第二話『愛し子の岨道』

 事の発端は、三年前にさかのぼる――。


 ―1553年―

 父が他界し、一年後――。

冬枯れの山に小さな春が訪れる頃、鹿狩りを楽しんでいた信長の背に向け、突如矢が迫る。


「――!! 信長様――!」

平手は咄嗟に、矢の前に飛び出した。


 ――?!


「じいっ――! おいっ! しっかりしろ!!」

自身の背後で倒れた平手を慌てて抱きかかえる信長を、平手はうつろな目で見上げる。

そして身を挺して守った愛しき若君が救われた事に心底安堵し、腹に刺さった矢を力無く引き抜いた。


「信長様……。――どうして争いはなくならぬのかと、うっ……幼き頃から、言っておられましたね……」


何故なにゆえ今そんな話――」


「貴方様が、……グヴッ、――泰平の世へと導かれるのを……、じいは空から、ずっと……ゴボッ――見ており……ます……」


「おい!! じい――、わしを置いて死ぬなど許さぬ!」


 平手は信長の腕の中で静かに息絶え、しかし瞳孔どうこうが開いた目は、守り続けたい愛子まなごを真っ直ぐに見ていた。


「畜生っ――!!」


 信長は人目もはばからず延々泣き叫んだ。

平手との思い出が走馬灯の様に駆け巡り、堪えようのない涙が次から次へと溢れ出す。

まだ温かな身体を抱きしめたまま、争う心を憎み、自分の不甲斐無さを呪った。

幼き日から、唯一愛情を持って接してくれた“じい”を失った信長は、腕の中で冷たくなってゆく遺体に、鬼神と成り果てた声で告げる。


「……矢を射った奴を、此の手で、――殺してやる」


 ◇


 弓矢を放ったのは、信勝を家督継承者に推す重臣 通具みちともだった。


『鹿かと思いました――』

淡々と悪びれる様子もなく弁明したと、使者からの言葉。


 しかし信勝を取り巻く重臣らは、何度も信長の暗殺を企てており、故意である事は明白だった。

やじりにはしっかりと、鳥兜トリカブトの毒まで塗り込まれていたのだ。


「必ずや平手のかたきを討つ!!」


 ◇


 ―1555年―

 信長が尾張守護の本城 “清洲きよす城”を主家から奪い取り、新領主として入城した事で、しがらみの緊張はより高まった。

織田家は清洲きよす城の信長側と、末森すえもり城の信勝側に完全分裂し、翌年には合戦へと発展。

いかれる信長自らの手で、“平手のかたき通具みちともの首を討ち取った。


 わずか七百の手勢で攻め掛かる信長軍の気迫に、信勝は倍以上の兵を擁しながらも敗走。

其のまま、籠城を決め込み母に泣きつく始末……。母の仲裁により、信長は渋々赦免しゃめんした。


 ◇


 そして、現在――。


 信長は愛する妻と腹の子の生命を危険にさらすまいと、清洲きよすから(愛知北西)湖北へ帰蝶きちょうを隠し、周囲に悟られないよう二人が不仲であるとの噂を広めなければならない状況に未だある。

父が亡くなり数年経とうと、家督争いの渦中からは抜け出せずにいた。


 帰蝶は、先の長良川の戦いで浪人となり越前えちぜん(福井北部)逃げ延びていた従兄いとこ 光秀を頼り、静かな寺で安住あんじゅうしている。


 うして産まれたいとし子と帰蝶には、間も無く別れの運命が待つ――。





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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