第二十五話『一閃と陥穽』

 ―1579年―

 丹波篠山たんばささやま八上やかみ城は堅固な城構え且つ、“丹波たんばの赤鬼”の黒井城がそびえる猪ノ口山よりも、標高の高い山城――。


「裏切り者の波多野はたのに調略戦は不向き。強固な山城を落とすには、兵糧ひょうろう攻めが得策であろう」

光秀は軍兵ぐんぴょうに城を包囲させ、糧道を断った。


 兵糧が枯渇した城内で雑草や牛馬の死体を食べ籠城を続けるも、一年が経過すると五百人が餓死――。

城から逃げ出す者の顔は蒼く腫れ上がり、化け物のような姿となっていった。

しかし光秀は毅然とあり続ける。


「退城する者を一人たりとも討ち漏らすな!」と家臣に告げ、生ける屍と化した者を情け容赦無く斬り捨てるのだ。


 山に白や淡紅色の笹百合がたくさん花開き始める頃。

とうとう波多野は降参し、八上城は落城――。

安土城に連行され助命を懇願する城主 波多野に、信長は切腹すら許さず、裏切りの代償として城主の弟ら共々磔刑たっけいに処した。


 そして丹波国領城最後の城となった黒井城であるが、城主 直正なおまさの病死や、支城の落城で兵力は激減。

“丹波の赤鬼”亡き黒井城はたちまち落ち、五年近くに及んだ丹波征討戦に終止符が打たれた――。


 大いに誉め労う信長は、光秀らに破格の恩賞を与える。

光秀は丹波亀山城を改築し入城したが、国替はせず、坂本城には伝五でんごが入った。

利三としみつには黒井城、左馬助さまのすけには福智山ふくちやま城が与えられ、其々の領地を城主として守る事となる。


 ◇


 丹波亀山城を訪れた信長は、桃にかぶり付きながら庭に舞う蛍を眺め、伸び伸びと寛ぎの時を過ごす。

「氾濫が度々起こる河川の治水や、土地の整備までも積極的に行なっておるそうじゃの」

完全攻略を果たした光秀は、いくさで荒廃した丹波の復興に取り掛かっている。


「はい、藤孝や彼の息子の忠興ただおきも力を尽くしてくれております」


「ならば丹後たんご(京都北部)藤孝を置いて良かった」

共に丹波攻めで活躍した藤孝は、丹波国の北部を分国した丹後国を信長より拝領した。


「彼らときちんと検知を行い、千石を一村と定め、一村に一人の名手を、万石に一人の代官を置き、所領を管理しようと」


「うむ、秀吉が驚いておった。代官は古参ではなく土地の者から任用するそうじゃと。年貢以外の雑税を一切賦課しない事にもじゃ。さすが光秀は人心掌握にも配慮を欠かぬな」


 郷里の再生に歩む領民を思い良策をもたらす光秀は、領国の繁栄の為に励む名君と慕われていく。


「ところで忠興ただおきたまは、当代きっての見目麗しい夫婦と謳われておるそうじゃのう。忠興に勧めず、信忠の正室にすれば良かったやも――」


「おたわむれを」

藤孝の息子 忠興ただおきと光秀の娘 たまは、信長の勧めで結婚したのだ。


わしは至って大真面目じゃ。信忠に結婚を勧めても、『正妻はりますので』と言い張るで困っておる……」


「もしや、松姫まつひめ様の事にござりますか」


 十余年前、武田と織田の同盟強化の為、信玄の娘 松姫と信長の息子 信忠の婚約が取り交わされた。

しかし信玄が家康と取り決めた領地境界を越え侵攻した“三方ヶ原の戦い”に於いて、信長は義理を通し家康方に援軍を送った為、武田と織田の同盟は手切れとなり、婚約も解消されたと周囲は認識している。


「そうじゃ。うに破談になったというのに、『それは父上らが決めた事』だと。しかも、『父上と母上は和睦わぼくの条件での政略結婚にもかかわらず、誓約を反故ほごにされても、母上を美濃みのに返されなかったでありましょう』と、わざわざ帰蝶の前で言うのじゃ」


 信長に刃向かうことの無い信忠にしては珍しい――と、光秀は胸の内だけで呟く。

「それはいささか穏やかではありませんな」


「さすが帰蝶に育てられただけあって策士というのか、案の定気を良くした帰蝶は颯々さっさと信忠側に付いた。

帰蝶の網を使い、二人は何やら陰で動いておる。女子おなごが動くと面倒が増えるのじゃが、そんな事は口が裂けても言えんの。此方人等こちとら徳姫が帰って来た所為せいで、頭が痛いというのに……」


 家康と同盟を結んだ際、其の嫡男ちゃくなん 信康のもとへ嫁いだ徳姫は、いさかいが起きる度に岐阜城へ舞い戻る。

今回は信長が居城を移していた為、信忠が挨拶も兼ね岐阜城から安土城まで徳姫を送り届けたのか、押し付けたのか……。


『またにございますか』と言い掛けて、光秀は口をつぐんだ。


此度こたびはいかがなされましたか――」





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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