第八話『月の掩蔽』

 上洛戦の労を慰撫する宴が、東寺とうじ(下京)催された。

丹念に手入れされた庭園を眺むれば、真朱のよそおいを凝らす楓が彩り、月の光に照らされた瓢箪池の水鏡みずかがみには、五重塔ごじゅうのとうが揺れる――。

そんな美しく心和む雰囲気に皆、赤く染まった頬を緩める中、家臣 勝家かついえだけは不服顔を崩さない。


「将軍 義昭様からの『副将軍に任命したい』との申し出を、信長様は何故なにゆえ断られたのですか!」

酒の力を借りて詰め寄る勝家を、信長は冷静に諭す。

「権威を失った幕府の要職など、頂戴したところで何の得にもならん……。副将軍になってしまえば、“正式に将軍の臣下になった”と、天下に知らしむ事になるのじゃぞ」


 ――元々は信長の弟 信勝の重臣だった勝家は、信勝に家督を継がせようと積極的に信長討ちを働き、惨敗に喫した過去を持つ。

母に嘆願され、信勝や勝家らの命を取らなかった信長に、信勝は性懲りも無く再び謀反を企てたのだが……。其れを知った勝家は信勝を見限り、信長に密告。どうにか信長への忠誠を示す為、信長の眼前で信勝を毒殺したのだった――。


 うして信長の家臣となった勝家だが、信長にも信勝にも刃向かった血腥ちなまぐさい奇縁が透ける……。当然ながら、家臣の中で長らく浮いた存在となっていた。

だがようやく此度こたびの上洛戦において指揮官の地位を与えられ、可成よしなりと共に隊を率い武功を挙げた彼が、舞い上がってしまうのは致し方ない。


 一方、柔和な性格の可成よしなりは、「和泉いずみ(大阪南部)“堺”と、湖南の(琵琶湖南)“草津”、それに京と近江おうみ(滋賀)国境くにざかいである“大津”をも直轄地に求められたと聞きました」と嬉しそうに顔を綻ばせる。


 可成よしなりは信長と帰蝶が結婚した頃から召し抱えられている。信長が酔う度『主君を失い仕官する浪人が、父や弟のいる末森城ではなく、“尾張の大うつけ”だと疎まれるわしの那古野城に来るなんてなぁ。可成よしなりはこんな信長に付いてくる変わり者じゃ』と揶揄からかう程、一際ひときわ可愛がっている近臣だ。


 笑顔の可成よしなりの対角で、信長と勝家に満ちる空気を察した秀吉は、いつもの如く間を取り持つ。

「それは素晴らしい! そのどれも人や物の流れの中心地ですな。特に堺といえば天下一の兵器しょうであり、最も栄える港! 鉄砲や舶来品に溢れているとか。

近江の大津は畿内から北国への交易港。草津は東国への陸路の要衝。信長様は畿内全ての交易路を手中に収められた。ああ、誠にめでたい、めでたい!!」と手を叩きながら、軽やかな足取りで飛び跳ね、場の笑いを誘った。


 此れには信長も満悦の笑みを見せ、大いに褒める。

「流石は秀吉! 見事な洞察じゃ。

有り余る富と鉄砲弾薬を独占し、西国から東国への交易路を押さえれば、敵対勢力の物資の流通を完全封鎖できるとみた。いくさなくして武田の弱体化を図る事さえできるやも知れぬ」


「うむ。虚名より実利……」

酒宴の末席で光秀が小さく呟く。彼は幕府奉公衆となりながら、信長の配下で政務にも当たる両属状態にあった。


 ◇

 

 信長は義昭の将軍就任わずか十日で、帰蝶きちょうの待つ、美濃みの 岐阜城に帰還した。

阿波あわ(徳島)飛ばされた三好氏が、虎視眈々と報復の機を狙っているとも知らずに――。






“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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