幼馴染
赤坂 蓮
恋の基準
少し空いた窓から心地よい隙間風が通り抜ける
太陽の光はここぞとばかりに窓から一斉に差し込み、教室の温度を温める
全ての授業が終わった騒がしい教室で彼——
夜更かしをしてゲームをする癖をつけてからは学校の授業で眠くなることが多くなり、今日も授業終了と同時に体の電池が切れる。
意識が飛びそうになるくらいの睡魔と重力を二倍で受けているかのような倦怠感に襲われて立ち上がる気力すら湧かない。
あちこちで一緒に帰る話や夜一緒にゲームをする約束などが聞きたくなくても耳の中に入ってくる。
そんな雑音と化したクラスメイトの声が飛び交う中に、ひとつだけ藍斗の方に近づく音があった。
スタスタと徐々に大きくなる足音は、ほのかに甘い香りを乗せて藍斗のすぐ横で止まる。
「藍斗?もう授業全部終わったけど、大丈夫?」
柔らかくて透き通った聞き心地の良い声
小さい頃から聞き慣れたこの声は顔を見なくてもすぐに頭に思い浮かぶ。
藍斗と三歳の頃から幼馴染である
「もう無理。無理無理、帰るのも無理」
藍斗は突っ伏したまま声を籠らせて答える。
「そんなこと言ってもあとは帰るだけでしょ?そんなところでずっと伏せてたって何も変わらないよ?」
穏やかで甘い口調に誘われて渋々顔を上げると、そこには予想通り愛菜がいた。
艶のあるサラサラな髪をハーフアップにした小柄な子で、制服をピシッと着ているところが愛菜の性格をよく示す。
昔から面倒見が良かった愛菜は幼い頃から藍斗とよく遊び、頼れるお姉さんのような立ち位置だった。
今ではそんなこともなくなりただの仲が良い幼馴染なのだが、面倒見がいいことが昔から変わらない愛菜は今もこうして藍斗を心配しにやってくる。
お節介だとは思わないし、藍斗からすれば喋るきっかけを作ってくれるありがたい性格だと思っている。
そのせいと言えばいいのか、おかげと言えばいいのか、いつの間にか藍斗はそんな愛菜のことを密かに心惹かれていた。
「今日はどうするの?一緒に帰る?」
愛菜はたとえクラスが離れていても定期的に藍斗と下校する約束を持ちかけてくる。
そういうクラスが違っても一緒にいる時間が一定数あることも心惹かれた要因なのかもしれない。
男なんてみんなそうだろう。
まだ恋愛のれ文字すら知らないほど幼い頃から一緒にいた異性が、今もこうして一定の距離で仲良くしていれば好きにならないことなどほとんどない。
「…帰る。準備するからちょっと待ってて」
藍斗は下校の誘いに内心喜びながら、それでも愛菜に気づかれないように冷静さを保ちながらそう答えた。
——————————————
晩春の日の光に暖められた春風が学生服の中をスーッと駆け抜ける
冬の寒い日を忘れさせるほどに暖かいこの季節は、人々の服装を身軽なものに仕立て上げる。
藍斗もつい先月までは学生服の上にコートを着ていたが、気がついたらそのコートも家のハンガーにかけられて留守番をするほどに使わなくなった。
「最近は気温も上がってあったかい日が続いてたけど、今日はあったかいというよりも少し暑いね。」
ふとした愛菜のぼやきに藍斗は思わず視線を愛菜の方へと向ける
先月までモコモコのマフラーを首に巻いてカーディガンを着ていた愛菜も、気づけば全てを取っ払って身軽になっていた。
教室で見た時はすぐに気づかなかったが、気づいた途端にものすごく愛菜の制服姿が気になり始める。
防寒対策でふっくらしていた服装が今は制服だけになり、小さい体ながらもシュッとした体が際立つ。
そんな不埒な観察をしていた藍斗はふと我に帰って視線を逸らしながら自分を律し、愛菜にバレないよう話題をつなげる。
「…なんか、時がすぎるのって結構早いよな。つい先月まで進級してクラスがどうとか担任がどうとか言ってたのに。」
「そうだね。高校生活、こんな感じで一瞬で終わっちゃいそうでなんか怖いなぁ。」
高校生になって二年目、特に何も起こらないまま一年が過ぎた。
その考えでいたら二年目、三年目も特に何も起こらず終わってしまうのだろうか。
「高校生になったらもっと充実できると思ったんだけどなぁ」
充実した記憶のない過去一年を振り返りながら通学路である河川敷を歩く
一級河川の左右に位置する大きな河川敷には元気に遊ぶ子供達の声や小鳥の囀りで賑わっていた。
夕日も落ち始めて遠くの景色を赤く塗りつぶしていくが、春から夏への移り変わりで日中時間が伸び始めている影響で外は明るさを保っている。
「…充実って、なんだろうね。」
いきなり愛菜がつぶやいた疑問に藍斗は思わず言葉を詰まらせる。
藍斗にとっての充実は勉強も部活もそうなのだが、それ以上に恋愛というものが大きな鍵を握っていた。
それこそ今隣で一緒に歩いている幼馴染と…だ。
「確かに勉強も忙しいし部活も大変だからあんまり遊んだりできないかもしれないけどさ、逆にそういう忙しいのも充実なんじゃない?そう考えると去年は充実してたんじゃないかな?」
「確かにそうなんだけど…」
愛菜の生真面目な返答に藍斗は納得を感じながらもどこかで譲れない部分があった。
勉強よりも部活よりも…もっと青春を謳歌してみたいのだ。
藍斗がどこか詰まったような反応しかしない様子を見て、愛菜は探りを入れるように肘でつつきながらちょっかいをかける
「な〜に〜?藍斗、もっと他にやりたいことでもあるの?」
そのちょっかいをかけてくる仕草でさえも、藍斗には可愛らしく見えた。
いつからこんなにドキドキするようになったのだろうか…
いつから愛菜と話す時に自分をカッコよく見せようとしたのだろうか…
藍斗はその感情の境目を知らないまま愛菜のことが好きになってしまった。
「何って…もっとこう…青春みたいなことがしたかったんだよ」
「青春ね〜恋愛ってこと?確かにそう考えると去年は何もなかったね。」
藍斗は耳を赤らめながらも精一杯愛菜に気づかれないよう平常心を保とうとする。
好きな人の前で恋愛話をするんじゃなかったと数分前の自分を恨む
だが、もしここで思い切って告白したらこれからの高校生活はどれくらいの変わってくるのだろうか、そんな考えも同時に頭の中で浮かび上がる
ふと空を見上げると、愛菜と話す事に夢中で気がつけば綺麗な夕焼け空が空全体を覆い被さっていた。
吹き抜ける風も涼しくなり、1日の終わりを告げにやってくる。
もうすぐ愛菜と別れる道へと差し掛かった所で、藍斗は急に立ち止まった。
ロマンチックな夕日と同時に寂しいような気持ちが入り混じり、藍斗の中の感情を掻き乱す。
仕舞いには無意識に足を止めていた。
「藍斗、どうしたの?」
緊張で手足はかすかに震え、今でも逃げ出したくなりそうなくらいに体が言うことを聞かなくなる。
それでも藍斗は手を握りしめて震えを抑え、ぶっきらぼうな言い草で愛菜に話しかける
「お、お前は恋愛したいとか…思った事ないのかよ…」
「私?まぁちょっとは思ったことあるけどね。」
『俺はお前が好きだ』その言葉をただ発すればいいだけなのに無駄に躊躇ってしまう
それは藍斗にとって愛菜が幼馴染という関係ではなく、心惹かれている一人の女性である証そのものだった。
グッと体全身で緊張感を抑え、かすかに震える声で、それでもはっきりとした大きな声で藍斗は思いを告げる
「俺はお前が好きだ。付き合ってほしい。」
瞬間、世界が止まったかのように藍斗の中では時間の流れが遅く感じるようになり、風は止み、音は静寂を貫き、何もない夕焼けの夜空が二人を包み込む。
とうに顔など見れなくなった藍斗は愛菜がどんな表情をしているのかわからなかった。
そんな中、聞き慣れた柔らかく透き通るような声が聞こえる。
「———ごめんね。私、藍斗とは幼馴染のままでいたいんだ。」
幼馴染 赤坂 蓮 @akasakaren
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