第8話 再びタイムリープ①

 高校二年の頃にタイムリープし伊吹と付き合うようになってから数日が経ち、お休みメールを彼女にしてから就寝するのが日課になっていた。

 部屋を暗くしてベッドに入り込み天井を見る。実家の俺の部屋の天井。その懐かしい光景を懐かしいと思わなくなってきた今日この頃。

 最初は三十歳の頃に戻ってしまうんじゃないかと気が気じゃなかったが、そんな事は無かった。


「ふわぁぁぁぁぁ! 寝よ……」


 睡魔が襲ってきて意識が海の底に沈むように落ちていった。




 まどろみの底に沈んでいったはずの意識が急に覚醒を始めて目を開けると信じられない光景が視界に入ってきた。

 俺はスーツ姿になっていて空は夕暮れ時なのかオレンジ色に染まっている。マンションが並び立っている住宅街の歩道を俺は歩っていた。


「……あれ? ここは……」


 自宅で寝ていたはずなのにいつの間にか外にいる。しかも夜中だったのに今はどう見ても夕方だ。

 それにこの場所には見覚えがある。俺が一人暮らしをしていた町の一角にあるマンションが並び立っている区域だ。

 若い夫婦をメインターゲットとしたマンションで、近くにある公園には子供連れの家族がたくさん訪れていた。


「どうしてこんなトコにいるんだ俺は……ん?」


 ポケットに何か入っていたので取り出してみるとスマホだった。高校生の頃にはなかったはず。

 この状況ってまさか――。


「俺――戻ってきたのか?」


 ショックだった。高校生に戻って伊吹と付き合うようになって、これから二人で色々な所に行って色んな経験をしたいと思っていた矢先の事だった。


「何だよこれ。……また、独りだった三十歳に逆戻りかよ……」


 以前は独りで多少寂しいと思っても何てことは無かった。でも、誰かが寄り添ってくれる生活を知った今の俺にとって、あの孤独は耐えがたいものに変わっていた。

 正直泣きたい。こんな思いをするぐらいなら最初からタイムリープなんてしないであのまま生きていた方がマシだった。


 このマンションの辺りは俺が住んでいるアパートから少し離れている。何故こんな所にいるのか不明だ。

 公園で幸せそうに遊んでいる家族が眩しく映る。これ以上ここにいたら本当に泣きそう。


「……帰ろう」


「パパー!」


 公園の風景が視界に入らないようにして、自分のアパートの方を目指して歩き始める。


「パパー! パパったらー!」


 さっきからどこかの女の子が父親を呼ぶ声が聞こえる。一体、何をやっているんだそいつは。とっとと子供の所に行ってやればいいのに。

 とにかく、この辺りの幸せファミリーの雰囲気はそれだけで俺を始末できそうだ。迅速に退避しないと――マジで心が死ぬ!


「えへへー。パパつかまえたっ!」


 小さくて柔らかなものが俺の手を握りしめた。見下ろすと、そこには小さな女の子が笑顔で俺を見上げていた。

 その子は小さな手で俺の手を握っている。俺を父親と間違ってしまったのだろうか。

 それにしてもこの子は誰かに似ている。艶やかな黒髪に子供ながら整った顔立ち、ちょっと垂れ目で大きな目。きっと大きくなったら美人になるだろう。


 成長したらきっと――。

 この少女の成長したイメージが何故か伊吹と重なる。一体どうして?


「お帰りなさい、あなた」


「……え?」


 声のした方を見ると夕日をバックに一人の女性が立っていた。亜麻色の長い髪をシュシュで一本にまとめてサイドテールにしている。

 手に買い物袋を持って俺の方に歩いてくる。


「ママー、パパかえってきたよ!」


「ええ、そうね。パパがお仕事から帰ってきて良かったね、【千歳ちとせ】」


「うん!」


 少女は女性のところにせわしなく走っていって手を握る。二人は呆然と立ち尽くす俺の目の前まで歩ってきた。

 勘違いなんかじゃない。この二人は俺に話しかけてる。それにこの女性は間違いない。


「――伊吹?」


「どうしたの、あなた? あたしは伊吹だけど、どうかした?」


 彼女は紛れもなく伊吹だった。大人になって以前より落ち着いた雰囲気だが、特徴的な垂れ目は変わっていない。

 相変わらず可愛らしさと綺麗さを併せ持った美人さんだ。


「え……でも……どうして伊吹がここに?」


「……? 結婚して一緒に暮らしているんだから当たり前でしょう?」


「ママー、パパなんか変だよ?」


 二人は不思議そうな表情で俺を見ている。この状況に俺の頭が追いついていかない。


「きっとパパはお仕事でヘトヘトなのよ。ご飯を食べれば元気になるわよ」


「そうだねぇ、今日のおゆうはんはシチューだよぉ。千歳、シチューすきぃ!」


「さぁ家に帰りましょ、あなた」


 そう言うと千歳が空いている手で俺の指を握りしめた。戸惑いながらも千歳を中心にして三人で歩き出しマンションの方に向かっていく。

 

「それ持つよ」


 伊吹が持っている買い物袋を半ばかっさらうようにして持つ。中にはじゃがいもやにんじんに鶏肉など、シチューに使う材料が入っていてそこそこ重かった。


「ふふ、ありがとう。あなたのそういう優しいところ大好き」


 伊吹がニコニコしながらお礼を言ってくる。女子高生の時とは違う大人になった彼女の色香にドキドキしてしまう。

 本当に俺は彼女と結婚したのか? というか、それまでの過程はどうだったんだ。知りたいことが多すぎる。


 マンションの五階までエレベーターで移動し降りると初老の夫婦とすれ違った。


「あらあら、今日も仲良しねぇ。時任さん今、お仕事から戻ったの?」


「え、ええそうです」


「それじゃ、これからお夕飯なのね。それじゃ、私たちはこれで」


 親しそうに話しかけてきた夫婦はエレベーターで下りていった。今の感じだと普段から交流があるようだ。

 以前とは全然違う環境に戸惑いながら入り口の扉を開けると、あのアパートとは違う広々とした部屋が視界いっぱいに広がる。

 それでいて清潔感があって何より温かい雰囲気が溢れていた。

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