それから約一時間後、ラーサはコロニーの広場に突貫で作られた宴会場の主賓席に座らされていた。目の前の長テーブルにはなんの動物のものかはわからないが、肉料理やこのコロニーで採集された野菜や果物をふんだんに使った豪華な料理が文字通り山のように並んでいた。彼女の目の前ではすでに飲めや歌えやの大騒ぎが始まっていて、幾人かの男たちはすっかり酒のおかげで陽気に出来上がっていた。何人かの若者たちが楽器を持ち出して演奏を始めれば、若い男女は手を取り合ってダンスを披露し、年上の大人たちは朗ら顔でそれを眺めたり、或いは親しいものにヤジを飛ばしたりしていた。


 ラーサは初めて目にする宴に身動き一つできず、目を瞬かせて置物のようにじっとしていることしかできなかった。


 こんなことになっているのはあの農夫――バウアーという名らしい――が、外からの来訪者が来たとラーサのことを大々的にコロニー中に喧伝したためだった。ラーサのことが気になっているのはクロウやバウアーだけではないらしく、瞬く間にそれこそ〈グローリア〉中の人々が集まってきたのではないかという人だかりに囲まれることになったのだ。そこからはもう目まぐるしかった。「どこからきたの?」「本当に外から来た人なの?」「今までどこを旅してきたの?」と色々な人に話しかけられ、色々な質問をされ、彼女はろくに答えることもできずにあたふたするばかりだった。ようやく落ち着いたのはバウアーが「彼女は長旅で疲れてるんだ。宴を開いてまずはのんびりしてもらおうじゃないか!」と言い出した頃からだ。各々が各自で用意した豪勢な料理を持ち寄って本格的に宴が始まったのは空が夕日に染まり出した頃だった。


 ラーサはクロウを探した。同年代ほどの少年と肩を組み合わせて木製のジョッキいっぱいに入った果実ジュースを飲み交わし、陽気に笑っていた。ああしていると年相応の子どもみたい、とラーサは思った。同時に、あたしを放って自分だけ楽しそうですね! と腹立たしくもあった。


 彼女の視線に気がついたのか、ふとクロウがラーサの方を振り返った。ラーサは視線で助けて、と求めるが彼はニヤッと目元で笑うのみだった。言っただろ? とでも言いたげな目だった。妙に得意げなその顔に、思わず木製のフォーク握る手に力が入り、バキッと半ばからへし折れた。やっちゃった……、と彼女は慌ててフォークを目立たない物陰に隠した。


「あの、お楽しみですか?」


 声をかけられて振り返ると、手に(鳥の丸焼きだろうか?)肉料理の乗った皿を乗せている少女が申し訳なさそうな笑みを浮かべていた。変わったことに、このコロニーの人間はみんなクロウが着ているの似たような服――色の違いこそあれ、構造的にはまったく同じもののようだ――を着ているせいで、顔を覚えない限りぱっと見では誰が誰だか判別が難しかったのだが、宝石のように輝く黒髪とクリクリとした黒目の顔には見覚えがあった。宴が始まった当初から給仕として辺りを誰よりも駆け回っていたから印象に残っていた。


「あはは……こんなに歓迎してもらえるなんて思ってなくて……ちょっとビックリ」


「ごめんなさい、みんな外から人がやってくるなんて初めてのことだから舞い上がっていて」


 少女はラーサの前に皿を置くと「でも無理せずに楽しんでもらえたら嬉しいです」と最後に笑顔を残していそいそとほかのテーブルで空いた皿の片付けに向かっていった。


 ラーサは少女の後ろ姿を見送って、新たに目の前に供された鳥の丸焼きに視線を落とし苦々しい表情を浮かべる。今回の宴で彼女をもっとも困らせていたのは次から次に出てくる食事だった。こういった食事を彼女は取らない。こんなに食事を出されても処理に困ってしまうのだ。


 しかし、せっかくの命を無駄にしてしまうわけにもいかない。彼女は嘆息とともに辺りの様子を窺う。隙を見つけて足元で丸くなっているテラに肉を切り分けて与えた。もう、何度もやっていた。テラは供された食事を嬉しそうに頬張った。


 人目が途切れる合間を見計らって、鳥の丸焼きが半分ほども減り、いよいよテラもこれ以上は食えないと目で訴えてきたころ、不意に声がかけられた。


「おねえちゃんなにしてるの?」


 まだ幼い声だった。そちらを振り返れば、四、五歳の女の子がラーサをじっと見つめていた。


 ラーサは肉をテラに差し出した状態のまま数逡固まった。見られた! と思うと同時に慌てて弁明の言葉を考える。


「どーしておねえちゃんはたべないでその子にばかりゴハンをあげてるの?」


 周りの喧騒に負けないようにという意図からなのだろうが、女の子は声を張り上げって言った。子どもの声は喧騒の中でもよく通るものだから、ラーサはビクッと肩を跳ね上げさせて「違う違う、そーじゃないんだよ!」と小声で言い募り、女の子に言葉を紡がせないように必死になった。


「この子にも何か食べさせてあげないと可哀想でしょ? ほら、この子はお腹が空いたら死んじゃうんだし」


「でもおねえちゃん、ずっとその子にあげてておねえちゃんはぜんぜんたべてなかった!」


「そ、それは……その……あたしは食べなくても平気っていうか……」


 話しながらラーサはまずいと思った。彼女と女の子の問答が長く続いたせいで、周りの大人たちがこちらに注目を始めていた。何人かには会話を少し聞かれていたようで「あの……お口に合いませんでしたか?」とか「え、ずっとあの獣に食べさせてたの?」とか、不安や訝しみ、非難じみた視線が向けられてきた。


 陽気で軽やかに跳ねていた空気が途端に重苦しいものに変わり始めるのが感じられて、ラーサはいよいよまずいことをしてしまったのだと気がついた。変に気を使わずに、こんな催しは辞退すればよかったと後悔した。


 いよいよクロウに助け舟の一つでも出して欲しいところだったが、彼はこんな状況でもほかの男と話をしていた。こちらのSOSに気が付くそぶりもない。あたしを連れてきたのはきみなのにちょっと放っておきすぎじゃない? と文句が口の中で暴れる。


 そのとき、まさかラーサの怨念を感じ取ったわけではないだろうが、クロウが彼女を振り返った。人垣をわけて歩み寄ってくると彼女の手を引いて椅子から立ち上がらせた。


「悪いけど、彼女を少し借りていくぞ」


 クロウはその場にいた全員に向かって言った。中には「ラーサが食事を捨てていたことに対する説明や謝罪がまだ済んでないぞ!」と文句を言う者もいたが、彼は意に返さなかった。


「長老が目覚めたんだ。彼女を会わせる」


 その一言で文句を言った者もたちまちに口をつぐんだ。

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