第43話 愛無限大
遥を抱いたまま、凪人は思った。
『これ、好きにしちゃってもよくね?』
と。
そして寝ている遥を抱き上げ、ベッドルームへと運ぶ。
心臓がめちゃくちゃな音を立てている。
ベッドに遥を寝かせた。危ないので眼鏡をそっと外す。
あどけなく眠る寝顔を、見る。
無防備だ。
あまりにも無防備すぎる。
「さて」
とりあえず声に出してみた。
理性と欲求のせめぎ合いである。
しかし、わかっている。
今ここで欲求に任せて手を出してしまえば、自分はすべてを失うことになるだろう。
目の前にいる遥を、失うことになるのだ。
そんなこと……、
「耐えられるはずない」
自分のものにしたい。
でもそれは、無理やりではない。今、この一瞬を満たすことになど意味がないのだ。目の前にいる、たった一人を失いたくないという初めての感情。誰にも渡したくないという欲。けれど、失くしてしまうのは嫌なのだ。絶対に。では、どうすれば?
手を伸ばす。
しかし、触れない。
今、触れてはいけない……。
愛しい人。
伸ばした手を、戻す。
そっと布団をかけ、部屋を出た。
*****
「本当にすまん!」
遥が手を合わせている。
結局、遥は朝まで寝ていた。凪人はリビングでゴロゴロしながら一夜を明かした。
謝ってる顔も可愛いな、などとニコニコしてしまう凪人を、怒っていると勘違いしているのか、更に小さくなる遥。
「まさか寝てしまうとは……。しかも凪人のベッドを占領してしまって」
「いいんですよ、別に。どうせ俺、緊張であまり寝られなかったし」
「しかし、」
「遥さんの寝顔、可愛かったし」
ニッコリ、笑う。
「……なんてことだ。失態だ」
珍しく落ち込む遥。
「さ、とりあえず朝ごはん、食べましょう」
家にあるもので作った朝ご飯は、スクランブルエッグに焼いたベーコン、食パンにコーヒーという簡単なものだ。それでも、二人で食べるモーニングは格別な味がする凪人であった。
「これが『宇宙人と朝食を』なのか……」
「なんですかそれ。名画のパクリにしても酷いですよ」
「……だな」
真面目な顔でそう言う遥に、思わず笑ってしまう。
「本当に遥さんは……、」
「ん?」
「知れば知るほど面白い」
「お前ほどじゃない」
真面目な顔で、そう言い返される。
ソファに並んで座ると、一緒にいただきますをして朝食にする。コーヒーの香りが辺りを満たし、なんとも心地がいい。
「で、どうなんだ。不安がっていたが、撮影はなんとかなりそうなのか?」
パンをかじりながら、遥。
「そうですね。なんか俺、掴めた気がします。遥さんのおかげです」
「ん? そうか?」
深く追及することなく、聞き流される。
「遥さんはすごいです。俺の世界をこんなにも広げてくれた」
「凪人の世界?」
「俺、今までいかに狭い世界の中にいたのか思い知りましたよ」
「随分大袈裟だな」
クスリ、と笑われる。
「本当ですよ? 俺、遥さんがいなかったらつまらない人生だったと思います」
「なんだ、やけに褒めるじゃないか」
「言葉にしないと伝えられないでしょ」
「そうだな。私にはアンテナがないしな」
ぷっ
自分で言って自分でウケる遥。
「こっ、これはテレパシーとかのじゃないんでっ」
なんだか恥ずかしくなって顔を背ける凪人に、遥が手を伸ばす。凪人の両頬を包み込み、自分の方に顔を向ける。
「ふぇっ?」
凪人が可愛らしく反応した。
「どんな姿形でも、どこにいても、お前はお前だ。問題ないさ」
「は……るか……さ」
そのまま顔と顔が近付き、唇が触れ合う……ことはない。
「さ、食べよう」
せっせと目の前の卵を口に運ぶ遥であった。
*****
スタジオは、回想シーンを撮るだけのスケジュールとは思えないほど関係者で埋め尽くされていた。プロデューサー、監督、それに原作者の
奈々もその一人だ。もちろん、遥を連れて、である。
「なんだか大変なことになってるね、大和君」
周りを見渡し、橋本マネージャーがコッソリ耳打ちをしてくる。
と、そんな二人に近付いてきたのは、もう一人のサカキ役、
「大和君、今日は楽しみにしているよ。私のこれからのサカキに大きく関わってくるシーンだからね」
真剣な顔で、そう告げる。
「よろしくお願いします」
やや緊張の面持ちで凪人が答えた。
「事務所の動画も見せてもらったんだ。君の『泣きの芝居』はとてもよかったよ。あんな風に美しい涙はなかなか表現できないからね。美しい男というのは得だな」
ハハハ、と笑う。
「大和君、そろそろいいかな?」
監督に呼ばれる。大体のカメラ割りや演技に関しては、朝から打ち合わせをしていたのでわかっている。
「はい」
ベッドの上にはアルロア役の女優が既にスタンバっていた。軽く挨拶を交わし、カメラの動きなどを確認しながら軽めのリハを行う。ガッツリの泣きが入るお芝居は、メイクの崩れや目が赤くなったりしてしまうので可能な限り一発が望ましい。
凪人はリハの間に気持ちを高ぶらせる。
今ならサカキの気持ちが少しはわかる気がする。
どんなことをしてでも自分のものにしたいと願いながらも、一切手を出さないサカキ。自分のものにならなくてもいい。ただそこに、彼女がいてくれれば、笑っていてくれれば。彼女の幸せこそが、自分の幸せだと心の底から信じているのだ。
そんなアルロアが目の前で命を落とす場面。
どれほどの悲しみか。
心臓を抉られた方がマシなほど、口惜しさと悲しみに支配されているに違いなかった。
それでもサカキは、やめないのだ。アルロアを笑顔にするための努力を。
(参るね、まったく)
遥がサカキを好きになる理由が今更ながらによくわかる。こんな男、他にいないだろう。もちろん、二次元での話なのだから現実にいるわけはないのだが。それでも……、
(今、この瞬間だけは、俺がサカキマサルだ)
「それじゃ、本番いきまーす。サン・ニ・イチ…、」
カチンコが、鳴る。
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