第十六話『廉潔の異見』

 政所執事まんどころのしつじ代理として政務に関わり始めた信長は、世が揺れる程の実態を知った。

「光秀、一体これはどういう事じゃ。将軍の密書が余りにも濫発されておるが」


「義昭様はいささか依頼心が強く、常にご自身を助けて下さるのはどなたかと見定めておられます。意のままに人を利用する為なら、裏で手を回す事も、下手したてに出る事もいとわないような御方でして……」


「“天下の静謐せいひつ”を維持する役目を担う幕府の、存立にも関わる由々しき事態――。これではとても任せてはおれぬ」


 そして信長は義昭を正す為に、度々意見書を送る。

其の内容は義昭にとって余りに恥ずかしく、決まりの悪いものであった。


『朝廷へは毎年参内するよう申し上げておりましたが、最近はお忘れのよう。天皇家や公家を敬い、民を思いやる気持ちが肝要であり、残念至極。


 また、諸国大名へ密書を出し、献上を求めるのは恥ずべき事。再三申し上げておりますが、手紙を出す際は此の信長を通す約束を守って頂きたい。

更には、諸国からの献上金を宮中の御用に役立てず、内密に蓄えるのは如何なものかと。


 内幕を暴けば、寺社領の横領に限らず様々、法規通りに処置せず没収されているのだとか。

光秀が預けた幕府の徴収金まで言い掛かりをつけ差し押さえられたそうですね。

それに飽き足らず、幕府の備蓄する兵糧米すらも金銀に換え、ご自身の物にされたと知り驚き大いに失望しました。

世間では農民さえ“欲深き悪しき将軍”だと陰口を叩く始末。


 苦労して建てて差し上げた二条城から、宝物ほうもつを何処かへ移したり、織田家と仲の良い者ばかり不当な扱いをされているのは一体何故なにゆえかと。不仲が噂になれば、互いにとって得は無いというのに。


 一生懸命働く家臣に褒美を与えず、大した働きもしていない若衆を可愛がり、代官職に任命。ここまで贔屓ひいきをしていては評判も下がる一方。

上に立つ者なら自らの行動を慎むべきであり、このままでは幕臣の心が離れていくのも時間の問題かと存じます』


「小癪な……!」

奥歯をギリギリと噛み締め、顔を真っ赤にした義昭は、握り潰して丸めた書状を、届けに参じた光秀に投げ付けた。


「信長は軍事力や勢威を持つ重要な後ろ盾だが、私とは性が合わぬ! これ以上、まつりごとに関わってくれるなと申し伝えておけ!」


 投げ返された書状を拾い上げ、わざわざ義昭の面前で両手の平を使いしわを伸ばす。丁寧に折り畳んで懐にしまうと、真っ直ぐ睨むような視線で刺した。


「信長様は民こそが宝だと思おておられるだけにございます。民の生活を顧みようとしない者を断固討伐する――そんな思想を持つ者らを味方に、ここまでの勢威を持たれるようになられた。天下を平らかにと……」


「黙れ光秀! 其方そちは私が民を宝だと思おておらぬとでも言いたいのか!」


「滅相もございませぬ――」

極めて淡々と頭を下げる態度に、義昭はより一層憤怒し、今度は土産にもらった柿を手に取り、顔を目掛けて放り投げる。すると光秀はけようともせず、こめかみで衝撃を受け止めた。


「お主が開いた茶会に参加した者が言うておった! とこには信長の書が掛けられ、炉には信長から拝領した名物“八角の釜”が据えられておったと。信長に深く寵愛されておるようじゃが、どちらの味方かはっきり申せ」


「信長様は幕府の不行き届きを一身に背負い、清算されて参りました。私は信長様へ忠義を尽くす事で、幕府に貢献しておるつもりでしたが、――暫くおいとまを頂戴したく存じます」


 光秀はどちらとも明言せず、義昭に暇乞いとまごいをする。つまりは、信長を選んだに等しかった。


 腹を立てた義昭は、光秀が比叡山領の税収を横領したと触れ回る。実際、日常的に横領を行っている張本人におとしめられた光秀は、最早付き合い切れぬと悟った。

そして完全に幕府から離れ、改めて信長に恭順の意を表するのであった――。





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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