ホームルーム(前半)妹VSお兄ちゃんs'⑤
「…………う、うわぁぁぁぁーーーーんっ! これじゃないーーーー! 前のがよかったのにぃーーーー!」
聞いたこともないような、大きな大きな泣き声が屋敷のリビング中に響き渡る。
声の発生源は、一ヶ月前に出会ったばかりの小さな妹。
いつもニコニコと自分たちを癒してくれる
その妹を゙中心に、オロオロとした表情の九人の兄弟たちがどうしたものかと周りを囲んでいる。
「あ、あのね。光ちゃん。あのお茶碗、この間はじっこが欠けちゃったでしょ? だから、お兄ちゃん新しいのがいいかなって思って」
「欠けたまま使っていると怪我して危ないですから、あれはもう捨てた方がいいんですよ」
「いやっ! あれ、あれがいいの! あれじゃないとダメなのぉ……。う、うわぁぁーーーーん!」
「まいったな。いったい、どうすればいいんだ……」
指で光の涙を拭いながら、薫と春が必死に説得しようとするが、まったく効果なし。
夕なんかは、どう声をかけたらいいのかもわからないようで、眉間にシワを寄せたまま頭を抱えている。
大の大人に囲まれたまま、大粒の涙を流し続ける僕たちの愛しい妹。その姿を見ると、胸が締め付けられる思いになる。
これまでだったら、子どもの泣き声なんて創作活動の邪魔になるだけだったのに。
「光、見てください。こっちの新しい物はハイブランド製で、手触りと質感、それに耐久性能にも優れているものらしいですよ」
「その説明は、小学生にはわかりにくいんじゃねーのか」
「あのね、光ちゃん。あれは適当にポチッた安物だったから、こっちの方がちゃんとした物なんだよ。お兄ちゃん、こっちの方が光ちゃんに合っていると思うんだけどなぁ」
「いやっ! あれがいいの! あれじゃなきゃダメなの!」
霧たちも新品の茶碗を見せながら光の興味を振り向かせようとしているが、当の本人にはまったくお気に召さないようで、攻防戦が続いていた。
九人の兄弟が久しぶりに実家に戻ってきたあの日。
愛くるしい妹に出会って一緒に過ごすようになったものの、彼女がこの屋敷で冷遇されているのはすぐに見て取れた。
父親代わりである王番地長道は養育には一切関わらず(まあ、それは僕たち兄弟全員にも当てはまるが)、使用人たちも見て見ぬ振りの状態。
王番地家に養子に入ったからには、それなりの待遇が約束されているはずであり、現に僕たちも希望するものは何でも買い与えられた。『愛情』以外のものは。
なのに、光には食器一つですら満足に与えられてはいなかった。
初めて僕たち兄弟と出会った時だって、光だけ大広間ではなく使用人が使うキッチンの隅の机で食事を取らされ、使っている食器は大人用の古い物。
もちろん、僕たちは激怒し、すぐに光の待遇改善を行った。
だって、普段遣いの物ですら、満足に買い与えられていなかったんだよ?
とりあえず、生活必需品は即日配送可能な子ども用の物をネットで購入。
慌てて注文した物だから、本人の好みとかまでは検討できなかったのだが、そんな物でも光は届いた荷物の中身を見て大喜びしてくれた。
『――――っ! これ、私の……? 私が使って、いいの……? 嬉しい! ずっと、大事にするね! ありがとう、お兄ちゃんたち。大好き!』
その言葉に、全員が骨抜き状態。
そんな大したものを買ったわけではないのに、愛する妹に大喜びしてもらえた、あの快感と高揚感。
もっと買って上げたくなる衝動に駆られてしまったこの時の体験が、今の貢ぎぐせに繋がっているのだろう。間違いない。
で、その時に購入したご飯茶碗を光は特に気に入って使っていたが、ある時それが欠けてしまったらしい。
僕たちが急遽購入したそれは、プラスチック製ではなく陶器製のご飯茶碗だったのだが、耐久性とか使いやすさとか何も考えなかったため、小学生には使いづらい物だった可能性が高い。
なのに、光は『自分のせいだ』と僕たちに謝り続け、欠けたご飯茶碗をそのまま使い続けていた。
しかし、欠けたままの器で怪我をしてしまったらとんでもないことになるので、僕たちは慌てて新品のご飯茶碗を購入し直した。
今度は適当にポチッた物ではなく、ちゃんとした物を選んだので気に入ってくれると思っていたのだが……、今に至る。
「あれがいい! あれがいいのっ!」
の一点張りを繰り返す光に対して、ほとほと困り果てる僕たち兄弟。
すると、その様子を少し後ろの方で眺めていた明が、泣き続けている光を抱きしめながら優しく声をかけ始めた。
明は研修医時代に小児科での勤務経験もあったらしく、子ども慣れしていない他の兄弟よりは接し方が上手い。
「ねえねえ、光りん。どうして、前のお茶碗にこだわるの? 新しい物の方がいいんじゃないの?」
「そうだよ〜。あの割れた茶碗はあまりよく見ずに買っちゃった物だから、そんなに良い物じゃないんだ。今回の方が質が良い物だよ」
「そうそう。それに、お金のことなら心配しなくていいし、壊れた物はすぐに新しい物に変えればいいんだよ」
他のメンバーも、わらわらと近づいてきて、光の説得を再び始める。
そもそも、壊れたものに何故光がそこまで執着するのか、僕たちにはわからなかった、
道具なんて他にも山ほどあるんだし、さっさと新しいものに変えたらいいのに。
使えないものを取っておくなんて、意味がわからない。
さっさと、捨てればいいのに。
イラナイモノハ、フヨウナモノハ、ハイジョスレバイイ――――
ここにいる兄弟全員が過去に突きつけられてきた言葉。それは、ごく当たり前の思考なんだと思っていた。
だって、これまで関わってきた人間は、皆そういう者たちばかりだったから。
しかし、光は首をブンブンと横に振り、頑なに自分の主張を曲げることはしなかった。
「……あのね。あのご飯茶碗は、お兄ちゃんたちが『光のためだけに』って初めて買ってくれたでしょ? このお屋敷には、『光だけの物』ってなかったの。でも、あれはお兄ちゃんたちが買ってくれた『私だけのもの』だから、いらない物じゃないの。壊れてしまっても、とっても大事な必要なものなの」
その言葉に、九人の兄弟全員がハッとする。
いらないものなんかじゃない。排除されるものなんかじゃない。とっても大事な必要なものなのだと。
その言葉に、どれほど救われただろうか。
自分にとっても、今まで真っ黒に塗りつぶされていたキャンバスに、白く輝く光が照らされ、自由な空間を与えてくれた瞬間だった。
「そう……だったんだね。ごめんね。光りんの想いに気づかなくて」
「俺たちが買った物を、そこまで大事にしてくれてたんだな。こっちこそ、ありがとうな」
「じゃあ、その『大事な光だけのもの』は捨てるんじゃなくて、修理するしかありませんね。空、あの割れた茶碗は、まだ捨ててないですよね?」
「うん。欠片もまだ残ってるよ。粉々に砕けたわけじゃないから、表面にうまく接着できればなんとかなると思うんだけど」
空はそう言いながら、欠けたご飯茶碗を棚の奥から出してきた。
確かに、口造りの部分が少し欠けただけだから、まったく修復できないわけではなさそうだ。
「でも、茶碗って瞬間接着剤で付くんだっけ? ってか、この屋敷にそんな修理で使えそうな道具あんのか?」
「ないかもしれませんね。我々もそうですけど、『壊れたら買い直せばいい』って発想の人間しかいないわけですから、『壊れた物を直す』なんてやったことないんじゃないですか?」
「だよなぁ……。紫、お前は美大出だろ? 器関係にも詳しいんじゃねーの? 何かいいアイディアはないのかよ?」
「僕は絵画専門だからね。流石に専門分野が違うからそれほど詳しいわけでは……あっ、陶器だったら、“金継ぎ”ってのがあったはず。僕はやったことないけど、確かそういったキットも市販されていたと思うよ」
僕は、美大時代の同僚の話を思い出し、鞄からタブレットPCを取り出した。
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