第42話 表現方法

 凪人は、目の前に並べた二冊の本を交互に見比べ、悩んでいた。


 一冊は映画の台本。

 もう一冊はカレントチャプター、エピソードゼロのコミックである。


 番外編として発売されたエピソードゼロは、若かりし頃のサカキとアルロアが描かれている書き下ろしで、ファンの間ではサカキの純愛が尊すぎると話題沸騰になったらしい。遥も、これを読むたびに泣く、と語っていたが、凪人にもその気持ちはよくわかる。


 とにかく切ないのだ。


 特に最後のシーン。アルロアが亡くなるシーンは、サカキの男気が溢れている。凪人が演じるのはまさにそのシーン。だからもう、何十回もこの巻を読んだ。読んだのだが……、


 サカキは、泣きながらアルロアに話しかける。彼女の夫であるカルロ刑事になり切って。手を握り、アルロアの愛したカルロとして彼女を励まし続けるのだ。

 しかし、そのシーンを夜和井シャモは背中しか描いていない。肩を震わせ、しかし一切声を震わせることなく泣きながら話しているであろうサカキがどんな顔をしているのか、わからないのである。


「どんな顔してるんだよ」

 どんな表情で、アルロアを見ているのか。気持ちは理解できるが、表情が見えない。事前に画コンテは見せてもらった。カメラは凪人の顔を映すことになっているのだ。つまり、顔を撮られる。


 ブブブ、と携帯が振動する。見ると、奈々の名前が表示されている。早速報告か。

「もしもし?」

『なぁぎぃとぉぉぉ』

 あ、とすべてを察する。

 あまりいい報告ではないのだろう。


「いや、俺聞きたくないかも」

 早々に白旗を上げる。

「遥は凪人に全く興味なかった」

 などと言われた日には、立ち上がれなくなりそうだ。

『そんなこと言ってないで、もっと頑張りなさいよ、もうっ。あんた次第なのよ、あ・ん・た・次第!』

「はぁ?」

 奈々は半分怒っているような、半分嘆いているような、おかしなテンションだ。


『あ、遥、あと十五分くらいで帰るはずだから、コンビニでも行って帰りを待ち伏せしなさい! ベランダじゃなく隣歩いて話せるから。何ならキスの一つもしてきてよね!』

 正しいストーカーの勧め、である。


「いや、キスって…、」

『凪人……、』

 改まって、奈々。

「……なに?」

『遥のこと、絶対落としてよ!』

 何故か凪人よりもやる気満々な奈々なのである。



*****


「おかえりなさい」

 コンビニの前で凪人が遥に声を掛ける。


「凪人? どうした、こんな時間に」

 待ち伏せしてました、とはさすがに言わず、あくまでも自然を装う。

「ビール飲みたくなっちゃって。遥さんも、どうです?」

 コンビニの袋を掲げてみせる。


「そうだな、飲もうか」

 プシュ、といい音を立てて缶ビールを開けると、遥に渡す。

遥はそれを受け取ると何の躊躇いもなく、コクリ、と一口飲み、

「路上で飲む缶ビールは旨いな」

 などとオッサン発言をする。


「ぷっ、なんですか、それ」

 思わず吹き出す凪人。

「凪人は嫌いか? 外飲み」

 遥に言われ、缶ビールを見つめる。

「俺は……、俺は遥さんとならどこで飲んでも美味しいと思います……よ」

 ちょっと小さい声になってしまったが、言った! 言ってやったぞ! これは妄想ではない。リアルな声だ!


「あはは、私は酒の肴かっ」

 しかし、伝わっていないのかケラケラ笑われてしまう。少し酔っているのか?


「遥さんっ」

 凪人は一世一代、勇気を振り絞って遥に向き合う。

「どうした?」

「あの、俺、撮影終わった後で、話したいことがあるんですっ」

「撮影の後? 今じゃダメなのか?」

 不思議そうな顔で、遥。

「えっと、俺のサカキを見てもらってから伝えたいっていうか……、」

 また、もごもごしてしまう。


「ふぅん。まぁ、いいさ。悩み相談でもなんでも、いつでも聞いてやるよ」

 そう言ってグイっとビールを飲み干す。奈々としこたま飲んだ後だったから、少し酔っている。わかっていても、飲む。


「あのっ、ちょっとだけ!」

 凪人が再度、強めに声を出す。

「ん?」

「この後、ちょっとだけ、俺の部屋に来ませんか?」

 真剣な顔で、訊ねる。

「どうした? 怖い顔して」

「ずっと考えてて……、その、表現方法を」


 ああ、映画の話だな、と遥は思ったはず。

 しかし、違う。凪人は、このままではダメだ、と思い始めていたのだ。なにか、遥に対する思いを、今までとは違う表現方法で示さなければ意識すらしてもらえない……と。やり方がせこいのは百も承知だ。それでも、演技相談だと思わせて一緒にいられれば。なにか、打開策が……


「仕方ないな」

 遥が頷く。

 凪人はにっこり笑い、遥の手を取った。

「じゃ、行きましょう」


(よし! 手繋ぎ成功~!!)


 さりげなく、さりげなく密着度を上げる作戦だ。


(次は部屋の中で…なんとか……うん。何とか意識させる方法を!)


 思考回路フル回転でアパートに帰る。鍵を開け、中へ。遥を先に通し、ドアを閉めた。

「お、エピソードゼロか」

 早速、置いてある漫画に気付く遥。


「かなり読み込んではいるんですけどね、なかなかピンと来なくて」

「なるほど」

 確かにアルロアとの病室のシーンを再現するのは難しそうだ。

「遥さんはどう思います?」

ソファの隣に座り、遥を見る。

「どう、とは?」


「好きなのに、触れることも出来ない。好きなのに、俺じゃない人を思ってる。好きなのに、絶対に手に入らない。それでも彼女だけを愛してる」

 じっと目を見て、ひと時も逸らさない。

「そうだな。サカキの愛は、深いな」

「俺だったら耐えられない。すぐそこにいるのに、こんなに近くにいるのに、手を伸ばせば、触れられるのに……、」

 すっと手を伸ばし、遥の手を握った。


(よし、握ったぁぁ!!)


「俺を見てほしい。俺を好きになってほしい。俺だけのものに、したい」

 遥の手を、両手で包み込むように握る。見つめ合う、二人。

「私もきっと、ただ見ているだけなんて、出来ないだろうな。好きなら、きっと触れたくなる」

 真剣な顔で、遥が言う。


「……こんな風に?」

 凪人が遥を引き寄せた。小さな肩が目の前にある。そのまま胸の中にすっぽり収まる遥。凪人は片手で遥を抱いたままゆっくりと髪を撫でる。可愛い。思いが込み上げる。


(あ、ヤバい……止まんないかも…、)


「遥さん、俺、」

 抱き締めた遥をゆっくりと解放する。遥は何も言わず、俯いたままだ。

「遥さん……、」

 このまま、いっそこのまま気持ちを伝えてしまえば、


(あれ?)


「……遥さん?」

 コテン、と凪人の胸に倒れ込む遥。


「……うっそでしょ?」

 凪人が天を仰いだ。


 遥は、気持ちよさそうに眠りについていたのである。

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