第八章 再縫合

                1

「あら、結子ちゃん…」

「こんばんは。お母さま」

 木曜日。

私はノボルくんの家に来ていた。

昨日机に置きっぱなしだったスケッチブックを私に来たのである。

「ノボルくん、大丈夫そうですか?」

 真自さんのみならず、彼もまた、今日は学校に来ていなかった。

「一応、風邪とかは拗らせてないから大丈夫だとは思うわ」

 …気にしてるのかな…

「これ、昨日机に忘れて行っていたので…」

 そう言いながら、私はノボルくんのお母さんに手渡す。

「スケッチブック…」

 手渡されたソレを手に持ち、お母さんは暫く黙りこみ、ペラペラと何ページか内容を確認していた。

「…うん、確かにノボルのやつっぽいわね」

 納得した様子だった。

 これで取り敢えずは帰ろう。

 そう考えていた。

「…はい、じゃあコレ」

「…えっ?」

 あろうことかノボルくんのお母さんは、渡したスケッチブックをそのまま私に返却したのだ。

「え、ですから…」

「結子ちゃん」

 無意識に背筋が伸びた。

「…私は何が起きてるのかは分からないけど…貴女は今動くべきだわ」

「それって…どういうことですか…?」

 何が言いたいのか分からなかった。

「どうもこうも…貴女、だめよそういうの」

「ダメって…」

 どういうことですか。

 …そう続けたかったが、無理だった。

 恐らくこの人はこの空気感を『知っている、通過した人間』なのだろう。

 …隠し事はできない。

「二階にいるから。頑張ってね、結子ちゃん。今が佳境よ」

 そう言われた私は無意識に、彼のいる部屋へと足を運ぼうとしていた。

 足取りが、重い。


                 *


「…という事で、真自。予定通り今週の土曜に行うが、良いんだね?」

「ええ。勿論です」

 木曜の夕方。

 明後日に控える結婚式の最終調整を行っていた。

 隣には午前中に家にやってきた常盤さんも一緒にいる。

 今日はラフな格好で来ており、白いレースのワンピースの上に一枚羽織っている。

「常盤さん…いや、さくらさんもこの日時で大丈夫でしょうか?」

「ええ。母もその日のその時間帯ならお休みが取れると言っていたので…」

 常盤さんは言う。

 彼女の両親は離婚しており、さくらさんを引き取ったお母様は現状一人で働いている。

 一応離婚の際に元夫の方と「さくらの養育費」と称し、かなりの額を貰ったらしいが、やはりそれだけに頼るのも危険であると判断したようだ。

「そ…それにしても…真自さん」

 ポッ…

 何故か彼女の顔が赤くなる。

「ど、どうされました…さくらさん…」

「そ、それです…!」

 ポッ…ポッ…

 いったいどれなんだ。

「先程から…私の事…さくらさんって呼んでくれてますよね…」

 それか。

 …と思ったが、確かに僕も無意識の内に「さくらさん」と呼んでいた。

 …恐らく僕の心で、この人と歩んでいく決心がついたのかもしれない。

「私…幸せです…」

 きらきら…

 そういう音が聞こえてきそうなくらい、彼女の嬉しそうな目が此方に向けられていた。

「あらあら、もうゾッコンじゃないの」

「父さん。茶化さないでくださいよ」

「そんな…ゾッコンだなんて…ポッ…」

 ポッポッ、きらきら…

 …さくらさんは、僕の手を優しく握った。

 …は、恥ずかしい。

「あらあら…あっつあつだなぁ真自…!」

「あのねぇ!」

冗談にツッコミを入れる程度には、様々な事から解放されつつあるのを実感した。

「…ともかく、この日時でこの日程で行う形で決定しますので、さくらさんも後ほどお義母さまにお伝えください」

「わかりましたっ…」

 そう言うと小さく両手でガッツポーズをし、張り切った素振りを見せた。

「あ…そうだ」

「まだ何か、不明点でも…?」

「いえ、そうではなくて」

 そう言いながら、彼女は自身の鞄から携帯を取り出す。

 随分長く使っているスマホなのだろう。落した後が確認できる。

「お義父さま…これを…」

「ん?私?」

 そう言うと父さんにスマホを渡した。

 …ちらっと見えたが、恐らくカメラアプリだった。

「コレで撮っていただけないかなと…」

「ほう! …じゃあ二人とも、こっち向いて~」

 僕とさくらさんは互いに少し身を寄せ合いながら、にっこりと笑う。

「じゃ、撮るぞ~」

 …とりあえずピースをしてみる。

「はい、地球」

 この親父のおふざけっぷりは一生治らないだろう。

「…はい、撮れたよ~」

 よく見たら僕が「地球」で素っ頓狂な顔をしている瞬間を撮っていた。

「父さん!」

「ハッハッハ! こっちの方が面白いでしょ」

 明らかに揶揄う時の、少し頬の筋肉が上がる様な笑みを浮かべていた。

「あ、ありがとうございます…」

「いえいえ~… さくらちゃんも写真うつりがいいんだねぇ」

「い、いえ…」

 ポカポカ…

 そんな春の陽気な効果音が付きそうな、彼女の嬉しそうな顔が画面に映っていた。

「はぁ……」

 …僕も頑張ろう。

「…そうだ。そしたら僕、学校やハガキを送っている人に連絡入れますね」

 僕の中の時計は、順調に一つの運命を刻み始めていた。


                  *


「…はあ」

 やる気が。

 出ない。

「…今回ばかりは不可逆的だよな…」

 真自と結子。

 …。

 もう少し、もう少しだけ俺がバカじゃなかったら変わっていたのだろうか。

「…はあ」

 ため息ばかりが出てしまう。

 最近は絵の投稿もすっかり止めてしまっている。

 ネット上じゃ死亡説が出てくる位だ。

 この数週間を通して、俺は全てを見直した。

 見直した結果、何も残らなかった。

 感覚的には、試験問題の解答が一つズレて記入していた時に近い。

 地獄とも違う、けれど取り返しのつかない、ああいう感覚。

「…」

 動かないイニアを見つめていた、その時だった。

「ノボルくん…居る…?」

 …幻聴だろうか。

 コンコン。

 二回ほどノックがする音が聞こえる。

 間違いない。彼女が、いる。

「…学校に置き忘れていた物を届けに…」

「ああ…」

 恐らく俺のスケッチブックだろう。

 …多分中も見られている。

「部屋の前に置いといてくれ」

「でも…」

 その声と共にドアノブがゆっくりと下がるのが見えた。

 怖い。

「入るな!」

「えっ…」

 傾いていたソレがすぐさま元の位置に戻った。

「お前がいるべき場所は、俺の部屋じゃないハズだ…」

「…ち、違うの…あれは」

「何がちがうんだよ!」

 思わず声を荒げてしまう。

「先生も、俺に協力してくれるって言ったけど…あの会話の内容からして、お前の事を止めることはできなかった…そうだろう…」

「ノボルくん…話を聞いて欲しいの…アレは…」

「もういいんだ…」

「ノボルくん…」

「今週末、君をお祝いしに行きます」

「…!」

 ドアの向こうですすり泣く声が微かに聞こえる。

「…ごめんなさい」

「謝るなよ、結子…折角俺もフンギリつけたのに…」

 …泣いてしまうではないか。

「…」

 彼女が階段を降りる音が聞こえた。

 良いんだ、コレで…

 今まで気付かなかった俺の…

 過ちだ。


                  2


「だから…僕は他の方と結婚することになったんだ」

『はぁ!? オメエの結婚相手は結子じゃねえのか!? そりゃオメェどういう風の吹きまわしでぇ!』

「…なんか先生から変な伝わり方してないか?」

 僕としたことが…数日間学校に顔を出さなかったばかりに、いつもの連中はすっかり結子さんと結婚する認識になっているらしい。

『て、てめぇ! いつまでも振り回しやがって! 証拠はあんのか!』

 スマホから、耳が割れんばかりの天堂さんの声が鳴り響く。

「あ、あの…」

 流石に隣にいるさくらさんも少し驚いている。

 天堂さんの誤解を晴らすためにも何か証拠を…

 …そうだ。

「天堂さん、ちょっとカメラ通話に切り替えてもらえますか」

 一番の証拠が隣にあるではないか。

『ん、なんでい…俺は証拠を提示しろって…誰だ?隣のやつは…』

「わたし…ですか?」

『おめえしかいねえだろ』

「私は…その…」

 画面の向こう側でイライラしているのがわかる。

 僕が切り出すか…。

「この方はですね…僕がお見合いの末に決めた方なんです」

「はい…常盤さくらと申します…」

 さくらさんがそう伝えた後、電話を切っていないのにもかかわらず、十秒程無音が続いた。

『…おめえ、本当か…』

「はい。私達、先ほどまで挙式当日の動きを確認していました…」

 事情を知らないさくらさんは少し困惑する一方で、画面の向こう側も、多すぎる此方の情報量に首を傾げ、悩ませていた。

『そ、そうか…』

「分かっていただけましたか」

『お嫁さんご本人が登場しちゃあ信じないわけには行かねえが…』

 まだ何か言いたそうな顔である。

「何かご質問が無ければ他の人にも連絡したいので…一旦切りますね」

『あっ待ってくれ!まずは俺じゃなくて坂…』

 勢いで切ってしまった。

「さっきの男性の方…最後に何か言いたそうでしたけども…」

 …スピーカーが破損する前に切っておいてよかった。

「何か、言ってましたか?」

「ええ…『坂』…って」

「ほう、坂…」

―先ず俺じゃなくて坂…

―俺じゃなくて坂…

―坂…

―坂屋…

―俺じゃなくて坂屋…

 …確かに。

 久々に優先順位を間違えた気がする。

「…あいつには迷惑もかけたしな。先生たちより先に電話かけておこう」

 そう思ってかけてみたが…

「十回やって十回通話中…着拒にしてるな」

 …それもそうか。

「せめてメッセージだけでも送っておこう…」

 ―僕、平野寺真自は土曜にこの方と結婚式を行います。今まで迷惑をかけて本当に申し訳ない。

「さくらさん、ちょっと写真を一緒に撮って撮らせていただいてもよろしいですか?」

「え、ええ…」

 …パシャリ。

「ありがとうございます」

「いえいえ…」

 これを添付して送信…

「あとは何て書くか…」

 普段であれば気の使える言葉がスラスラ出てくるのだが、この時ばかりは十分程時間を要してしまった。

「よし…」

 ―この方、常盤さくらさんと言って大変僕と歯車が合ったんだ。

「それと…」

 ―自分を見直して気付いたんだ。

―悔しいが僕は君より弱い。

―君の方が、結子さんを支えていける。

「…こんなもんか」

 ふう、と一息ついた。

 散々ちょっかいをかけてきた彼に、今このタイミングで謝罪を入れると言うのも変な感じがする。

しかし、これがケジメをつけると言うことである。

「…ポッ」

 メッセージを送信した僕を見て、さくらさんが何故かうっとりしている。

 今の中で彼女が介入してくるタイミングはあの写真以外にないはずだが…

「私、自分自身がこんな芸術的な、ドロドロした中に足を入れていたなんて…信じられません…」

 …嫌な予感がする。

「芸術…! これは芸術です! 事実は小説より奇なりと、ももも、申しますが…まさか私自身がこういった特異な環境に放り込まれているとは…全く持って知りませんでした…! そう! まるでわたくしが以前目を通した『恋愛らぶこめでぃ』そのものではありませんか! ああ、官能小説や『ひるどら』よりも幼く、けれども全年齢向けの端っこにたたずんでいるような…そんな小説や漫画を読破した時の感覚と似ております…! 私は…私は…こんなことをしてしまう真自さんと一緒になれて幸せです…! ああ、やはり敬意をこめて真自様とお呼びするべきでしょうか…」

「…どうぞ、さくらさんのお好きに…」

 僕の熱量がちっぽけに見える程の、圧倒的な熱弁と共に僕は彼女にマウントポジションを取られていた。

 …心の時計が、十時間ずれ込む音がした。



                 3


「もう帰っちゃうの?」

「え、ええ…忘れ物も届けたし…」

 私は玄関でノボルくんのお母さんに呼び止められる。

 もうここに来ることもないかもしれない。

 いや、来れなくなるの方が正しい。

 それなのに、一刻も早くここから出て行きたいという気持ちもある。

 自分が振り回したが為の、不幸。

「それじゃ…お邪魔しました」

 そう言って出て行こうとした時である。

「結子ちゃん」

「…ハイ」

「貴女…本当に結婚の約束を受けたの?」

 身体が固まる。

「え、ええ…」

 湿り気のある最悪の感情が、私の周りを漂っている。

 ドロっとした、闇の様な。

 早く、立ち去りたい…

 早く帰って忘れたい。

 けれど帰った先に待ち受けるのは、多分奈落。

 黒い霧が充満しだした、まさにその瞬間。

 私はぎゅっと、目の前の彼女に抱きしめられた。

「嘘」

「…えっ」

「貴女、嘘をついてる」

 …離してよ。

 …こんなに弱い力で抱きしめられているのに、こんなにも心が締め付けられる。

「大丈夫。本当のことを教えて…私だって、その怖さに勝って母になったんですもの」

 …全部、見透かされている。

「だから…話してみて」

 私では計り知れない、まだ見たことのない何かを見てきた彼女の言葉は、あまりにも重く、そして勝ち目のないものだった。

「私、私…本当は…」

 ―結婚なんてしないんです。

 泣くのをこらえて、そう言おうとした、その時。

 家の電話が一本なった。

「はい、もしもし坂屋ですけど。…あ、天堂さん、どうもどうも…えっ! そのお話…本当なんですか…? ええ、分かりました」

 …。

「結子ちゃん、話の続きなんだけど…。あれ、結子ちゃん? …帰ったのかしら」


                  *


 もう、何もかもダメ。

 一度始めてしまったものは止まらない。

 この世界は録画でも収録でもなんでもない。

 すべてが一発勝負だ。

 私がほんの少し我儘を言ってしまったせいで…。

 私に寄り添ってくれた人を。

 すべて失った。


                 4


「おい! 坂屋! いるか!」

「あら天堂さん、来てくれたの…今日は来客が多い日ね…」

「誰か来てたのか!?」

 勢いで来ていた俺は、何も考えずに坂屋の母に聞いた。

「ええ、噂の…」

「結子か!?」

 彼女はこくりと頷く。

「それで…どうだったんだよ!」

 俺もこの辺りはあまりよく記憶にない。鹿児島が来たこと以上に、坂屋に伝えたい事があったからだ。

 しかし同時に、現実はそう簡単に、綺麗にゴールまで行かない事を俺は痛感することとなった。

「…恐らく、嘘をついてるわ」

「嘘…って?」

 困惑する俺に、坂屋の母は事情と彼女なりの推測を教えてくれた。

「じ、じゃあ…まだ坂屋は結子が結婚するとおもってんのか!?」

「ええ。学校で何があったかは知らないけど…恐らく間違った情報を聞いたと思うの。そしてその誤解が中々解けない結子ちゃんも、半ば諦めかけてる…」

「そ、そうなのか…」

 くそ、全てが一つずつズレて噛み合わねぇ…。

 しかしここでただ黙ってみているだけというのも虫の居所が悪い。

 今まで育てて来た互いの『熱量』を捨てようとしている。

 …少々手荒だが、やるしかねぇ。

「すまねえ、坂屋の母さんよ…手、出してきていいか」

 俺はいたって真剣な目をして彼女に問いかけた。

「…」

 何も言わなかったが、俺には伝わった。

 息子の命運を貴女に託す。

 そういう目をしていた。

「…次回のメンテナンスは無料にしておくぜ!」

 そう言い残して俺はヤツのいる二階へと駆け上がった。

 坂屋の部屋の前には、「教室に忘れてたよ」という結子のメモと共にスケッチブックが置いてあった。

 恐らく中は見られているだろう。俺は置いてあるそれを、ドアの少し傍に立て掛けておいた。

 …今は奴の目を覚まさせることが先決だ。

「おい坂屋!」

 有無を言わさず俺はドアを蹴りで強引に開けた。

 イニアの隣でしょぼくれている坂屋も流石に驚いたようだった。

 けど、そんなことはどうだっていい。

「てめぇ! いい加減にしろよ!」

 坂屋を掴んでぶち込んだ俺の痛烈な一撃は、簡単に坂屋を吹き飛ばし…

 倒れた坂屋の身体は、イニアの左腕を破壊した。


                *


「あれ。ユーコさんじゃない」

一人歩いて帰る中、向かいからやってきたのは京次郎さんだった。

「どしたの…そんな暗い顔して…」




               5


「ほ~、なるほど」

「どうしよう…」

 予報が外れ雨に降られていた私は、京次郎さんの家で雨宿りをさせてもらっていた。

「ま、元はと言えば坂屋が気付かなかったからなんだけどもなぁ~」

 彼もノボルくんの友人であるからなのだろうか。心無い一言を平気で言う。

「…でもまあ、なんだろうな。嘘は良くないんじゃない?」

「…」

 私は何も答えられない。

「ノボルもあいつなりに『どうすれば結子さんがまた喜んでくれるのだろう』って必死で考えてたのよ、実は」

「…それは、分かってるわよ…」

「じゃ~なんでノボルの母さん…いや、ドアで隔ての会話しかしなかった上に誤解を容認しちゃったのよ」

「…」

「それはもう、ユーコさんが嘘ついてなくても、『嘘つき』になっちゃうのよねぇ…」

 …嘘付き。か…

「…今のユーコさん、なんというか…ぬるま湯に浸かっている気がする」

 …そんなこと…

「まるで春先のノボルみたいだぜ」

 えっ…

「親切が裏目に出ている。その行動が、平野寺部長やノボルに対して最大の侮辱になってんのよ」

 …私は、ただ…

「なんていうか、美術部的に、キザな言い方させていただくと…」

 …

「ユーコさん。今のキミは四月のノボルの『複製画』だ」

 私の心の器が崩壊した音がした。

「…なんてな。…てちょっと、何も泣かなくても…」



                 6

「あっ…」

 俺は怒っていた。

 情けない。こいつに情をかけたのが大きな間違いだった。

「てめえ、今そのロボットの事心配してる場合じゃねえだろうが!」

 もう一度、俺は殴った。

「…」

「まだ…まだ何とか言わねえのか!」

 そういう俺をよそに…いや、現実逃避するかのように、イニアが壊れないように奥にやろうとしていた。

「そんなことしてる場合じゃねえんだよ!」

 俺は、怯えながらもイニアだけは壊されまいとこちらを見て来た奴をベッドに放り投げる。

 我慢の限界だった。

 俺はヒビの入っているロボットのその左腕を、もてる全力で殴る。

 当然ながら更にひしゃげ、粉々に近い状態になった。

「イニアなんかこれっぽっちじゃ致命的エラーにならねえんだ! 後で部品交換すりゃいくらでもなんとかなる! これは…俺の情熱が籠った作品なんだ! 俺が一番よく知ってんだ!」

 俺は倒れこむバカにまたがり、平手でビンタをした。

「今お前が気に掛けるべきは…俺の情熱が宿ったこのロボットじゃねぇ… このロボットが今受けたこの傷の! 何千倍ものお前の負荷に耐え続けてぶっ壊れた結子の方だろうがぁ!」

「…」

 ………ん。

 …なんでい、こいつ。

 …今ので泣きやがったのか。

 …流石にお前もそれ位わかってたか。

 …じゃあよ…

「分かってんならよ…どうして…どうして…最後まで向き合ってやらねえんだ…お前も結子も…てめぇらの炎は消える寸前なんだぞ…」

 いつの間にか、俺が泣いちまった。

 薄暗い夕方の雨の音がどんよりと、くぐもった音を部屋に響かせる。

 その時だった。

「…行くよ」

 唐突だった。

「…行くってオメエ…」

「行って話してくる」

「アイツの居場所…分かんねえのにか?」

 戸惑う俺をどかし、坂屋はベッドから下りる。

「なんとなく…今探した方が、良い気がするんだ」

 そう言うと机に置いてある自身のスマホを取り、坂屋は出かける準備をした。

 …そろそろ言っておくか。

「おい、坂屋一つだけお前に言っておくことがある」

「…」

「真自は結子とは結婚しねえ」

 …お見合いの相手がいるんだ。

 そう言いかけた時。

「それ以上は言わなくて大丈夫」

 そういう坂屋が自分のポケットにしまう直前にスマートフォンで見ていた画面。

真自とその横にいるもう一人、俺が放課後にビデオ通話した「常盤さくら」の写真が添付されていた真自からのメッセージだった。

「…因みに今は雨だ。傘ぐらい持ってってやりな」

 それに小さく頷いた坂屋は、走りながら家を出て行った。

「…ったく、メンテナンス無料とか言うんじゃなかったぜ」

 俺は自らの涙を雑に洋服で拭きながら、イニアの破損個所を眺めていた。

「…いたいラ」

「おわっ! …エラーチェックはどうなんだ、イニア」

 どうやらさっき坂屋が当たった時に起動ボタンを押してしまったらしい。

「当然だけど特に異常はないラ。…丁度結子が来た辺りで終了してたラ。後は起動するだけだったラ」

「相当前に終わってんじゃねーか」

「やっとヒロエの荒療治が始まったから、起動してないふりをしていたラ」

 この空気に配慮するったあ、けったいなAIだ。

 呆れていた俺に、イニアが一言。

「あ、そういえば。ノボルはもうストラップの絵完成させてたラよ。キョウジに送ってオッケー貰っていたラ」

 …そーゆー連絡不足も坂屋には直してもらいたいものだ。

         

                 7


 現在時刻…午後十七時半。

 メッセージ送信時刻、午後十五時四十分。

 …俺がこの時確認すれば済んでいた事だった。

 恐らく真自は俺が休んでいるのを知らずに、学校の下校時刻のタイミングで送ってきたのだろう。

「常盤さくらさん、か」

 とてもやさしそうな顔だった。

 …しかし、これは真自のゴール。

 俺はこの歪な道に迷い込んだ彼女…結子を救い出さなければならない。


                *


 ノボルくんの所へ、会いに行こう。

 ちゃんと誤解を解こう。

 それが私にとっての、唯一残された、贖罪の道だ。

 けれど…もし、それもダメだった時はどうする…?

 …そんな事、考えちゃだめだ。

 …ノボルくん…

 ごめんね。

 私が我儘で…

        

                *

 

「あ!? 結子、オメエ来たのか…」

「天堂さんこそ、どうしてここに…」

 ノボルくんの家で顔を合わせたのは、天堂さんだった。

「…もしかして」

「ち、ちげえよ! 俺はな…」

 そういう彼女の後ろに、見慣れた顔が一人いた。

「愛の熱血指導してたラ!」

「イニア…! 治ったの!?」

 故障していて動けないと聞いていたが、すっかりいつも通りの顔で私を出迎えに来た。

 …と思っていた。

「あれ、イニアその手…」

 左腕に大きなヒビが入っていた。もっと正確に言えば、ガラスが割れた時のように粉々に粉砕されていた…と言う方が近い。

「いや、まあこれは話すと長くなるんだがよ…」

私は彼女がココに来てからの一連の話を聞いた。

 どうして彼女がここにいるのか。

 何でイニアの腕にヒビが入ってるのか。

 …そして、ノボルくんが今、私を探している事。

「とまあこんな所だ…」

「そう…だったのね…」

「ま、何発か殴っちまって、少し赤くなってるかもしれねえが…アイツに付き合ってくれよな」

 バツの悪い顔をしながら、彼女は言った。

「…天堂さん」

「ん?」

「ありがとう」

 そう言うと彼女は珍しく顔を赤くした。

「ケッ! 俺が出来んのはこれぐらいだからな」

「わ~、ヒロエ赤くなってるラ」

「てめぇ!」

 

                 *


「ホントか、キョウジ!」

「ん、多分お前の家に向かったぞ」

 雨の降りしきる中、傘を差しながら向かった先はキョウジの家だった。

 しらみつぶしに結子を知っている人間に心当たりのある場所を聞きに行く、最初の相手だった。

 どうやらこういう時の直感は意外と当たるようで、丁度数分前まで結子がここに来ていたらしい。

「そっか~ついにお前らの傷口も縫われるって事か~!」

「何のんきな事行ってんだ! まだ改善されるかどうかわからんのだぞ!」

 暢気なことを言うキョウジに俺は怒りながら言う。

「でもな~俺はどっちの結果も知ってるしな~」

「お前はこういう時までおちゃらけるんか! バカ!」

「バカって聞き捨てならねえな~! …バカ代表のお前に言われるのは特に」

「うっさいわい!」

 こういう、他愛もないやり取りも久々にした気がする。

「ま、とにかくお家に戻るこったな」

「言われなくても戻るわ!」

 そういうと俺はキョウジの家を後にする。

 その時に一言。

「頑張りな」

 キョウジに言われたこの一言は、今後俺の記憶に一生残り続けるものになった。


                 8


「た、ただいま…!」

 結局傘を差したのにもかかわらず、割と濡れながら俺は帰ってきた。

「お、帰ったか」

 寛映だ。

 しかもその後、

「おかえりラ!」

 久しぶりに聴く元気な声も聞こえた。

「イニア! 治ったんだな!」

「うん! おかげさまで!」

 時間のかかっていたエラーチェックも終わり、誰が見ても、特に異常はなさそうであった。

 …左腕を除いて。

「手の方は大丈夫か…?」

「これくらい大丈夫ラ」

 ひとまず俺は安堵する。

「…なあ、坂屋」

 腕を組んでいた寛映が、親指で「中へ入れ」のサインを出していた。

「…分かってるよな?」

 言われなくても。声に出さず、頷きで意思表示をした。

「…いってやんな。上でお前を待ってる」

 そういう寛映の口元は少しにやりとしていた。

          

                 *


 コンコン。

 俺は自分の部屋であるにも関わらず、入るのに緊張をしてしまう。

 この扉の向こうに、いる。

 手が少し震えている…自分の部屋のドアを開けるだけなのに、何故かすごく怖いと言う感情が出てきてしまうが…

「よし…」

 その声と共に、俺は扉を開けた。

「あの…」

 なんてことない、俺の部屋。

 さっきまで居た俺の部屋。

 何も変わっていない。

 いつも使っている道具、読んでいるマンガ、カーテンの開け具合。

 何も変わらない。

 ただ一つ、結子がいることを除いて。

「あの…」

「…」

「ご、ごめんなさい…」

 俺は言った。何と声をかけていいのか分からない。

「その…俺が不甲斐ないばっかりに、こんなに…」

「本当よ…」

「…」

「貴方が気付かないせいで、このザマよ」

「その、本当に…」

 そう言いかけた時だった。

「でも、もういいの」

「えっ…」

「ノボルくんだけが悪いわけじゃないから…」

 俺はその言葉を黙って聞いた。

「私もノボルくんと同じ…いや、それ以上に、取り返しのつかないことをしたのかもしれない…」

 そういう彼女の目は、うっすら充血している。

「真自さんが差し伸べてくれたその手も…ノボルくんの不器用な私への表現にも…結局全部蔑ろにしちゃった…」

「そんなこと…」

 …そんなことない。

「そんなことない訳ない!」

 …俺は黙ってしまう。

「私は過去の純粋な貴方を、今の貴方に重ねようとしていた…。だから、あのストラップもずっとつけてたの…」

 過去の俺…

「真自さんの結婚も、貴方の顔に出来た痣も…全部、私が悪いの…。でも、ノボルくんはこうして、こんなにも自分勝手で優柔不断な私を追いかけてくれた…」

 そう言うと、結子は俺にすがるように抱き着いた。

「だから…もう…」

 彼女の握る力が強くなる。

「もう、貴方だけしかいないの…」

 …

「貴方が目の前から消えたら…私…」

「それ以上言わないで」

「えっ…」

「俺は消えたりしない…消える事すらできないよ…不器用だし…それに…」

 …結子がいないと、俺も消えてしまいそうだから。

 俺にすがる彼女を、しっかりと抱きしめた。

 それに応えるように、彼女もしっかりと、俺の事を抱きしめた。

 互いが消えてしまわないように。

 互いの熱が冷めてしまわないように。

 しっかりと。

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