わかった。そうさせてもらう。……いや蹴らなくても起きるけど?」
実際に寝るときは、枝に直接寝ると痛いので、衣服にしていた布を使う。グナなどは腰に巻いているだけだが、実際布は全身を覆ってもなお余るほど大きいので、それを畳んで敷いて眠る。
この布の柄の染付に使われている染料は虫よけの効果もあるので、蟻などの被害はこの布で防げるという優れものだ。
そもそもの話、遥か南の土地では虫が多いと言われているが、この辺りでは虫が絶対的に少ない。
地中に住む蟻などの虫は割と多いが、蚊や蠅などの飛ぶ虫はほぼ見かけないし、実際グナも刺されたことは一度も無い。地面だけ気にしておけば上からの攻撃はそこまで気を使わなくて済む。
この布も昔からの細かな工夫があって生まれたもので、こうした道具のおかげで今の狩りは随分楽になっているらしい。
いつ戦闘が始まるかわからないという特性上どうしても身軽さを最優先しなければならないこの仕事は、こうした工夫がなければ今の比ではないほど大変だっただろう。昔は睡眠を取る時に横になることすらできず、木の幹に寄りかかって仮眠をとるだけだった時代もあるらしい。
今の環境なら、狩りの期間ももう数日伸ばしてもなんとかなるだろうが、いまだに三日と定まっているのは、装備が足りなかった昔の名残だそうだ。
「じゃあ、先に寝る。適当な時間になったら起こして、蹴らなくていいから。」
「わかったよ。おやすみ」
「おやすみ」
肩と腰の帯を外して近くの木にかけておく。
槍は寝る時でも、万が一何かあった時にすぐに取れるように一応近くに置いておく。
布を解いて広げて敷き、体にも掛けるようにして横になる。
焚き火の音だけがする中、静かに眠りについた。
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