第二章 盲目

               1

 夏。摂氏三十五度の中、俺たちはとある場所に来ていた。

「ぷ、プールだ!」

「おっきい〜!」

「すごいラ!」

 東京ドーム二個分ほどの超巨大のアクアパーク。

 その広大な敷地には「海水浴ゾーン」「遊泳ゾーン」「アクアスライダーゾーン」など、一日では遊び尽くさないほどの規模のパークである。

「どうだ! 我が平野寺家が誇る日本でも最大級と言われる施設は!」

 櫛でそのオールバックを整えながら真自は言う。

「お前の家…寺だよな?」

 何で寺の家系がこんなものを所有しているのか。平野寺家が所有していると聞くと、途端に煩悩の塊を具現化したかのような光景に見えてくる。

「チッチッチッ…甘いな坂屋。これは私の叔父にあたる人物が作り上げたもの。巨大組織平野寺グループの物なのだよ」

「ほーん…」

平野寺グループ。俺でも知っている名前だ。

 元々は画材など専門に取り扱う田舎の小さなお店であったが、先程話にも出て来た彼の叔父にあたる人物の巧みな手腕により、今では誰もが知る超一流企業となった。

「そうは言っても煩悩まみれラ」

「ムッ…今の言葉、イニアさんとて聞き捨てならないですよ」

 相変わらず持ち歩いている絵の具用の筆をイニアの額にふっつける。

「あ、アハハ…冗談ラ…」

 イニアと真自はロボット販売店以来の再会であったが、その面倒くささをイニアも思い出したようであった。

「まぁ、僕は女性には手を出さない主義でね。コレで終わりにするけど….」

「今出したではないか」

「注意をしたんだ! 注意を!」

 今度は俺に筆を突きつけてきた。

 正確に言うと叩かれた。

「男には暴力上等なんか! おのれは!」

「ええい! じゃかぁーしぃ!」

 いつもの小競り合いが始まろうとしていた時。

「ちょっと二人ともやめなさいよ!」

 一緒に来ていた結子が止めに入った。

「だって真自が!」

「そうです! このバカ坂屋を止めないと行けない!」

「…どっちもどっちよ!」

 向かい合う俺らの間に来たかと思うと、結子は双方に平手をお見舞いした。

「フガッ!」

「アヒン!」

 二人して情けない声が出る。

「うわー…痛そうラ…」

 倒れる俺たちの近くで、心配そうに見ているイニアが少し見えた。

「さ、いこうイニア。二人ともあれくらいくらいどうって事ないと思うわ」

「結子ってたまに怖い時あるラね…」

 摂氏三十五度が照りつけるその平手の後は夕方までジンジンと痛みを残すことになる。



               *


「ヒャッホー! 楽しいラ〜!」

「お、おい…一回休憩を…」

「まだダメラよ! さ、もう一回滑るラ!」

「た、助けて…」

 ウォータースライダーを初めて滑ったイニアは、延々と乗り続けていた。

 しかも俺を振り回すかの如く。

 誰か…こいつを止めてくれ…

 因みに彼女、防水機能付きである。


               *


「ノボルくん、大丈夫かしら…」

「あいつはあれ位で死ぬような奴じゃないでしょう」

 ノボルくんがイニアに振り回されていた頃。

 私と真自さんは、砂浜エリアにてパラソルの下で休んでいた。

「はい、コレが結子さんの分です」

 真自さんは、売店で買ってきた炭酸のジュースを私に差し出してくれた。

「ありがとう、真自さん」

「いえいえ。こちらこそ、今日は全て僕の方で払っておきますから」

 真自さんは爽やかに笑った。

「それにしても…最近はどうなんです? あのバカとの関係は」

「あのバカって…」

「坂屋の事ですよ」

「ノボルくんの事…?」

 私は首を傾げて聞き返す。

「別に…何ともないけど…」

私は飲み物を一口ほど飲む。

「いや、そうじゃなくて…噂聞いてないんですか?」

「噂?」

「ええ。何でもついに君の事を本気で食らいつきに来たって」

 突飛な言葉に私は思わずブフッと吹き出した。

「ち、ちょっと…何よ! そんな変な噂!」

「いや、何と言いますか…見てもらった方が早いかもしれません…」

そう言いながら、真自さんはスマホで何か検索を始める。

「見るって…何かあるの?」

「ええ。…あった、これを見てください」

 真自さんがクルッと結子に向けて見せた画面には、イラスト投稿サイトのとあるページだった。

そこには結子の見た目に酷似したイラストが数件映し出されている。

「アタシに似てるけど…これが何?」

「ここ、作者名を見てください!」

「作者名…? あっ!」

 自分に似ている数点の絵の下。広告に挟まれたその下に、このイラストの作者名が記載されていた。

「『NoB-L』…ってこれ、ノボルくんの絵じゃない!」

 驚いた私は、残っていたジュースをクイっと飲み干す。

「そうなんです…ですから、何か心当たりがあるかなと思いまして…」

 …思い当たる節は一つ。恐らく、あの時に何か変化があったのだろう。

「…うーん。五月頃にアタシのイラストを作ってもらったんだけれども、その時のデータが残ってるんじゃないかな」

ゴールデンウィークの真ん中辺り。ノボルくんの家へ遊びに行った際にお絵描きをし合ったことを真自さんに話した。

「成程…」

「まあ、別に使っても構わないんだけども…でもどうしてその事がさっきの噂に繋がるのよ?」

「はい…それがですね。坂屋のやつ、五月以降投稿する絵が、このセミロングの女性ばかりになりまして…九割この人物の絵になっているんです。それで、何か怪しい事は無かったのか…と」

 そう言うと真自さんは、自身の為に買ってきたスポーツ飲料水をやっと一口飲み、先週起こった出来事について話し始めた。


                 2


 遡る事一週間前の学校。

 終業式も終わって早帰りする生徒も多くいる正午過ぎの放課後。

 美術部部長である僕は、午後二時頃まで部内での『お疲れ様会』に出ていた。

「それでは、コレで本学期の美術部の部活動を終わりにします。何か質問しておきたい事はありますか?」

 教壇で質疑応答時間を設けた時である。

「部長、ちょっといい?」

「ハイハイ。…あ、君は隣のクラスの。何か質問あるかい?」

 隣のクラス、二年三組の男子生徒が手を挙げた。

 天然パーマな前髪の、大体一七〇センチ程ある彼の名は、渋谷京次郎(しぶやきょうじろう)という。

「美術部とは無関係なんですけど」

「手短に頼む」

「ええっと、部長と同じクラスの坂屋のことで」

 坂屋の名前を聞いた途端、ピクッと肩が動いてしまう。

「…また坂屋がやらかしたか?」

「やらかした…とかじゃないんだ」

「じゃあどうしたと言うんだ」

「部長はAI絵描きとしての坂屋を知ってます?」

「ほう、君も知っているのか」

 先程とは違う空気に変わる。

 聞けば京次郎と坂屋は中学の頃からの友人で、「絵描きとしての坂屋」の側面を本人から教えてもらって以降、陰ながら見続けているとの事だった。

「実は…坂屋のやつ、ゴールデンウィーク明けから、ほとんど同じモデルでしかイラストを作ってないんだ」

「…ほう。しかし、何か目的があるのではないか?」

 僕は訊ねるが、京次郎は微妙な顔をする。

「いや、何と言うかどう見ても部長の同じクラスの鹿児島さんに似てて…」

真自は思わず教卓にガタッと手をついてしまう。

「なっ! 何だと!」

 幼馴染であると言うのは以前から小耳にしていたが、まさかそんな発展をしていたとは思いもよらなかった。

「部長、これ長くなりそう?」

 驚く僕を他所に、さっさと帰りたそうな一年生が声を出す。

「あ、ああ。皆はもう帰ってもいいよ、気を付けてね!」

「了解でーすさよなら〜」

 号令もへったくれもなく他の部員はバラバラと帰っていった。

「…よし、詳しく聞かせてくれ」

 エアコンも古く、少し埃臭い旧校舎の美術室の暑さも、今だけは気にせずに耐える事ができた。


          *


「真自、お店で会った時振りラね〜」

 隣のクラスにいる男子部員―渋谷(しぶや)京(きょう)次郎(じろう)から詳細を聞いた後、僕は坂屋の家を訪ねていた。

 が、坂屋本人は出てこず。代わりに出迎えてくれたのは見覚えのある女性…いや、女性型のAIロボットのイニアだった。

「まさか坂屋家が購入していたとは…」

「真自がお店で見た後直ぐにノボルの両親が来て買ってくれたラ」

 聞けば僕が店を出てから坂屋の御両親が来店、購入するまでの時間が僅か十分ほどしか無かった為、僕とお店で出会ったデータログを初期化せず、そのままの状態で買われたらしい。

「なら話が早い。坂屋はいるか?」

「いないラ。一旦帰って来たけど直ぐ出て行ったラよ」

 終業式の後、一旦家に帰って来た坂屋は友人と遊ぶために再び外出したのだという。

「ふむ…ならばイニアさんに聞きたい事がありまして…」

 留守番をしていたイニアに事情を説明した所、五月以降に坂屋が作ったイラストを全て見せてくれたのだった。

「しかし多いな…」

 十枚あったら九枚は結子さんに似た絵であった。

 若干呆れつつも閲覧していると、いつの間にかイニアが何か描かれた紙を持って横にいた。

「イニアさん、コレは…」

「アタシが描いたラ」

 イニアはニコニコしている。

 そう言われ、紙をよく見てみる。

 何かの動物ではあるが、おおよそ人ではない事が分かる。

「どうして宇宙人が描かれた紙を待ってるんです?」

 途端に怒り顔に変わる。

「これは結子なんラ〜!」

「アヒンッ!」

 僕の両肩にダブルチョップが下った。

「ビドィ…」

「ノボルと同じ事言うからラ!」

「…しかし、どうしてコレを…?」

「対決したんラ!」

「対決?」

「そう! 対決」

 そういうと、ニコニコしながらイニアは話し始めた。

「実はアタシとノボルと結子でお絵描きした時があったんラ。丁度ゴールデンウィークの真ん中辺りラかねぇ…」

 そこまで聞いて真自はハッとした。

 男子生徒が「ゴールデンウィーク明けからの異変」はこの対決がきっかけだったのでは無いのだろうか。

 何かある。

「その対決、詳しく聞かせてくれ」

「いいラよ!…その前にお茶持ってくるラね〜」

「あ、ああ」

 イニアはトテトテと台所へ向かう。

「しかし…」

 七月末の庶民の家ほど暑いものはない。

 節約のために常に弱でついている冷房。気持ち程度でなっている風鈴。

 趣は感じられるが、やはり暑い。

 自分が普段どれだけ良い生活を送っているのかを真自は再認識した。

 …しかし今はそんな事どうでも良い。

「お茶持ってきたラ〜」

 受け取った僕は軽く会釈し、コップをもらうと一気に半分ほど飲む。

「さ、本題ラけど…」

 イニアは「よっこいしょ」と言いつつ畳に座り込む。

「アタシはその時素麺作っていたんラけど、二人で居たときにお絵描きをしようって話になったみたいラ。で、アタシがこの部屋に持ってきた時に描き始めようとしてたラ」

  僕は黙って聞き続けた。

「『お似合いラね〜』って言ったら、二人とも顔赤くしちゃって」

「…今の所、惚気話にしか聞こえないのだが」

「今の所はではなくて、ず~っと惚気話ラ」

 思わず麦茶を吹き出してしまう。

「ず、ずっと…」

「そうラ」

「…まあいい、続けてくれ」

 イニアはニコッと笑うと話を続けた。

「ちょっと揶揄った後、アタシが結子を描いてそこでノボルが『俺の方が上手い!』って言い始めたラ」

「それで坂屋の作ったイラストと対決したと…」

「そうラ!」

 結果は聞くまでもないか。

 そう思いつつ、お茶を飲み干す。

「一応聞くが、結果は?」

「アタシの勝ちラ!」

 全く逆の結果に飲んだお茶が器官の変な場所に詰まってしまった。

「ゲッホゲッホ…」

「大丈夫ラ!?」

「いや、思ってた結果と真逆だったもんで…アヒンッ!」


                *


「ともかく…そこで理由を聞いたら『頑張ったで賞』って言われたラ」

「そう言う事か…」

  そこまで聞いた僕は、何となく腑に落ちた。

「頭のいい真自なら、もう気付いてるラよね〜?」

「ええ、気付いてますよ」

「良かった〜!」

「全く…つくづく馬鹿な奴です。せっかくこんなに分かりやすい理由なのに…」

 ごちそうさまでした、とお礼を言い僕は立ち上がる。

「熱量が足りないんだアイツは…」

「気付いてくれるといいんラけどねぇ〜」

「本当に」

 …そうだ。

「今度ノボルと結子さんを連れて僕の別荘の一つに来ませんか?巨大なプールレジャーの施設がついてるんです」

 玄関先で靴を履きながらイニアに聞いてみる。

「いいのラ!?」

「ええ、勿論。そこで結子さんにもちょっと探りをかけてみますよ」

 僕はニコリと笑ってみせる。

「じゃあ…坂屋に勘繰られると悪いし、僕らは久しぶりに会ったというテイにしておきましょう」

「うん、分かったラ!」


                  3


「…ということでして」

「…ノボルくんの事をどう思ってるか…ね」

 私は一通りの事情を聞かされた。

「シンジ、お待たせラ〜!」

 背後からイニアもやってくる。

「あ、イニアさん。坂屋のこと上手く巻けましたか…」

「ウォータースライダーでヘトヘトにさせたラ」

 聞けば、疲れてパラソルの下で寝ているノボルの目を盗みコチラへ来たらしく、先程のはしゃぎ様は、この時間を設けるための「作り」だったらしい。

「こんな形でお聞きするのも申し訳ないんです。しかしアイツのヘタレっぷりと鈍感さに気付かせるには貴女の意見を聞いた方が良いと思いまして…」

「でも実際どうなんラ? アタシの予測ではどっちもお互いに好きっていう結果が出ているんラ」

 私はイニアの顔をちらと見る。

「…どうラ?」

 その顔に冗談の文字は書かれていない。

 目の前に作られている人工の海の、押しては引いてを繰り返すその波音が、私の耳にはとても大きく聞こえた。

 波の音が間を埋めていた中、漸く口が開いた。

「…そう、ね…その、確かに…イニアのいう通り、この数年で『幼馴染』から『一人の男性』として…見ている時はあるの…」

「あら…やっぱりラね」

「…うん」

 他人に明かした事はモチロン、自身のその気持ちに面と向かい合う事も私の中では初めてだった。

「けど…」

「けど…なんです?」

「けど私…ノボル君が今の状態のままだったら…彼の事も、彼の絵も、そして幼馴染であるって事も全部…いやになっちゃうかもしれないの…」

 砂浜に体育すわりをする私の腕が、無意識のうちにきゅっと締まる。

「一体何故…?」

「私…ノボルくんが描いた絵が好きだから…だから…」

 彼が今生み出している者は「作り物」であり「描いた物」ではない。

 量産されたそれらには、彼の暖かさはあるのだろうか。

「結子…」

 イニアに声をかけられ、顔を上げた私の目頭は、少し熱い。

 少なくとも私には、今の彼が作っているソレらは冷たすぎた。

「ウチのノボルがごめんラ…」

「ううん、良いのよ。イニア。貴女がわるいわけじゃないから…」

 私は涙を自分の腕できゅっと拭いた。

「…そうだ、コレ見てほしいんだけど」

「ん? なんラ?」

 私は水着の上に着ていたパーカーのポケットから、スマホを取り出した。

 花柄模様のスマホカバーの、ストラップを付ける穴に通されたソレを指さした。

「キャラクターのストラップ…これがどうしたんです?」

 真自とイニアが注視したそのキーホルダーに描かれていたのは一人の女性。

「コレ、だれラ?」

 そう質問してきたイニアに、ニコッと笑顔で返し、私は言った。

「…これはね、小さい頃ノボルくんが絵を描いて作ってくれたの。くれた時、すっごく嬉しかったのよ」

 少し頬を赤らめながら、私はまたにっこりと笑顔になる。

「さっ、湿っぽい話はもう終わりにしましょう! 少し泳いでくるわ。イニア、これ持ってて!」

 立ち上がると、そのスマホをイニアにパスした。

「あっ、待ってラ! まだだれか…」

「…ま、誰なのかは聞かなくてもよさそうですね。イニアさん」

「…そうラね」


                 4


「真自、こんなに食っていいのか!」

「勿論。平野寺家のディナーはまだまだこんなものではないぞ」

 本日のプールの営業時間が終了し、俺達は車で数分の所にある平野寺家の別荘で御馳走をふるまわれていた。

「ウチじゃあ絶対食卓に並ばんような数々の高級料理…あ~やっぱり持つべきものは親友だな~! ワハハ!」

 我先にとフォークとナイフを使い、目の前に置かれている食い物を流し込むようにして食べていた。

「そんな品がない食べ方をする奴と親友になった覚えはないぞ」

「なんだと~! …と言いたいところだが、今日はこの勝負は控えよう。有難う、平野寺真自クン」

「変にかしこまるな! 気持ち悪い! 普通に食えばいいんだ! 普通に!」

 まるで顔が巨大化して大きくツッコミを行うかのような調子で真自は言う。

「出たな時代ツッコミ」

「その言い方やめんか!」

 真自は俺と言い争いをする際、俺がからかう為にボケを入れると、まるで昔のアニメのようなツッコミを入れる特徴がある。

 俺はこれを『時代ツッコミ』と呼んでいる。

「そんなんだといつか顔が巨大化したままになるぞ」

「ええい! おのれとの言い争いのレベルはここまで下げんと成立しないからだ!」

 俺の脳内テレビでは画面の八割が巨大化した真自の顔で埋め尽くされていた。

「ククク…フガッ!」

「行儀が悪いラ!」

 隣で食べていたイニアの鉄拳制裁チョップが下る。

「全く…これだから坂屋はアヒンッ!」

 真自には両肩にダブルチョップが下る。

「真自も乗っかった罰ラ!」

「ズ、ズビバセン…」

 そんな光景を見ながら結子は淡々と食事をしていた。

「三人とも行儀悪いわよ!」

 むすっとした顔で、結子は俺達を見つめて来た。

「…だそうだ。イニア」

「しまったラ…時代ボケに気付ない内に巻き込まれていたラ…お行儀わるいラ…」

「坂屋が悪い」

「なんでじゃ!」

「二人とも悪いラ」

 注意されても止まらない俺ら。それを見た結子は一言、

「…フフッ。な~んてね!」

 と付け加えた。

「「「へっ?」」」

 先程までムスッとしていた顔はどこにもなく、いつもの明るい笑顔になっていた。

「言ってみただけよ! やっぱみんなといると飽きないわ!」

 俺らは一瞬ポカンとしてしまうが、数秒後に全員で笑いあった。



               *


「ハ~食った食った」

 食事を終えた俺達。今日はこの平野寺家の別荘に泊まらせていただくことになった。

「しっかし、とんでもない金持ちなんだな~真自の家は」

 今日寝泊まりする部屋のバルコニーに出た俺は、柵に顔を乗せるようにして外を眺めていた。

 少し小高い場所にあるため、昼間のプール施設に設置されている夜間照明が程よい夜景の一部となっている。

 昼の暑さはどこかに行き、程よい風を浴びながらゆっくりしていた時である。

「ノボル君…ちょっといい?」

「ん、結子か? どうした」

「部屋のドア、開けっ放しだったから…教えるついでにお話したいなって思って…隣、良い?」

「あれ?そうだったかな…まあいいや。お話しようではないか」

 どうやら結子も食事後の休憩の為にどこか休める場所を探していたらしい。

「しっかし、真自の家はどんだけ金持ちなんだよって感じだな…」

「そうね…」

 他愛のない会話をする。

「…で、お話ってなんだ?」

「あっ…それなんだけどね…ノボル君はこれ覚えてる?」

 そう言いながら俺に見せてきたのは、子供の頃に俺が結子の為に作ったストラップである。

 プラスチックケースの中には俺が描いた女の子のイラストが入っている。

「あ! 懐かしいな~。コレ、ずっと持っててくれたのか」

「う、うん…」

 久々の二人だけの状況。

 今まで感じたことのない感覚。

「ん、どうした?」

 …ハッ。

「い、いえ! 何でもないの…」

 結子曰く、何故か頭の中がボンヤリした感覚に陥っていたらしい。

「…っていうかね…これ、今でもスマホのケースに付けてるんだ…かわいいし」

「おっ、そういえば何かぶら下がってると思ってたけど、これ付けてくれてたのか~」

 ニコニコと笑いながら、俺はケースから取り外されたストラップを見ていた。

「それでさ! ずっと使ってたら結構ボロボロになっちゃって…もしよかったら新しいの作ってくれないかな~なんて…」

「良いぞ」

 俺は即答した。

「え、いいの?」

「おう。何なら明日作って持ってくぞ。何しろ五月に作ったデータがあるし、結子の特徴は覚えてるし…」

 そこまで言った時である。

「でもやっぱいいや!」

 若干被せ気味に結子は俺に言った。

「え…あ、そう」

「うん! なんか悪いし…小さい頃に作ってくれたヤツ、なんか愛着湧いてきちゃってるのよね! なんとなく相談してみただけ!」

「なるほど…ならいいか。もし気が変わったらいつでも言ってくれれば作るぞ」

「うん! …じゃあ私、そろそろお風呂入ってくるね!」

「ほい~いってらっしゃ~い」

 俺はバルコニーから室内に戻る結子の背中を見ていた。

「何だったんだろう…」

 なんとなくバツが悪そうな顔をしていた気がするが…

 そんなことを考えながら、また俺は夜景に目を戻した。

「どうして気付かないラ…!」

「なっ! お前もいたのかイニア!何が気付かないって…フガッ!」

「ノボルのアンポンタン~~!」

 どこからともなく現れたイニアは、俺の頭にチョップを下してきた…と思っていたのも束の間、足早に部屋を出て行った。

「…なんだったんだ、あやつは…」


               *


 平野寺家別荘の大浴場。

 元々観光ホテルの予定で建設されていたこの建物は、浴場も大きく、大体体育館一つ分程の大きさはあるだろう。

 そこそこ大きなドアを開け、私は入場する。

 先客が一人。イニアだった。

「あ、ユウコ!」

 お風呂に浸かる彼女は、此方に手を振りニコッと私に笑いかけて来た。

 私もそれに笑いながら返答する。

「イニアも入ってたのね」

「十分ぐらい前から入ってたラ」

 私は備え付けのシャンプーを使い、髪を洗いながらイニアと話す。

「…そういえばイニア、お風呂入っても大丈夫なの?」

 普通にお風呂に浸かっているものだから、つい忘れがちであるが、彼女はロボットである。

「ラ。アタシ完全防水なんラよ~」

「それはプール泳いでたからわかるけど…お風呂ってお湯よ?」

「千度くらいまでは大丈夫ラ!」

 全く常人には通用しない強靭なAIロボットはゆったりとその温泉に浸かっていた。

 高性能のCPUと制御し基本二十四時間稼働させるには、排熱も大事だがそれ以上にその熱に耐えられるボディではないといけないらしい。

 確かに、その辺りにいる人間とのそん色はほぼゼロと言って過言ではない彼女を動かすとなると、相当な処理が必要なのだろう…。こういう事に疎い私でも、何となく理解が出来た。

 イニアからそんな説明を受けている間に、私も体が洗い終わる。

「となり、いいかしら?」

そう言いながら、湯船に足を入れる。

「勿論いいラよ~」

 ニコッと笑いかけてくる。その数秒後だった。

「…最近ラ? ノボルに興味なくし始めたのは」

「…へっ?」

 突然の問いに私はなんと返せばいいのか分からなくなる。

 図星だった。

「…どうしてわかったの?」

 私は少し俯きながら彼女に訊いた。

「…実はさっき、ノボルの部屋に居たんラ」

「えっ、それじゃあ…」

「寝たふりして聞いてたラ」

 あの時。私が彼の部屋を訪れた際に部屋のドアが開いてたのは、イニアがノボルの部屋専用のスペアキーを使って勝手にベッドに横になりに来たからとのことであった。

 生憎バルコニーにいたノボルが気付いてくれなかった為、ふて寝を決め込もうとしたところに私が来る形という状況だったのだ。

「…ノボル、気付いてなかったラ」

「…うん」

 やっぱり第三者から見てもそうなのだろう。

 先程の彼と私のやり取りは、AI側からしても「気付いていない」という判定が下されているに違いない…と思っていたのだが。

「へっ? アタシは寝てる事を言ってるラよ?」

「えっ!? あっ、えっ」

イニアは自分の事を言っていたようだ。

てっきり自分の気持ちに対しての事かと思い、思わず返答してしまった。

「…な~んてね、嘘ラよ!」

「えっ」

…元気を出してほしいと家事手伝いAIなりの冗談だったらしい。

「もう…!」

「ごめんごめんラ…」

 私は少しムスッとした顔をした。

「でも、結子の言いたい事は分かるラ」

「…」

 私は黙って自分の肩にお湯をかける。

「あのストラップの女の子、小さい頃の結子ラよね」

「…うん」

「アタシもノボルの絵はいつも見ているラ。AIで作る時は紙に生成に必要な単語と一緒に簡単な完成像を描いているラからね」

「…そうなんだ」

「ノボルの絵、カワイイんラよね~。ノボルの絵見てなかったら、お手伝いAIロボのアタシなんか絶対に『絵を練習しよう』って思う事もなかったラ」

「…そうなの?」

 少し意外そうな顔でイニアを見つめた。

「そうラよ。アタシはあくまで『家事手伝いを行うために作られた』AIロボットなんラから、ノボルのお手伝いをするためにはその能力を学習していく必要があるラ」

「そう、だったんだ…」

 イニアは懐かしそうな顔で話していた。

「最初にノボルに買われた時、アタシにインプットしてくれた絵も、小学生の頃に描いた結子のラクガキだったラよ。なんだかあったかい気持ちになったラ」

「…そう」

 私は自分の顔を隠すように、パシャッとお湯をかけた。

「まあ、アタシがノボルのお家に来た頃には既に自分で描くのは下書きみたいなのだけしか描いてなかったけど…」

「…」

「でも、この前のゴールデンウィークのお絵描き勝負で結子がアタシの絵の方に手を挙げた夜の情熱はすごかったラ…」


 …あの時から…


「AIに頼りながらも、『どうすれば結子が手を挙げてくれるか』を必死に模索している

んラから!」

 既に洗い終えた顔に、何度も手ですくったお湯をかけ続けた。

 心がキュウキュウと締まる感覚を落ち着かせるかのように。

「…!」

 イニアが優しくハグをしてきた。

 …なんだか切なかった。

 …どうしてAIを嫌っているのにAIに励まされてしまうのだろう。

 暖かい気持ちとは裏腹に、何となく薄らと発生するジレンマにも気付かされてしまう。

「あとはいつ、ノボルが気付くかなんラけども…」

「…けど?」

「お手伝いロボットとして『荒療治』を行うかもしれないラ。…それでも一緒に頑張ってくれるラ?」

「…うん! ありがとうね、イニア!」


               *


「なんで風呂までお前と一緒のタイミングなんじゃ!」

「そんなのボクが言いたい位だ! 何時まで起きているんだ君は!」

「深夜二時だが」

「そんなのは知っておるわ!」

 夜遅く。俺が風呂に入りに来たところ、ばったりと真自に会ってしまった。

「ボクは戸締りをしていたらこの時間になったのだ! ちゃんとした理由がある!」

 本来は派遣されているメイドさんが行う清掃や戸締り。本日分を真自が行う事を条件にこの別荘を使わせてもらっているとのことだった。

「全く…」

「ま~ま~いいじゃないの」

 ササっと身体を一通り洗い、汚れを落とした俺は早速お風呂に浸かる。

「あ~きもちえ」

「おい坂屋! 風呂の中にタオルを付けるのは禁止事項だぞ!」

「へ~へ~」

 渋々風呂の手すりにタオルを置いた。

 暫くの静寂のあと、最初に口を開いたのは真自だった。

「坂屋」

「なんじゃい」

「お前は結子さんの事、好きなのか」

「ナッ!」

 思わず声が出る。

「どうなんだと聞いている」

「…そりゃあまあ、スキっていうか…昔からの間柄だからというか…」

 何なんだよ、いきなり。

「本当にそれだけか?」

「…知ってどうする」

「質問に答えろ」

「筆は持ち込み禁止だろ!」

 いつの間にか額に筆を突き付けられていたことに気付いた。

「お前が答えないから特別に許可状態になっている」

「なんだその緩いルールは!」

「早く答えろ」

「わ~った! わ~った!」

 筆がいつの間にか六本になっていた。

「…俺は小さい頃から結子に振り向いてもらうために絵を描いてたんだ」

 俺にこんな恥ずかしい事を言わせる奴は人生で始めてだ。

「ほう」

 真自は持っていた筆を、丁寧に窓際の高さがある場所に置く。

「今は?」

「…変わってないわ」

「その割には最近不自然だ、と」

「…わかったような口…」

「いや、お前の方がわかってない」

 言い終わる前に真自が被せて来た。

「何がわかってねぇていうんだよ!」

 俺は思わず声を上げてしまう。

「そうだな…どちらかというと、節穴という言葉が正しいかもしれないな」

「どういうことだよ、真自」

「どうもこうも、お前が節穴である。ただそれが答えだ」

「真自…」

 何故こいつはココまで踏み込んできているんだ。

「一つ言っておくが…今のままのキミでは恐らく結子さんとはそう長く続かない。…例え続いた所でせいぜいお友達位だ」

「どういうことだ…」

「そういう事だ」

「だからどう言う…」

 刹那。真自が俺の眼前に向けてきたのは筆ではなく、彫刻刀だった。

「お前のその考えようとしない『甘さ』に原因がある」

 大浴場にその声が響き渡る。

「お前のその甘さに気付かない限り、彼女はこの先一生…同じ距離で君の事を見続けているだろう」

 そう言うと真自は筆と彫刻刀を持ち、湯船からでる。

「もし、君の目の前から、君が理由で彼女が消えそうな時…君は何を見直す…?」

「何って…」

 はあ、とため息を漏らした真自は大浴場のドアを開けながらこう言った。

「君の彼女がどのタイミングで落ち込むか。そこには君の『甘さ』が詰まっている」

 自分の甘さ…

「…浴場のカギは洗面台の所に置いておく。明日の朝にでも返してくれ」

 ピシャリと真自が閉めた浴場の扉の音は、俺の耳に残り続けた。

 俺の何が…結子を迷わせているんだ…

「結子…」

 俺にはまだ、分かりそうにない。

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