第三章『天翔ける魔王』

第十五話『天下静謐』

 ―1571年―

比叡山ひえいざんは焼き討ちに処する」

宇佐山うさやま城を訪れた信長は、琵琶湖の春の風物 稚鮎ちあゆを馳走になりながら、光秀に延暦寺えんりゃくじへの攻撃を通達――。


「寺社は特権階級にありまする。天台宗の総本山である延暦寺の貫主 “天台座主てんだいざす”が御座おわす比叡山ともなれば、何にも増して別格の存在。そんな事ができましょうか……」

畏縮する光秀に、信長はこれまで溜め込んできた思いを吐露する。


天台座主てんだいざす正親町おおぎまち天皇の異母兄弟。天皇のみことのりの保護下にある仏教を利用するとは、仏の教えに背き仏を侮辱する行為じゃ。

境内に娼婦を連れ込み酒を浴び、物欲肉欲に翻弄されるは酒池肉林の権化――。高僧を多く輩出する山だが、権威に甘んじ修行を疎かにする者もまた多い」


「比叡山は京を狙う者にとって、北国路と東国路の四辻。浅井・朝倉をかくまった山上には数多くの坊舎があり、数万の兵を擁す事も……。“悪の巣窟”と化した僧房は論なく焼き払わねばと存じますが、仏の敵となりますぞ」

光秀はある程度は同調しつつも、唸り声を漏らした。


「仏教は素晴らしい。だが僧兵どもは武力を以て朝廷に無理難題を強訴ごうそ――。仏神ぶつじんの権威をひけらかしては、武装し集団で朝廷に乗り込み金をせびる。

教徒には『来世で幸せになるために』と奉加ほうがを取り立て、それを元手に民相手に高利貸しをするのじゃ……」


「十貫文借り十日経てば、十二貫文の返済になると聞いた事がございます……」


「坊さんの格好をしながら人の道に背き、民を苦しめる悪逆の僧兵を、神や仏も憎んでおられる事だろう。

天道に適う行いこそ、仏神の御心みこころに適う!」


 のべつ幕無し力説に心傾く光秀だが、慎重に信長の身を思い遣った。

「お言葉ですが、聖なる戦いと称し、目に見えぬ武装信者で溢れる事にもなりかねませぬ」


「一揆か……。宗教と武力、宗教とまつりごとは切り離さねばならぬ。信仰心を利用し、武力を振るわせる事などあってはならんと思わぬか。

我は、織田 弾正忠だんじょうのじょう 信長――。

京の都で風紀の乱れを取り締まり、秩序あるまつりごとを監察する天皇直下“弾正台だんじょうだい”の血筋。

私腹を肥やし民を顧みぬ権力を裁き、天皇を敬う国を取り戻さねばならん。

千年の歪みに揺れる天下を、平らかに――。

その為なら、第六天魔王となりて、全ての恨み憎しみを受け入れよう」


 ◇


 残暑厳しい初秋、戦いを前にしても士気の上がり切らない家臣に、信長が声高に喝を入れ奮起させる。

「力を持たぬ女、子供でも、生き延びれば叛逆の火種! ことごとく切り捨てよ――!!

この戦を悪とするならば、天下を治める為の必要悪と思え! そもそもこの山に女、子供などおらぬはずではないか!

仏堂・僧房は一棟も残さず、一挙に焼き払え! 但し、山の麓 坂本の聖衆来迎寺しょうじゅらいこうじだけは焼くな。名将 可成よしなりの墓が建てられておる。

我々はこの比叡山を焦土とし、可成よしなりの魂を業火を以て弔おうぞ――!

可成よしなりよ、安らかに眠れ……!」


 信長と重い決断をし、真意を深く受け止めている光秀も、家臣を大いに煽る。

「抵抗する者は積極的に薙ぎ払え! 生きている敵はことごとく首を刎ねよ――! 延暦寺は是非とも撫で斬りじゃ(皆殺し)!! 比叡山は我々の手で灰燼かいじんと化す!」


 焼き討ちの後、光秀は交渉の才だけでなく、合戦においても合理的で容赦無い“冷徹な武人”であるとの印象が付いた。

梟雄きょうゆうと認められた光秀は、比叡山領と坂本二万石が与えられ、信長のめいにより京と比叡山の抑えとして坂本城を築城する。


 坂本城は琵琶湖に接す水城。物資の補給も可能な最強の防御力を持ち、また城下町も大津の港町として繁栄を極めた。

ただ、勝家をはじめとする譜代家臣や、秀吉ら実力ある近臣をも追い抜く大出世となり、水面みなもに落ちる一滴の墨は波紋を描き、やがて広がりを見せるのだった……。





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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