第7話 時任家の食卓事情 後編

「あんたが好物だと言った、このだし巻き卵も煮物も唐揚げも……実は私が作ったんじゃないのよ。私は米をといで炊飯器にセットしたのと味噌汁を作っただけよ。――もちろん顆粒だしでね!」


「いや、鰹節かつおぶしから出汁を取るとかそこまで求めてないよ。顆粒だし万歳!」


 母さんの突然のカミングアウトの衝撃で、もはや自分が何を言っているのか分からない。

 取りあえず、だし巻き卵を食べながら状況を整理しよう。

 あー、やっぱりこれ美味いわぁ。でも信じられるか? これお袋の味じゃないんだぜ。正体不明の誰かが作った味なんだぜ。


「翔、あんたも憶えてると思うけど私の料理の腕は、はっきり言って大したことはなかった。でも今から二年前、ある人物と出会って料理を教わるようになったのよ。今、あんたが美味しい美味しいって言って食べているだし巻き卵も、熱く語った煮物もその先生が作ってくれたものなのよ。アンダースタン?」


「……それって料理教わってないじゃん。その先生って人に作らせてるだけじゃないか。……え? ってことはその人、朝からうちに来て朝食作ってくれたの? マジか!?」


「毎日先生の手を借りてる訳じゃないわよ。昨日の朝食は私が全部用意したし」


 胸を張ってドヤ顔する母。どれだけの頻度で他人にうちの食事を作らせてるのかは分からないが、その先生と呼ばれる人物の人の良さと料理の腕に畏敬の念を覚えた。

 これは何か高級なお菓子でも買ってお礼を述べながら渡さねば俺の気が済まない。


「母さん、その先生って人に会いたいんだけど。こうしてうちの食卓事情を救ってくれた神のような人だし、何かお礼をしないと駄目だろ。――そう思うよな、父さん、結!」


「「――え?」」


 決意を胸に二人を見ると、親父と妹は伊吹にご飯をよそってもらっていた。


「お前等、俺の話を聞いてた!? それに、なにお客様にお代わり要求してんだよ! 伊吹ちゃんもこいつら甘やかさなくていいから!!」


「え、でも、やっぱり美味しいって言うて食べてもらえると嬉しくてつい……」


 終始ニコニコ顔で父と妹の茶碗にご飯をよそう伊吹。その発言が引っかかる。すると父と妹が俺に食ってかかってきた。


「全くお前ときたら、自分のことは棚に上げて何を偉そうに言ってるんだ。この家で一番偉いのは伊吹ちゃんなんだぞ。ちなみに一番偉くないのはお前だからね」


「お兄ちゃんだってずっとご飯が美味しいって褒めてたじゃない。伊吹の恩恵を受けているのはお兄ちゃんも同じなんだからね。そこんとこよろしく」


 ……ちょっと待て。何だか皆の発言を聞いてると、料理を教えてくれてる人物の正体に行き着いたんだが。

 でも年齢的な事を考えるとにわかには信じられない。だってその人は昨日高校生になったばかりの子だぞ。


「あの……もしかして、その料理の先生って……伊吹ちゃん?」


 震える声で彼女に訊ねると頬を赤く染めてはにかみながらコクンと頷いた。

 この瞬間、俺がずっとお袋の味だと思っていた我が家の食事が伊吹の味だと確定した。


「嘘だろ……だって二年前から料理を教わってるって……ん、二年前?」


 伊吹がこの町に引っ越してきたのは二年前、それから結と仲良くなってうちに遊びに来るようになったのも二年前。

 定期的に我が家に通っている人物は彼女くらいしかいない。

 全ての辻褄が合い、俺は三十歳になっても知らなかった我が家の新事実を目の当たりにして愕然とした。


 俺んちは既に伊吹なしでは生きていけない身体になっていたんだ。ものの見事に家族全員が伊吹に依存して生活している。

 それは悲しいかな俺自身もそうだ。ずっと絶賛している料理は彼女が丹精込めて作ってくれた物だった。

 既に俺の胃袋は彼女に掌握されていたんだ。


 そしてタイムリープ前の事を思い出した。伊吹がうちに来なくなってから我が家の食事はわびしくなり、家族の俺に対する態度も心なしか冷ややかだった。

 それってつまり俺が彼女を邪険にしたからに他ならない。


「なんてこった……。俺んちの人間は全員現役女子高生の助けを借りて生きていたなんて……」


 愕然としながら煮物を食べる。――ちくしょう、美味すぎる! 一晩経って具材に味が染みて夕飯の時より更に美味くなってやがる。

 この子は何でこんなに料理上手なんだよ。中学二年の時点でうちの母に料理教えられるとか何者なんだ!?


「その……先輩、ウチの料理気に入ってくれた?」


 伊吹が怖ず怖ずといった感じで直接俺に料理の感想を訊いてくる。はっきり言ってそれは愚問でしょうよ。


「俺はずっと母さんの料理は美味しいと思ってたんだ。焼き物、煮物、汁物……そのほか全部。だから、それは伊吹ちゃんの料理が美味しいと言ってるのと同じな訳で……つまり伊吹ちゃんの料理はすんごい美味しいという事です。知らなかったとは言え、いつも素晴らしいご飯を作ってくれてありがとうございます」


「そんな……へへ、先輩が美味しい言うてくれて良かったぁ」


 伊吹は本当に嬉しそうに太陽のような笑みを見せてくれた。こんな良い子を突き放していた以前の俺をぶん殴ってやりたい。

 ふと視線を感じてその方を見ると、母さんと父さんがニヤニヤしながら俺たちを見ていた。


「そういえばあんた、伊吹先生と昨日から付き合い始めたんだって? 先生を泣かしたらご飯抜きだからね」


「伊吹ちゃんみたいな可愛くて、料理上手でエロい身体をした子がお前と付き合ってくれるなんて、人生で最初で最後なんだから何が何でも手放すんじゃないぞ。石にかじりついてでもしがみつくんだぞ」


「母さんが普段から伊吹を先生って呼んでるのは分かる。――でも、父さんは最後に本音が漏れすぎだろ。なに女子高生相手にエロいとか言ってんだよ! バカなの!?」


 この後両親とプチ喧嘩をしてから家を出ると昨日と同じく伊吹と結が楽しそうに会話をしながら俺の前を歩いていた。

 どうやら伊吹は昨日の高校デビューでコギャルとして同級生に認知されたらしく、今後しばらくはこのキャラでやっていくらしい。


 そもそも、元々大人しい性格だった伊吹がどうしてコギャルになったのかというと、過去の俺の発言が原因とのことだった。

 俺がハマっていたアニメのヒロインが金髪ギャルで、「やっぱ金髪は最高だぜ」的な発言をしていたらしく、それを真に受けた伊吹が俺の好みに寄せようとして髪を染め言葉遣いもギャル風にしたそうな。

 ぶっちゃけそのアニメのヒロインはギャルというよりはツンデレ少女だったのだが、それを話すと伊吹のキャラ崩壊を招きそうなので黙っておく事にした。


 高校の近くまで来ると結と話していたはずの伊吹が俺の側までトコトコ歩いてくる。どうしたのかと思っていると爽やかな笑顔で俺の顔をのぞき込んだ。


「先輩、これから末永うよろしゅうお願いします」


「……っ! こちらこそよろしく」


 伊吹と結は俺に手を振りながら一年生の教室の方に歩いて行った。彼女の後ろ姿を見ているとさっきの親父の言葉を何故か思い出した。

 『あんなに可愛くて料理が上手でエロい身体の子が付き合ってくれる事なんて二度とない』――悔しいけどその通りだ。

 っていうか、今後俺に彼女ができる可能性が無い訳で。


 あの寂しい独り身だった俺の人生が伊吹と付き合うようになってどんな風に変わっていくんだろう?

 タイムリープをして早々に変化した俺の高校生活がどうなるのか楽しみに思いながら自分の教室へと向かった。

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