第三章 解れ
「ごめんね、ノボルくん…」
「えっ、どど、どういうことだって!」
「だから…真自君と…付き合う事にしたの」
「えっ! でもそんな急に…!」
「あなたにはない物をもっているから…」
「そんな! 待って!」
「サヨナラ…」
サヨナラ…
ラ…
…
1
「嫌だ~~~~!」
…と叫んで俺は目を覚ます。
「…夢か…」
とんでもない夢を見てしまった。それを表すかのように俺はぐっしょりと汗をかいていた。
早いものでもう九月。大学生であればもう少し休みがあるだろうが、俺は高校生。
校内では既に学園祭の準備が着々と進められている時期である。
「イニアは…あぁ今日は放電中か」
そう。今日はイニアがいない。…正確には部屋にいるものの、連続稼働を抑えるために三か月に一回ほど電源を切り放電させなければならない。時間的には二十時間程。
学校に行って帰ってくれば丁度良い時間になる。
いつも通り制服に着替えていると、珍しく母さんが部屋にやってきた。
「ノボル、イニアちゃん借りたいんだけど」
「イニアは定期放電中」
壁にもたれかかったイニア指をさしながら俺は言う。
「あら、そうだったの」
「昨日言わなかったっけ」
「ええ、聞いてないわよ」
そんな会話をしながら俺と母さんは階段を降りる。
「今日の二十時頃にバッテリーを入れてくれってさ」
「今日帰り遅いの?」
「ん。学園祭の準備」
「私、イニアちゃんのバッテリー入れる場所わかるかしら」
「ああ、それなら…」
言いながら俺はイニアが着ていた洋服をペロッとはぐり、胸の辺りを見せる。
「みぞおち辺りにバッテリー交換用の蓋があるから。プラスドライバーで開けて」
「ドライバーの…プラスね」
と、言ったところで母さんがギロリと顔を近づけて来た。
「…変な事してないでしょうね」
「するわけないわ!」
イニアにはそういう事するとチョップを喰らわせるプログラムがされている。
「ならいいけど。あんたも年頃だからそういう事をしないか心配で」
どこか母さんの目つきが俺を茶化しているように見える。
「なんだよその目は」
「いえ、なんでも」
ホホホ…などという胡散臭い笑い方をしながら台所に向かっていった。
「っていうかもうこんな時間じゃん! 行ってくるわ!」
「あらホント。朝ごはんコレで済ましちゃいなさい!」
そう言うと母さんは昨日の残りのごはんで作った丸いおにぎりを俺にパスしてきた。
「ん、あんがとさん」
ラップを取り、口に加えつつテーブルの上に置いてあるお弁当を手に取る。
「おべんとアンガトさ~ん! いってきま~す」
「アタシが作ったのじゃないからね! イニアちゃんの作り置きよ!」
「はいはい!」
扉を閉めながら適当に受け流す。
正直今は誰が作ったとかは関係がなく、俺はただひたすら学校に遅刻しないように家を出て行った。
「おーい、ノボル~!」
俺とは反対方向から走ってきた学生に声をかけられる。
「お! キョウジじゃんか」
この男はキョウジ。俺が中学の頃に知り合い友人となり、現在は隣の二年三組に在籍中である。
「おめ~も遅刻か、ノボル」
「人のこと言えんのか」
こちらがおにぎりを食いながら走っていたのならば、あちらはパンをかじって走っている。
「良いんだよ俺は。昨日も遅くまで美術部の出展物作ってたし」
「それ、言い訳にならんぞ」
そんなしょうもない話をしながら俺たちは学校へ向かい走る。
「ふい~、間に合った…」
チャイムが鳴ったと同時に校舎に足を踏み入れる。
「そういうのは間に合ったと言わないんだぞ! 坂屋! 渋谷!」
俺の教室の窓から大声を出しながら担任が叫んだ。
「校舎内にいるんだから遅刻じゃね~だろ~が!」
俺は窓にむかって叫ぶ。
「とにかく上がってこい!」
*
「…たくうるさい奴だぜ」
「ほんと~に」
俺たちはノロノロと靴を履き替えながら愚痴を言っていた。
「そういやさ、ノボル。最近どうなの」
「最近って…なにが?」
「何がってお前、結子だよ。ユ・ウ・コ」
またしても俺を茶化す目をするモンスターが目の前に現れた。
「なっ…どうだっていいだろ!」
「よくないわい! だってお前がネット投稿してるイラスト、最近結子ばっかじゃん」
ギクリ。
「そ、そんな訳ねぇだろうがって!」
剛速球で急所にボールを当てられたような気分だ。
「い~や、あれは結子だね」
「証拠は!」
「部長と話した」
「お前のとこの部長…あっ!」
こいつは美術部であることを忘れていた。
「あのオールバック野郎…」
「ま~ま~気にすんなって! 恋は盲目! ましてや幼馴染! 結ばれる可能性は十分にある!」
こいつは俺よりウカウカしている。
「じゃな! またどこかで会おう少年!」
「少年じゃねぇっつーの!」
俺を一通り茶化したキョウジは、そそくさと階段を数段飛ばしで登って行った。
「な~にが『恋は盲目!』じゃい…」
2
「ホ~、これが噂のイニアちゃんの」
「なんだその目は」
「別に~」
午前の授業が終わり、俺はキョウジと昼飯を食っていた。
「どれ一口」
「あっバカ俺のエビフライ!」
「ふむ。このサクサク加減からして恐らく冷凍ではなくちゃんと揚げて作ってあるな」
満面の笑みでリポートされても困る。
「じゃあ俺もお前のハンバーグ戴き」
「あっバカ! それ一個しかないんだぞ!」
「お前だって一本しかないのに食っただろうが!」
などとお弁当論争を繰り広げていた時の事だった。
「あ…」
キョウジが俺の方向に指さす。
というより、俺の背後だった。
「ユーコさんじゃないですかぁ。こんちゃっす」
キョウジが指さした相手。それは購買でパンを買い、丁度帰ってきた結子であった。
「京次郎くん。来てたの」
「ま~暇なもんで。こいつの冷やかしです」
「私も一緒に食べていい?」
「どーぞどーぞ!」
俺が戸惑っている間に結子は自分の机をこちらに寄せて来た。
「おいキョウジ!ちょっかい出すなよ」
「い~じゃんかノボル。折角隣の席なんだしさ」
「あのなぁ…」
キョウジのやつ覚えてろ…
「ユーコさん、それで足りるの?」
「うん。全然」
「ふ~ん…」
キョウジは軽く聞き流す。
「そういやさ」
「なんだ、キョウジ」
「二人は最近どーなの」
ギョッ。
ドキッ。
「何さ…二人して固まっちゃって」
「い、いやあ…まあ…」
「ねぇ…」
ダメだ、二人してドギマギしている。
「その様子だとまだ縁は切れてないみたいだな。細い糸の綱引き状態ってところか」
ウッ。
グサッ。
「アタリだな~?」
ニヤニヤとしながらキョウジは俺達を交互に見る。
以前からキョウジは妙に鋭い感性を持っている。
「そ、そうだ! 今日ママに準備で遅くなるって言ってなかった! メッセージ送っておこう…」
確実に焦っている結子は何故か今スマホを取り出し、親に連絡のためのメッセージを送り始める。
「あら、何そのストラップは。ノボルの描く絵みたいじゃんか」
「「ギクッ」」
二人して声に出してしまう。
「漫画みたいにギクッって言う奴初めて見たよ、俺は。…へ~、かわいいじゃないの。年季入ってるけど、いつ上げたやつだ?」
「いつだっていいだろ!」
「…」
結子はメッセージを送った後も画面を見続けている。
「言わないとイニアちゃん謹製弁当全部食べるぞ」
「わ~! 分かったから! …これは俺が小学生の頃に上げたやつだ!」
「よし、言ったな。じゃあ食べない」
パクパクと食べるような仕草をしていたキョウジの箸の動きが止まる。
「でもよぉノボル」
「なんだ」
「お前、最近いつ絵描いた?」
自分の弁当をホツホツと食いながらキョウジが聞いてきた。
「何を言っとるんじゃ。昨日も上げてただろうが」
「いや、そ~じゃなくってさ」
「何が言いたい」
俺はムスッとして聞いた。
するとキョウジが箸である方向を指す。
「コレ」
その先は結子にあげたストラップだった。
「コレが…どうした?」
「ありゃ。まだわからんのか」
「なんだというのだキョウジ」
一拍置いた後、キョウジはこういった。
「自分で描いた絵だよ。絵。お前、最近ずっとAIのイラストばっかじゃん」
…たしかに。
「でもそれがどうした」
俺は真面目な顔で答える。
「どうもこうも…俺は最近のお前のイラストアカウントに興味なくなってきたぞ」
「なんで」
「ぬくもりが無い」
そう言うと俺の弁当のトマトをひょいっとつまんで食べてしまった。
「あ! お前!」
そう言った時である。
「それだよ、そ~れ」
「どれだよ!」
「お前の今みたいな人間的熱量が感じられんって言ってんの。ネ、ユーコさん。…あれ、ユーコさん?」
キョウジが声をかけた事に結子は少し遅れて反応した。
「えっ?…あ、はぁ…まあ」
「ほら。ユーコさんも言うとる」
「今気付いてなかったでしょうが!」
「ま、い~か。俺の事じゃないしな~」
言い争いながら弁当をさっさと食っていたキョウジは片付けを済まし、椅子から立ち上がる。
「そんじゃ、俺は戻るけど…たまには熱量を感じさせろよ~」
「今だってあるわ!」
ニコニコしながら立ち去るキョウジ。
俺はムッとした顔で送り出した。
「すまんな、結子…相変わらずな奴でさ…」
「ううん、私は大丈夫…」
その割には結子の顔はどこか暗いような気がした。
「…ノボルくんは、今の京次郎くんのお話…聞いててどうだった?」
「別に」
俺のどこが熱量不足だと言うのだ。
俺にはちゃんとある。多分。
「そう…」
「あいつは妙に勘が鋭い時があるが、それと同じくらい適当な事言うと気があるからな」
そんなこと言いながら俺は弁当の残りを平らげた。
「ま、気にせんでもええ」
「そう、だよね」
そう言うと結子は立ち上がった。
「アタシ、ちょっとお手洗い行ってくる」
「ん。あと十分位で午後の授業始まるから早めに戻って来いよ~」
「うん!」
…
…
…
…
「…バカ」
3
「真自、そっち引っ張ってくれ」
「了解。…コレでどうだ、坂屋」
「ん、オッケーだ。ありがとう」
放課後。いよいよ学園祭が明日に迫っていた校内は十九時になっても生徒が準備にいそしんでいた。
「よし。これでオッケー…」
俺達のクラスのテーマは『美術館』。俺や真自をはじめとする、絵に精通している人物がこのクラスには多い事から、全員が描いた絵の中から数点選んで展覧会をしようという事になった。
「さ、あとはどれを飾るかだな」
「私これが良い~」
「これも良いんじゃないか?」
…
「…という事で、ここに飾るためのイラストがいくつか決定した。何か質問のあるやつはおるか」
いつの間にか仕切りをやらされていた俺はみんなに聴いてみる。
「とくにないぞ~」
「あたしも~」
「…とくになし、と。じゃあこの十点ほどを飾るからな」
かくして美術館に飾る絵が決定した。その中には俺が描いたイラストは勿論、真自の描いた絵も選ばれていた。
「これがAIで描いたイラストねぇ」
一人の生徒が言う。
「このレベルが量産できるところが、AIの強みなんだ」
自慢そうに俺は言った。
「だが量産だけでは味わえない物もある…まさに僕の絵なんかそうだろう?」
その声の主はまさにヤツ(、、)である。
「またちょろちょろと…」
すると先程の生徒が、
「でも確かに、熱量はこっちかもだな~」
「だろう?」
フッ…と言いたそうなキメ顔と共に真自は言う。
「俺だって熱量あるんだぞ!」
「まあまあ、落ち着けノボル。俺はどっちも好きって言ってただけだぜ」
俺は意見をくれた生徒に怒ってしまう。
「ならばこうするか」
腕を組みながら真自は言った。
「展覧会に見に来る人達に投票して、順位を決める。そしたら選ばれたこの絵を描いた人たちの今後のレベルアップにもつながるだろう」
—確かに…
—それ、良い案かも!
「皆さんはこう言っているが、坂屋はどうだ?」
「その勝負、乗った!」
「よし、決定だ。…そしたら以上でこのクラスの前日の準備は終了だ。投票用紙は後ほど僕が作る…そうだな…結子さんに文言チェックして頂きたい」
指名されるとは思っていなかった結子は思わず立ち上がる。
「わ、私?」
「もしだめなら他の方に回しますが…」
「あ、別に大丈夫よ!」
「よかった…それでは、残りの全員はコレで解散としましょう」
その真自の声でパラパラとクラスに居た生徒たちが帰り支度をする。
「よし、イニアの定期放電も終わるころだし…俺も帰ろう」
そう思い、帰り支度をしていた時だった。
「坂屋」
真自だった。
「なんじゃい」
「明日…楽しみにしているぞ」
宣戦布告をされた気がした。
「もちろんじゃい!」
俺の実力を思い知るがいい。そう思いつつ、俺は教室を後にした。
*
クラスメイトが全員いなくなり、残ったのは真自と結子だけ。
「みんな帰ると結構静かなのね」
「一番うるさいのも帰りましたし…」
「私たちもさっさと終わらせて帰っちゃいましょ!」
そう、結子が言った時だった。
「…結子さん」
「えっ?」
突然の事に結子は声が出せない。
キュッと手を握られた。
「貴女…今の坂屋の事…どう思ってますか」
*
「ふい~、ただいま~」
「あ、お帰りラ~」
「お、イニア。母さんにバッテリーいれてもらったのか」
「ウン!」
定期放電とバッテリーの再充電が終わったイニアが返事をする。
どことなくいつも以上に元気な所を見ると、改めて充放電の大事さを感じた。
「おかえりノボル」
「ん、ただいま」
靴を脱ぎながら、母さんの挨拶に返事をした。
「もうお風呂湧いてるから先は言っちゃいなさいな」
「そーする」
「アタシも入るラ!」
そう言うと早速俺を風呂場へ連れて行こうとする。
「や、やめんか!」
「お背中流すラよ~」
「良いよ! 自分でできるし」
「ごめんね~イニアちゃん、そんな無理しなくても…」
「大丈夫ラお母さま! アタシはお手伝いAIラから! 最高効率で素早くキレイにするラよ!」
イニアは力こぶを作るようなポーズをとりながら、母さんに言った。
「そういう事では無くてな!」
「ささ、入るラ~」
*
五分後。
「ね?早いラろ? あとはお風呂に浸かるだけラ!」
「確かに早かったが…」
高速の垢すりによって俺の肌は若干赤くなっていた。
しかしそれ以上に俺は若干目のやり場に困っていた。
AIロボットとは言え、イニアは女型のロボットである。胸の谷間にはバッテリーパックを詰める蓋も見えている為、ロボットという認識は持てる。
…だがしかし裏を返せば、そういうところ以外は普通の女性である。
「?どうしたラ」
「イ、イヤ…」
ちらっと俺は顔を背ける。
「あ…もしかしてノボル」
「なんだ…」
変な所気にしてるのがバレたか…?
「お弁当食べてないラね」
見当はずれな答えに思わず心の中でずっこける。
「違うわ! お前と入ってると目のやり場に困るってことじゃ!」
「どういうことラ」
「え、いやその…」
イニアの目がジトリとした目つきに変わった。これが俗にいう「墓穴を掘る」という奴だ。
「ウチは家事手伝いAIロボットなんラ! そこいらの水商売ロボットとは断じて違うラ~~!」
「フガッ!」
元気いっぱいのイニアのチョップはのぼせそうになっていた俺の目覚ましになった。
「全く…」
「もとはと言えばお前が悪いんじゃい!」
ぶたれた頭をさすりながら俺は言い返す。
「そんなんだと結子が離れていくラよ」
「えっ…」
冗談のつもりでイニアの言った一言。
俺はそれに強く引っかかってしまった。
「今なんて…」
「だから、他の事にウカウカしてると結子の熱量がなくなって、あっちから離れていくラよ!」
その一言は、先程のイニアからの一撃を一瞬で忘れさせるほどの、何か異様な寒気を感じさせるものであった。
「…そんなこと、言うなよ」
「…ノボル…?」
そんなこと言うなよ。
「何か…あったラ…?」
ハッ…
「…イヤ、なんでもない」
俺はそのまま風呂から上がった。
「あ、ちょっと待ってラ!」
雑に身体を拭き、さっさとパジャマを着替えた俺は二階へと上がる。
ろくに髪も乾かさないまま窓を開け、夜風に当たった。
「俺には熱量がないのか…?」
熱量。熱量。熱量。
「乾かさないと風邪ひくラ!」
ぼーっとしていた俺の背後から、イニアが
ドライヤーの風を当てて来た。
「なあ、イニア…」
「どうしたんラ…?」
「俺には…熱量がないのか…?」
*
「ど、どういう事…?」
突然迫られた私の頭は真っ白だった。
「はっきり言いましょうか」
教室内に静寂が走る。
「僕と坂屋の熱量。今の貴女はどちらを取りますか」
「熱量…」
恐らく絵の事だ。
「実は先日別荘に行った時、大浴場で坂屋と話をしたんです」
「聞いたって…何を…」
「貴女も気付いているかも知れないが、坂屋は君の事を好いている」
「…」
「同時に君もまた坂屋の事を考えている」
何が言いたいの…真自さんは。
「しかし君が考え、想っているのは『過去の坂屋ノボル』、熱量のあった頃の彼だ」
「違う…」
「いいや、そうだ。その証拠に、今も君はあのストラップを付けているだろう」
ストラップ…ノボルくんがくれた…
「僕とイニアがプールで聴いた時も、昔の坂屋を思い続けていた。そうでしょう」
…やめてよ。
「アイツは今の方法で絵を描くことに抵抗を感じていない。寧ろそれが良いとさえ考えている。しかし…結子さんは違うだろう」
…
「今のアイツに結子さんの求める熱量は何処にもない」
「そ、そんな事…ない」
「現実から目を逸らすんですか?」
その言葉で足が震える。
「だって、イニアも『絵を作る前にはちゃんと筆をとって完成図を描いている』って言って…」
「けれどその描いた絵は見ることはないでしょう!」
バン、と机を叩く真自さんの目は、本気だった。
「上手い絵が量産できても、今の彼には『人の手で作る温かさ』がない」
「…」
「結子さん、はっきり言います。今貴女を幸せに出来るのは僕の方だ」
「そんな事…」
そんな筈…ない…
「明日の展覧会で、アイツの現状を晒し上げるつもりです」
「どうして、そんな事!」
「僕だって!」
…一瞬、真自さんの言葉が詰まる。
「貴女の事を一人の女として見ている。それがいけない事ですか?」
私の中でキュウキュウと胸が締まる音がする。
「しかし、貴女は坂屋以外には見向きしていない。ならば今の坂屋を修正してやらんと、君は一生不幸のままだ」
ノボル君を遠ざけないで。
私が何でこの学校に来たのか。
何で昔もらったモノを持っているのか。
何も分からなくなるじゃない。
「…僕は次の学年まで待ちます。けれどそれ以上、貴女の不幸は見たくない」
…
「その時期までにアイツが変わらない…そうなった時は貴女を全力で奪いに行きます」
そんな事言わないでよ。
「…アンケートに関しては僕が全て考えておきます。結子さんももうお帰り下さい」
やっと重圧から解放された私は無言で荷物をまとめ、教室から逃げるようにして出て行った。
「明日はその一歩目です…」
「…」
「僕はいつでも待ってますから」
教室のドアを閉める寸前に聞こえたその言葉が怖くてたまらなかった。
4
「おっす、ノボル」
「ん…」
学園祭当日の朝。
いつもは迎えに来るはずもないキョウジが俺の事を玄関先で待っていた。
「あ、イニアさんだ!」
「お前は確か…」
「キョウジです!」
「ああ! キョウジ!」
こいつとはあったことはないはずだ。
「朝から調子に呑まれるな、イニア…」
「そう、キョウジです!」
「嘘を刷り込むな!」
反射的に突っ込んでしまう。
*
「…なあ、イニアさん」
「なんラ?」
「昨日からあんなだったのか、ノボルは」
「ラ」
*
どうやら黙りこくって考えているうちに学校へ辿り着いたようだ。
今日、明確に出される結果が怖いのだ。
昨日はあんなに張り切っていたのに。
何かが、怖いのだ。
背け続けてきた何かと、目を合わせなければならない。
「シャキッとしようぜ、ノボル」
「おう…」
どうにもいつも通りに出来ない。
「そういや、ノボル達は何の催し物をするのラ?」
「なんでもいいだろ」
ついイニアに冷たくしてしまう。
「なんラ! その言い方は!」
「ウチの所に遊びにくりゃわかる」
それだけを伝えて俺は二人の元から足早に去っていった。
*
「なんなんラ…」
イニアは首をかしげつつ、学園祭特有の空気を浴びながらキョウジと歩いていた。
「…あ、もしかしたらアレかも」
「あれって?」
キョウジはイニアのみぞおち辺りをポンと掌で叩いた。
「ココだよ、ココ」
「あっ…確か昨日…」
「やっぱしな~」
何故かイニアが拳を作る。
「まだ昨日お風呂に入った時に見たアタシの胸の事意識してるラらね!」
「へっ…?」
何か大きな勘違いをしてる事に気付いたキョウジは急いで訂正する。
「ち、違う違う! 熱量の話!」
「あ、そっち」
「そ~そ~! そっちそっち」
*
「ほ~、展覧会!」
「『こちらの用紙に展示品の評価をお書きください。』なんラって、キョウジ」
自分の部活の出し物やクラスの手伝いをサボってきたキョウジは、屋台で出されていたたこ焼きを頬張りながらイニアと共に二年四組に来ていた。
「イニアに京次郎さんじゃない!」
「あ! 結子!」
受付をしているのはよく見知った顔であった。
「おっ、ユーコさん看板娘? いい役もらってるじゃない」
「おじさんみたいなヤジ入れないでよ~!」
結子によれば、今日の展覧会は、来客した人たちが付けた点数で最優秀作品を決めるというテーマもあるとのことだった。
「作品の評価ねぇ。どれどれ、いくつか項目があるな」
各作品を評価するための用紙に書かれている質問事項は五点評価制であり、
・熱意を感じられるか
・洗練された絵であるか
・他の作品も見たいと思えるものであったか
という三つであった。
「こりゃあ…平野寺部長が作ったヤツだろうな」
「熱意の欄が怖いラ…」
などと言っていると、教室内から聞きなれた声が聞こえて来た。
*
「さ~さ~みんな見てね!イラストが得意な人達が多いこのクラスならではの、洗練されたイラストをじっくりご観覧してね!」
「ノボルの声ラ!」
「あいつ、朝あんなに凹んでいたのに…もう元気になったのか…」
そんなわけがない。
俺は今、ただ現実から逃避したいがために何時ものようにふるまっている。
「おう! イニアにキョウジ! お前らも見に来てくれたのか!」
そんな近くで心配されても困る。
「そうそう、これが俺の作品。AIイラストならではの独特な色使い! 良い出来だと思うんだ」
早くこの時間が終わってほしい。ただそれだけなんだ。
「今日こそ絶対にあのオールバックに証明してやるんだからさ!」
イニア、キョウジ。さっさと出て行ってくれ。
「え~と…熱量が一点って! キョウジお前な~! …おっ、イニアは…? 二点! もっとつけてくれたっていいじゃんか~! まあありがとさん!」
さっきから俺の絵を見る客は確認できる限り全員一点に丸をつけている。
「他の人には点数低くつけておいて…なんて、嘘だよ嘘! ちゃんとマジで採点しておいてくれ! これは勝負なんだから!」
早く適当につけておいて出て行ってほしい。
今、知っている顔を見ると心が崩れそうだ。
*
「…ル、ノボル!」
ハッ。
「いらっしゃい!」
「学園祭、もう終わったラよ」
「ヘッ?」
「大丈夫か、ノボル…」
黒いカーテンで部屋を覆っていたので気付いていなかったが、いつの間にか夕方を迎えていた。
イニアとキョウジが声をかけてくれなかったら気付いていなかっただろう。
「坂屋…お前、一日中接客していたが…大丈夫か?」
そう声をかけてくるのは真自だった。
「っはは!何を言うか、俺は大丈夫だ! 俺は!ハッハッハ!」
「そうか。…ならば、今回の展示会におけるお前の評価点を言おう」
真自がそう言った時である。
「いや! 言わんでもわかる。俺、全然点数入ってなかった筈だ。特に熱量」
「おい…ノボル」
急に真自の発表を聞く前に喋る俺に、キョウジは戸惑っていた。
「ほう。確かにお前の熱量の点数はイニアさんが入れてくれた二点以外は一点だな。恐らくAIという単語はどうしても手抜きに聞こえるんだろう。だがな…」
真自が何か言おうとしていたが関係ない。
「見た限りじゃ、次に見ようとは思わないって言う評価も多かったな。やっぱダメなんだな、俺は。俺の負けだよ」
俺は話を遮る様に、少し大きめの声で言った。
「坂屋…」
その場にいた全員に何かしらが伝わった。俺でもわかる。
自分の中にある糸が切れたんだ。
「自棄になるな。坂屋。まだ話は…」
「ありがとう、真自」
俺の作品が伝わる人に向けて作り続ければいい。それが一番丸い。
沢山作ればその内情熱を理解してくれる人もいるだろう。
…俺だってわかってるさ。昨今の、ブームとその批判ぐらい。大量に作ればいいわけじゃない。俺だってわかるさ。
今日一日中接客してたんだ。
俺の絵には情熱がない。
俺は絵を描いていない。
作っている。
「帰ろう、イニア」
今日は帰ろう。
戸惑うイニアの腕を掴み、教室から出ようととした。
その時である。
バシッ。
…一瞬何が起きたか分からなかった。
平手打ちをされた。
「逃げるの…? ノボル君…!」
目の前にいたのは、俺の幼馴染だった。
「今あなたが変わらないと私…! 貴方の前から…消えてしまうかもしれないのよ!」
一つ一つの言葉が脳裏に焼き付く。
―もし、君の目の前から、君が理由で彼女が消えそうな時…君は何を見直す…?—
…あの時の言葉がじわじわと、脳の隙間から滲み出てくる…
—君の彼女がどのタイミングで落ち込むか。そこには君の『甘さ』が詰まっている—
「この意気地なし!」
大粒の涙を零しながら睨みつけられた俺は、何も言えなかった。
ただ無言で去っていくしか、今の俺にはできない。
今の俺は、好きな人に顔を向ける熱量さえもない。
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