真実

 広場から離れると人の声はたちまち小さくなっていき、辺りはしんとした静けさに包まれた。クロウはしばらくの間沈黙を保っていたが、やがて口を開いた。


「みんなが怒るのも無理はない。あんたが肉とかを食べたがらないのは勝手だけど……せっかくの好意を無碍にされたら誰だって面白くはないからな」


 彼の言い分はもっともで、ラーサは弁明の言葉もない。けれど、彼女にだって事情はあるのだ。


「あたしは食事はいらないのよ。食べたいとも思わない」


「でもまるっきり食べないわけじゃないだろ」


「……水くらいなら」


「ははっ、仙人かよ」クロウは一笑に付した。「でも、後でみんなには謝っておいたほうがいいだろうな。あんたにはわからないかもしれないけど、今日の食事は滅多に見ない大奮発だったんだ」


「……うん」


 ラーサは頷いた。


 クロウも話はそれで終わりだ、というように頷いた。


「それで……長老ってどんな人なの?」


 ラーサは空気を変えるように訊ねた。


「〈グローリア〉の人間全員から尊敬されてる人だよ」クロウは答えた。「誰よりも長生きで、知らないことはないってくらいに賢い人だ。……まあでも、実際に会ってみたらちょっと驚くかもな」


 クロウはニヤッと笑った。宴が始まる前に見せた笑顔と似たような顔だった。


「その顔嫌いだからやめて」


 ラーサは冷ややかな視線を向けて言った。「それはひどくないか?」とクロウの嘆きが聞こえて、ほったらかしにされていた怒りの溜飲が少しだけ下がった。



    * * *



 クロウが向かっているのはコロニーの中心地だった。そこではこの辺りの木々の中でもっとも巨大な大樹が聳えている場所でもあった。


 近づくと、大樹は幹の半ばほどから巨大な土壁のドームで覆われていた。コロニーの建物の構造と似た形だ。違いとしては、真ん中に穴が空いていて大樹を邪魔しない形になっているということか。


「長老はあの中だ」


 クロウはドームの中に入っていく。ドームの中に入ると、途端にひんやりとした空気に変わった。外気温との差が著しいのだ。


「うわ、外と比べると随分と涼しいね」


「そりゃあそうだろ」クロウは壁を指差した。ドームの中の壁は外壁の印象と異なり、白い光沢を帯びたタイル張りになっていた。「あのタイル一枚一枚が外気の熱を遮断しているんだ。家の中まで外と同じ気温だったらとてもじゃないが生活できないからな」


 大樹の根本まで行くと、頭上を覆っていた天井が途切れて空から夕陽の光が差し込んできていた。


 間近までくると、ラーサにもその大樹の異様さがわかった。優に二〇メートル以上はありそうな高さもさることながらが、彼女の度肝を抜いたのは太さだった。一見すれば何本もの木が密集して生えているように見えなくもないが、よくよく見ればそれぞれが一本の幹から枝分かれするように伸びていることがわかる。幹周りは直径二〇メートルはありそうだった。縦幅も横幅も同じように巨大すぎて、全体的にずんぐりとした印象を与える大樹だった。


 視線を上から下に向ければ、大樹の根本にはちょっとした花畑が広がっている。辺りに陽光を遮る邪魔な木々もなく、天蓋のようにぽっかりと空いたドームの穴から入ってくる日光をふんだんに浴びていれば元気な花々も咲くというものだ。


 一層赤々と燃え出した夕陽が天蓋から差し込み、大樹と根元の花々を赤く彩っている光景にラーサは息を呑み、綺麗……と口の中でつぶやいた。


 でも、とラーサは辺りを見回した。数人の男たちがドームの中で控えるように立っていたが、彼らは誰もが三〇から四〇代半ばといった具合で、とても『誰よりも長生き』には見えなかったのだ。


「それで、長老さんはどこ?」


 ラーサはクロウを見やった。


「あそこだよ」クロウは大樹を指差した。「長老。合わせたい人がいるんだ」


 ラーサはクロウが指し示すところ見て言葉を失った。


 幹から何本も枝分かれし、互いに複雑に絡み合った枝木の合間からぬっと人間の上半身が現れ出てきたからだ。いや、彼女には正確にその人物が人間かどうかはわからなかった。というのも、上半身はまごう事なく人間の形をしていたのだが、腰から下は樹木と一体となっていて人間の体を成していなかったからだ。上半身にしても背中側は樹木に取り込まれたように樹皮と癒着していた。肌は褐色を通り越し、樹皮のそれとほぼ同じ色と質感だった。『植物人間』とは昏睡状態の人間を指す言葉だが、ラーサは文字通りの意味でその言葉が脳裏に浮かんだ。


 けれど瞬かれる二つの瞳は強烈な意志の光を宿していて、人間の尊厳を感じさせた。


「ようこそお客人」


 その声はまるで魂の奥底に直接響いてくるような重厚さがあった。自然と身体に力が入った。


「そう緊張しなくても大丈夫」長老は笑うように言った。「話には聞います。遠方からの旅人だそうで。ここに旅人がやってくるのは随分と久しぶりのこと。歓迎させていただきます」


 長老の言葉でラーサは少しだけ肩の力が抜けた。


「ありがとうございます」微笑を浮かべて言った。「ラーサ=マリー・グラドールです。よろしくお願いします」


「グラドール殿。ご丁寧にありがとう。けれど私は名乗り返す名前を持ち合わせてはいません」


「それはどういう……」


「お恥ずかしながら……長い年月の中で自分の本当の名前はもう忘れてしまったのです。だから皆からは長老と呼ばれています。グラドール殿さえ構わなければ、是非ともあなたも気兼ねなく長老と呼んでいただけるとありがたいのですが」


「はあ……」


 ラーサは長老の言葉の意味を測りあぐねて、曖昧な返事を返した。


「長老は八〇〇〇年もあの姿で生きているんだ」


 クロウが捕捉するように付け足した。


「八〇〇〇年⁉︎」


 ラーサが驚きとともに長老を見やれば、彼は「はっはっは」と鷹揚に笑っている。


「外からやってくる方の反応はやはり新鮮ですな。ここの者は生まれたときから私を見慣れているせいですっかりそういうものだと思っているのです。八〇〇〇年生きてると聞いたところでちょっと長生きのジジイくらいにしか思っていないのでしょう」


 そんなことないよ、というクロウの呟きが聞こえたが、ラーサはいまだに驚きの衝撃から立ち直れず突っ込む余裕もなかった。


「そうだ、グラドール殿」長老は言った。「もしよろしければ、グラドール殿が生まれ育った街のことや旅の話を聞かせてはもらえませんか。私は見ての通り、この地に根を生やしている身で、自由に外の世界を歩き回ることもできない。私が知っているのはせいぜい、私の目が届くこのコロニーと……そうですな、交流のあるもう一つのコロニーくらいのものなのです。なので、今、世界がどうなっているのか、グラドール殿から話を聞かせてはもらえると非常に助かるのです」


「それは別に構いませんが……お役に立てるかどうか……」


「知っている範囲のことで構わないのです。そうですね……なにから聞けばよいか……」長老は逡巡した。「やはりまずはこれからお聞きしましょう。グラドール殿が生まれ育った場所はどのようなところでしたか? 家族はおられますか? やはりここと同じようなコロニーだったのでしょうね。どのくらいの人々がおられましたか?」


 ラーサは答えに窮した。自分の生い立ちをどう伝えたらいいのか判断に迷った。長老も彼女の様子になにかを感じ取ったのか、不思議そうに首を傾げていた。


「どうかされましたか?」


「いえ……あの、その質問にはお答えできません。答えられないんです」


「ふうむ。なにか事情があるご様子だ」


「はい。……実はあたし、生まれてからの記憶がないんです」


 ラーサが打ち明けると、長老やクロウ、その場にいた男たちの間に驚きと困惑の気配が広がった。


 彼女は話した。気がついたとき自分がとある投棄施設にいたこと、その場にある手がかりから自分がラーサ=マリー・グラドールという人間であること、記憶を失った自分の今の知識は投棄施設にあった蔵書から得たものであることなどなど、自分の生い立ちと言えることはすべて話した。ときには取り止めもない話になることもあったが、それは彼らにとってなにが重要でなにが重要でないのか彼女には判断がつかなかったからだ。


 話が進むにつれて、クロウたちの表情はどんどん困惑の色を深くしていった。ただ一人、長老だけがなにも見通させない表情でおとがいに指を添えて何事かを思案していた。


 ラーサが話し終えても、長老は口を開かなった。深く考え込み、じっと彼女のことを見据えていた。それはなにかを確かめるために観察しているようにも感じられた。「……その服。懐かしい格好だとは思っていたがまさか本当に……」「しかし、いやまさかそんなことが。いやだがそれしか考えられる可能性は……」と思考の断片が口からこぼれ落ちていた。


「ラーサ」


 彼女が長老の呟きに耳を傾けていると、横からクロウに声をかけられた。彼は神妙な面持ちで、少しだけ怒っているように見えた。


「記憶がないなんて一言も言ってくれなかったじゃないか……。言ってくれたらおれだって――」


「ごめんね。でも、どう伝えればいいのかわからなくて……」


「……まあそうだよな」クロウはため息交じりに言った。「出会ってまだ二日だもな。おれにできることはなにもないかもしれないけどさ。記憶、戻るといいな」


「ありがとう」


「――残念ですがそれは無理でしょう」


 二人の会話に水をさすように長老が言った。ラーサは驚きと訝しみの念を込めて長老を見上げた。『かもしれない』でも『だと思う』でもなく断定する言い方に彼女は違和感を感じていた。


「……どういうことですか?」


 自然と口調も厳しいものになった。


 けれど長老は動じない。それどころか、哀れむような瞳でラーサを見つめていて、余計に彼女の心をざわつかせた。


「グラドール殿。落ち着いて聞いてほしいのだが」長老はそう前置きをして続けた。「あなたは人間ではない」



「はえっ?」

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