如月 レイナ2



 レイナは、訳も分からずに森の中へと逃げ込んだ。

 なぜ、と聞かれれば答えはない。強いて言うならば、自分に接近してくる青い点が来る逆方向へと逃げた……ただそれだけのこと。


 後になって思えば、それは失策だったと言わざるを得ない。

 少なくとも、森の中という視界の悪い場所へ自ら足を踏み入れたのは、自殺行為と言っても差し支えないだろう。

 目覚めたばかりの場所ならば、少なくともここより見晴らしはよかったはずだ。


 せめて、何者が自分に接近しているのか、確認してからでも遅くはなかった。

 ……そう後悔しても、後の祭りだ。


「あぁ!」


 レイナは、派手に転倒した。走りにくい森の中、そもそもレイナは運動神経は悪くないが、それとこんな場所を走ることが得意であることは、イコールとはならない。

 ともあれ、レイナは転倒した。急いで、逃げなければ……そう、立ち上がろうとした。


 しかし、彼女自身とは別の力によりレイナの身体は反転させられ、仰向けに押し倒される。

 しかも、口元を手で押さえつけられるおまけつきで。


「へへへ、ラッキーだぜ。まさかあの、高校生アイドルの如月 レイナを見つけられるなんて!」


「んん!」


「あんたみたいな、スターでもこんなゲームに参加してるんだな……いや、させられてんのか。

 まあ、それはどうでもいいか」


 目の前には、男がいた。見たこともない男だ、多分。

 体はがりがりで、黒髪は整えていないのか乱暴に伸ばされている。血走る目は、まるで野生動物が獲物を前にしたときのよう……本当に、見たことがないだろうか?


 ……いや、見覚えが……あった。

 こんな恐怖の状態でも、覚えているものだなと、レイナは恐怖の中にも自分の冷静な部分があることに驚いていた。


 彼は、レイナのストーカーだ。それも、かなり熱狂的なファン。

 握手会など、イベントごとには欠かさず来てくれていたのだが……ある時、レイナへのストーカー被害で逮捕された。しかも、罪状はそこに暴行も含まれる。


 当時、レイナと仲の良かった男性タレントがいた。一時は、熱愛報道などもあったが、それは結局勘違いによるものだ。

 ……しかし、男は……丈二 アラタはレイナの熱愛報道にひどく怒り、ストーカー行為を開始。最終的に、報道された男性タレントを殴りつけ、暴行事件にまで発展した。


「ん、んん!」


 そのニュースは、衝撃的だったので覚えている。自分のファンが、まさか暴行事件を起こすだなんて。

 彼は、ほどなくして拘束され、逮捕された。……はずだ。


 それがなぜ、こんなところにいるのだ? 刑期を終えて出所したならまだわかる……

 だが、まだ裁判すら起こっていないはずだ……つまりは、刑務所の中にいるはずの人物。よく似た人物? いや、体は痩せこけてしまっているが、間違いなく本人だ。


 それが、なぜ……


「んんん!」


「へへ、無駄さ。どれだけ暴れようとな」


 しかも、悠長に考えている暇はない。いや、考え事をすること自体が中断させられた。

 レイナの目の前に、ギラリと銀色に光るものが……ナイフが、見えたから。


 それだけで、恐怖に暴れる気力が失われ……しかも、それは脅しの道具ではないことを、思い知らされる。



 ビリィ!



「……っ!?」


 ナイフを突き立てられ、胸元から腹部にかけ、服が引き裂かれる。露になるのは、汚れの知らない白い肌……それを包み込む、白い布地。

 肌を見られたことの羞恥、一歩間違えば肌を傷つけられていたことへの恐怖……それらがごちゃ混ぜになり、レイナは声にならない叫びをあげる。


 当然、口を塞がれているため声が出ることもなく、くぐもった声とも言えない声が漏れだすのみ。そして涙が。

 男の目は、レイナの胸元へと注がれている。同級生の中では、大きいサイズだと友達にからかわれることもある……その度、男子の視線は気になった。

 仕事で水着を着たこともあるし、仕事で見られることには慣れている。それを考えれば別に、下着越しに胸を見られることくらい……


 ……ダメだ、恥ずかしい。それに、悔しい……!

 こんな訳も分からない状況で、男に組み倒されて、身体を見られている。


「暴れても誰も来ねぇよぉ。

 人殺しのサバイバルなんざ、ふざけんなって思ってたが……へへ、ムショから逃げられた上に、こんなおいしい思いまでできるなんてな」


 舌なめずりをする丈二 アラタの姿に、レイナは青ざめた。男に押し倒され、服を引き裂かれている……このあとに起こるであろう出来事が、頭をよぎる。

 いやいやと首を振るが、そんなものは抵抗にすらならない。


 彼もレイナと同じく、気がついたらこの島にいた……わかったのはこれくらいだが、今のレイナにそれらをどうこうと気にする余裕はない。

 男の指先が、胸元に触れる。他人のぬくもりが、とてもおぞましく感じた。


 その手が、今度はしっかりと……レイナの胸を、鷲掴みにする。


「おおっ、やわらけぇ……!」


「んんんー!」


 レイナは必死にもがいた、しかし状況は動かない。

 涙は勝手に流れていくのに、体は自由にはならない。男の手が這い回る度に、気持ち悪さが全身をくすぐっていく。


 ……なぜ、こんな目に遭わなければならない。

 私はただ、アイドルとして一生懸命に生きてきて……苦しいこともあるけれど、それ以上に楽しいから。だから、毎日頑張ってきて……


 こんな、デスゲームというわけのわからないものに参加させられて。ほとんど知らない男に体をなぶられて。男が満足したら、きっと殺されて……なんのために、今日まで生きてきたのだ。

 レイナはこれまでの人生で、明確に人に殺意を覚えたことはない。彼女も人間だ、あの人は死んだほうがいいとか、思ったことはある。

 それでも、一個人に対して……深い殺意など、抱いたことはない。


 その気持ちが今……揺れ動いた。揺れた気持ちは次の瞬間、確かに殺意へと変わる。



『死んじゃえ……!』

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