DAY6207
〈グローリア〉へ
コロニーを目指す旅路は、極めて順調だった。朝は陽が昇り切る前に一晩の寝床を出発し、昼間は体力の許す限りに険しい森の中を進み、そして日が暮れだすころに寝床を探して火を焚き、眠りにつく。それの繰り返しだった。道中、クロウはラーサの旅の話を聞きたがった。ラーサが「昨日の夜も話したじゃん。そんなにあたしの話ばかり聞いててなにが楽しいの?」と言えば、「自分の知らない世界の話を聞くのは楽しいだろ?」と答えてくる。彼女からしてみれば、自分が旅の道中で見て、触って、体験してきたことと、クロウがこれまでの人生で体験してきたものにそれほどの差はないように感じられたのだが、それでも彼はしつこく話をせがんでくるのだった。
最初こそは彼女も楽しく話を聞かせてやっていた。彼女も自分の旅の話を誰かにするのは初めてのことで、七色に光る運河を見たことや崖から足を滑らせて転落した先で黄金に輝く鍾乳石を発見した話などに目を輝かせている様を見ていると、実際に当時のことを思い出して語り口にも熱が入り、もっといろいろな話を聞かせてやりたいと思った。けれど、短時間のうちに何度も話をせがまれては徐々に話す話題も尽きてくるし、うざったくもなってくるものだ。
「〈グローリア〉ってどんなところなの?」
自分ばかり話しているのは不公平だ、という思いからラーサは次はきみが喋る番だとクロウの背中に声をかけた。実際に今向かっている場所がどういうところなのか知っておきたいという理由もあった。
「ただの小さなコロニーだよ。今だといるのは大体二八〇人くらいってところか」クロウは言う。「まあ、だからみんな顔馴染みだな。悪さとかしたらすぐにバレる」
「バレたことがあるの?」
「子どものころだけどな。収穫祭が始まる前に用意されてたご馳走をつまみ食いしてるのが――ってそんな話はどうでもいいんだよ」
「あたしは気になるけど? つまみ食いしてどうなったって?」
「その話はどうでもいいんだよ」そう言ってそっぽを向くクロウの褐色の耳はほんのりと赤く染まっている。「それよりも」と彼は前方を行く仔クロガネギツネに視線を向けた。「いつまであれはついてくるんだ?」
仔クロガネギツネは二人の前をぴょんぴょんと跳ねるように進んでいる。ラーサの処置が効いたのか、傷はだいぶ良くなっているようだった。
「きみがあの子の家族を殺したせいであの子はもう寄る方がないんだよ。いつかは放れていくかもしれないけど、少なくとも今は誰かが面倒を見てあげなくちゃ」
クロウはラーサの物言いに少しだけ閉口したが、すぐにため息とともに肩をすくめた。
「ま、きちんと目を離さないでいてくれるならいいけどな。子どもとはいっても野生動物だ。油断はできない」
「わかってるよ。面倒はあたしが見るから」
「ならいいけどさ。……でもそれなら名前とかつけてやったらどうなんだ?」
「名前?」
「ずっと名無しのままじゃ面倒だって見づらいだろ」
そっか、名前か。今までずっと一人で生きてきたからそういう発想があまりなかった。名前、名前……。ラーサは仔クロガネギツネの小さな背中とふりふりと揺れる尻尾を眺めながらしばし思案する。
「……テラ」
やがて彼女は呟いた。
「テラ?」クロウは反復する。「『大地』か。いい名前だな」
「あたしが考えた名前なんだからとーぜんだよっ」
ラーサは得意げに笑った。仔クロガネギツネを抱き抱えると、クリクリとした瞳を覗き込んで「今日からきみの名前はテラだからね? これからよろしく」と言った。
テラはすぐにそれが自分の名前だと理解したようで「クンッ」と短く返事をするように鳴いた。ラーサの腕から逃れるように地面に飛び降りて再び跳ねるように歩き出す後ろで、尻尾が心なしか喜んでいるように揺れていたのだった。
それからしばらくして二人の前に一本の川が現れた。ここにやって来るまでの道中でもいくつかの小川を見てきたが、目の前に流れるのはそのどれよりも川幅が広く対岸までは二〇〇メートルほどもありそうだった。この辺り森を流れている川の中では、おそらく一番大きい川なのではないだろう。
「この川を辿った先がおれたちのコロニーだ」
クロウは川下に歩き出した。
この辺りは一層森が鬱蒼をしていた。空を見上げても陽の光はほとんど地面まで差し込んでこない。枝葉が覆い被さるように幾重にも重なり合っていて、天蓋のように空を覆っていた。まだ陽は高いのに日暮のようにあたりは暗かった。
不意に前方が明るくなり、ラーサは目を細めた。森が開けていて、陽の光を遮るものがなくなったのだ。
時間が経つにつれて白一色に包まれていた視界も徐々に世界の形を取り戻してくると、ラーサは驚きに目を見開いた。切り開かれた森の中に土を半球状に盛り上げてドーム型に整えた建物がポツポツと点在していたのだ。建物と建物の間にはよく手入れされている田畑が広がっていた。畑仕事をしている人々の姿や辺りを走り回る子どもの姿もちらほらと見えた。そんな彼らを開墾された森の中心に聳える一本の大樹が見守っていた。
クロウはラーサを振り、ニッと口端を釣り上げた。
「ようこそ、おれたちのコロニー〈グローリア〉へ」
コロニーと森の間には柵や塀が設けられているわけでもなく、両者の間に明確な境目は存在しなかった。開墾されていると言っても、コロニーの中にはぽつんぽつんと木々が密集しているエリアも見受けられた。森に埋もれてるみたい、と〈グローリア〉を初めて目にしたラーサがそう感じたのは、そういう理由からだった。
「おっ、よー、誰かと思ったらクロじゃねーか。今ご帰還かい?」
畑の横を歩いていると、農夫がクロウに気がついて声をかけてきた。
「そうだよ」クロウは畑で育つトマトに視線を落とす。「出かけたときに見たよりもだいぶ育ってきてるじゃん」
「応ともさ。そろそろ収穫の頃合いだ。そん時はまた手伝ってくれよ。どうせしばらくは家でゆっくり休むんだろ?」
「前もそんなこと言って散々こき使われた気がするんだけど」
「ガハハッ! 若者はこき使ってナンボだからな!」農夫は大笑いして、初めてラーサに気がついて口を閉じた。クロウに顔を近づけて耳打ちをする。「おいクロ。その嬢ちゃんは誰だい。お前、長老から言われた狩りの仕事をほっぽり出してまさか〈プレテクション〉の女を引っ掛けてきたわけじゃあるまいな」
「おっちゃん、日に当たりすぎてついに頭がおかしくなったのかよ。そんなことするわけないだろ」クロウはうざったそうに農夫を押し退けて言った。「彼女はラーサ=マリー=グラドールさん。森でたまたま出会ったんだよ。――旅をしてるんだとさ」
「へー……ん? 旅?」
勿体つけるような言い方をするクロウの言葉に農夫の男は頷く首をピタッと止めた。クロウはしてやったりというふうに笑みを作った。
「ちょ、ちょいと失礼!」農夫は畑から出てくるとラーサの前に立ってよくよく彼女の姿を見回した。「確かにこの辺じゃまず見かけない服装だわな。……嬢ちゃん確認だがあんた本当に〈プロテクション〉の出身とかじゃないんだな?」
ラーサは頷いた。
「おいおい……」農夫は驚愕と戸惑いをない混ぜにした表情で一歩二歩と後ずさると、クロウに顔を戻した。「こいつは一大事だぞ!」
ラーサは農夫の反応に戸惑った。事情を説明してくれとクロウに視線を向けるが、彼は彼女の戸惑いなどまるで意に返しておらず「だろ?」と農夫に得意げな笑みを浮かべていた。
「それで長老に話をしに行きたいんだけど」
「あー……」農夫は頭を掻いた。「でもこの時間だと長老はまだ寝てるだろ」
「だよな」
と、そこで農夫はなにかに気がついたのか、ラーサに水を向けてきた。
「嬢ちゃん、ずっと旅をしているって言ったよな。ってことはもしかして長いことろくな飯を食べてないんじゃないか?」
「え、えっとー」
思わぬ話題を振られて彼女は解答に戸惑った。けれど彼女の反応を農夫はどう受け取ったのか「やっぱりそうか」と一人頷く。
「このコロニーで取れたものでよければぜひ飯をご馳走するぞ。長旅の疲れもあるだろうし……一休みしてから長老に会えばいいさ」
「え、あの……」
農夫にラーサの声はもう聞こえていなかった。みるからに有頂天になっていた。農夫はそのまま畑仕事を放り出してどこかへと駆けていってしまった。
ラーサは隣のクロウを見やる。
「……どういうこと? あたしをここに連れてきたいって言ったときもそうだったけど……きみもあの人もあたしが旅をしてるってだけで大袈裟じゃない?」
「全然大袈裟じゃないよ」クロウはコロニーと、周りを囲む深い森を見回した。「このコロニーに人がやって来るのは珍しいんだ。あっても年に数回、それもここから五日ほど歩いたところにある〈プレテクション〉っていうもう一つのコロニーの人間とだけで、それ以外の――あんたみたいに半年以上も旅をして外からやってきた人間なんて、ここにいる人間は生まれてから一度も見たことがない。だからあんたはおれたちにとって未知との遭遇みたいなもんなんだよ」
「……その例え、全然嬉しくない。……人を宇宙人みたいに」
ラーサは口を尖らせる。一方ででもそうか……、と納得する思いもあった。彼女自身、半年も旅をしていたのにクロウが初めて出会った人間なのだ。これまでとくに考えたこともなかったが、彼らのようにコロニーを作って人間同士で寄り集まっていなければ、他の人間と接する機会も少ないのかもしれない。昔は――それこそ夜月たちが生きている時代では少し街を出歩けば数えきれない数の人々とすれ違っていたみたいなのに。そう考えるとラーサは少しもの悲しくなった。
「ま。いずれにしてもこれから騒がしくなるから覚悟しておいた方がいいぞ」
ポンと、ラーサはニヤニヤと笑うクロウに肩を叩かれた。
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