『暗殺者はJK☆』

「早速出発……と言いたいところだけが、まず先に一仕事だな」


 そう言うクロウは倒木に立てかけられていた大きなバックパック――彼の身体の半分ほどもある――から黒い布包を取り出した。中身は大小様々なナイフだった。


「一仕事って、なにするつもり?」


 ラーサは不穏な気配を感じて訊ねる。


「なにってクロガネギツネを解体するんだよ」


 ラーサは絶句した。


「どうしてそんなことするの! そんなの、死者に対する冒涜だよ!」


 殺しただけに飽き足らず、解体までするなんて信じられなかった。


「どうしてって……」クロウは訝るようにラーサを見やった。「食料にするからに決まってるだろ。予定にはなかったけど、クロガネギツネはおれたちにとって貴重な栄養源だからな」


 彼は血溜まりの中に膝をつくと、澱みない手つきで動かなくなったクロガネギツネの身体にナイフを突き立てた。


 ラーサは腕の中の仔クロガネギツネにその光景を見せないように、顔を手で覆った。


「食料って……食べるの? 彼らを? 本気で言ってる?」


「当たり前だろ。まるで肉を食わないみたいな言い方だな」


「当然でしょ」


 クロウは作業の手を止めると驚いたように彼女を振り返った。


「本当に? じゃあ今までなにを食べてきたんだよ」


「別になにも」ラーサはそれ以上クロガネギツネたちがバラバラの肉片にされていく様子を見ていられなかった。「外で待ってる。終わったら来て」


 スタジアムの中に陥没している斜面は、ほとんどが急な傾斜角度と柔らかい土のために登るのが難しそうだったが、奥の方に比較的傾斜が緩やかな場所があった。クロウやクロガネギツネたちはここからスタジアムの中に入ってきたのだろう。


 スタジアムの外に出て後ろを振り返れば、地面に大きな穴がぽっかりとあいているように見える。一見しただけではこの下に巨大な人工の構造物があるなど誰も思わないに違いなかった。


 どのくらい時間が経ったか。太陽がさらに沈み、その姿が木々に遮られて見えなくなったころ、クロウがやってきた。バックパックとライフル銃、そしてパンパンに膨らんだ狩猟用袋を下げていた。狩猟用袋はいくつもの古い血痕で汚れていて、さらにその下から真新しい血が滲んできていた。


「お待たせ。じゃあ行こうか――と言いたいところだけど、今日はもう日が暮れるな。特に用もないのに夜の森を歩くのは愚策だ。今日はあの遺跡で夜を明かして、明日出発しよう」


「仕方がないっか。わかった」


 ラーサは腰掛けていた樹の根から立ち上がると、クロウの後に続いた。肩から下げられる狩猟用袋から滲む赤い色がやけに鮮やかに見えた。〈グローリア〉って言ったっけ? まさかクロウみたいな人がいっぱいいたりするの? そう考えると怖気が全身を粟立たせた。


 スタジアムの中に戻ると、血溜まりの中に沈むクロガネギツネたちの亡骸は一体残らず肉を削ぎ落とされて、内臓と骨、ほんの少しの毛皮が残されているだけという有様になっていた。


 ラーサは顔を顰めた。


「あれはどうするの?」


「あれ?」クロウはクロガネギツネたちの残骸に目を向けて首をすくめる。「別にどうもしないさ。そのまま放置しておけば、おれたちがいなくなった後にほかの動物が食べにくるんじゃないか?」


「そっ」


 ラーサは乾き始めている血溜まりの中に足を踏み入れる。


「おいちょっと待て。あんたなにするつもりだよ」


「せめて埋葬でもしてあげたいだけだよ」ラーサは言った。「殺されて、好きなように身体を切り刻まれて、それでこんな状態で放置なんて……この子たちがあまりに不憫でかわいそうでしょ」


 クロウは口を一文字に引き結び、なにか言いたげだった。しかし結局なにも言ってはこなかった。代わりに「ほらこれ」と革製の手袋を放ってきた。古い血痕と真新しい血が入り乱れて付着していた。


「なにこれ?」


「素手でそんなもん触ったら手が汚れるどころか、臭いが落ちなくなって大変なことになるだろ。おれのやつだからサイズがちょっと大きいかもしれないけど、使っていいから」


 ラーサは手袋をまじまじと見つめる。


「……ありがと」


「それからここら辺にはグニトラの実とシクトラの葉が群生している場所がある。掘り返すならそこ以外の場所にしておいた方がいいぞ」


「グニトラの実? シクトラの葉?」


「なんだ、知らないのか?」クロウはスタジアムの外に出ると、近くの黒紅色の小さな実をつけた低木とその付近に群生している白いやじりのような花びらをつけた植物を指差した。「あれだよ。別々に生えてる分には構わないんだけど、あの二つがすり潰されたりして混ざり合うと爆薬に変わるんだよ」


「なにそれ怖いっ!」


 ラーサは驚いた。一見すれば人畜無害なただの植物にしか見えないのに。


「まあ、普通に群生してる分にはそんなことにはなんないだろうけど……用心に越したことはないからな。あんたもせっかく埋めた奴らが爆発したら嫌だろ」


 クロウはそれだけ言って再びスタジアムの中へと戻って行った。



      * * *



 集めたクロガネギツネたちの遺骸はスタジアムの外、日当たりの良さそうな場所を選んでそこに埋葬した。埋葬といっても単に穴を掘ってそこに埋めただけだったが。それでも野晒しになっているよりかは何倍もマシに違いないと思った。仔クロガネギツネはそこに家族が埋まっていることを理解しているのか、それとももう逢えないことを悟っているのか、神妙な面持ちですっかり土が被せられた穴を見つめていた。ラーサはしばらくの間その場でクロガネギツネたちの安らかな冥福を仔クロガネギツネと一緒に祈っていた。


 クロウのもとに戻ったころには、空はすっかり暗くなっていて、漆黒の暗闇の中には満点の星々が輝いて見ていた。


 崩落した穴の中で、クロウは焚き火を焚いていた。焚き火の周りには数本の木の枝が地面に突き立っていて、そこに肉が串刺しにされていた。クロガネギツネの肉だ。彼はラーサが戻ってきたことに気がつくと近くに座るように促した。


「お疲れ。もう埋葬は済んだのか?」


「うん」

「ならよかった」彼は地面から肉を一本引き抜いてラーサに差し出す。「ほら、ちょうど肉が焼けたところなんだ」


「あたしはいらないよ」ラーサは手袋をクロウに返すと、彼の対面に腰を下ろした。「食べないっていったでしょ」


「本気で食べないつもりか?」クロウはこんがりと焼き上がって脂が滴っている肉に齧り付いた。「食べないといざってときに動けないぜ」


「余計な心配よ」


 ラーサはすぐ隣で丸くなっている仔クロガネギツネの背中を撫でる。小さな寝息を立てていた。


「あんた、本当に変わってるな」クロウはため息をついた。けれどその声音は面倒臭さや、変わり者に対する胡乱気なものとは異なり、どちらかといえば興味や好奇心に満ちているといった方が近かった。「変わってると言えば、その服もそうか」


「服?」


「そんな〈アイギス〉、見たことないもんな」


「〈アイギス〉って? これはただのジャンパーとスカートだよ?」


 クロウは眉根を寄せた。


 その様子にラーサも首を傾げる。


「もしかして知らないの?」


 ラーサはバックパックから一冊の本をクロウに差し出した。彼は受け取ったそれを横から斜めから検める。


「これは?」


「『JKは暗殺者☆』って言うマンガ」ラーサは言う。「あたしの服はそれに出てくる黒野夜月くろのよづきっていう女の子のを真似てるの。知らないなら読んでみるといいよ。面白いから」


「まさかこれ……〈崩壊時代〉のものか? ……本物?」クロウは驚きに目を見張ってページをパラパラと捲る。「初めて見た」


「うそ? 本当に? この本を知らないことも罪だけど……マンガを読んだことないなんてずいぶんと人生損してるわね」


 ラーサの物言いにクロウはムッとした。


「一応言わせてもらうけど……あんたは今まで旅してきてこういう本をどのくらい見つけてきたことがある? ほとんどないはずだぞ」


 ラーサは過去の旅の道程を思い返す。確かに、マンガ――というより書籍――を発見したのは彼女が目覚めた施設の中でだけだった。


「確かに……」


「ならわかるだろ。こいつはとてつもなく貴重な遺物なんだよ。それにこんなに保存状態がいいなんて驚きだ。どこで手に入れたんだ?」


「まあ……昔ちょっと滞在していた施設で見つけただけだけど」


「施設って遺跡で?」


「そんな感じ」


「ふーん」クロウはマンガから視線を上げるとラーサを見てニヤッと笑みを浮かべた。「なああんた。旅をしてきたって言ったよな」


「それがどーしたの?」


「今までどんなところ旅してきたんだ? ちょっと聞かせてくれよ。ほかにもこういう面白いやつを持ってるのか?」


「あたしが持ってるマンガはそれだけだよ。あんまり数があっても移動で邪魔になるからさ。お気に入りのものだけを厳選して持ってきたの」


「違う違う、別にマンガじゃなくたっていいんだよ。旅の途中でなにか面白いものとか見かけたりしたのかなって、そういう話」


 ラーサは腕を組み、首を傾げ、ついに空を見上げた。


「うーん。そう言われてもなぁ……」ラーサにしてみれば、旅に出てからかの半年の間で目につくものが物珍しくない日はなかった。彼が自分にどういう話を求めているのか、彼女には掴みきれなかった。「っていうか、どうしてそんな話が知りたいの?」


 クロウは肉を食べ終えた木の枝を地面に放り捨て、新しい肉に手を伸ばす。


「ただの世間話だよ。どうせ明日の朝までとくにすることもないんだ。暇つぶしにはちょうどいい」肉を齧り、咀嚼して言った。「おれたちは知り合ったばかりでお互いのことをなにも知らない。曲がりなりにもこれから少しの間一緒に旅をするんだ。お互いの理解を深めるのは悪くないだろ?」


「まあ……そーゆうことなら」ラーサは頷く。「でもあたし、別に面白い話なんてできないよ? 過度な期待はやめてよね」


「その心配はなさそうだけどな」


 褒めているのか貶しているのかわからないことを言われて、ラーサは「それってどういう意味?」と口を尖らせた。けれど、クロウの言うように時間はあまりに余っているのだ。彼女はゆっくりとこの半年の旅路を思い返しながら口を開いた。

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