第8話 桃園の誓い
「私は京になんか行きたくありません。」
顔を背け、頑なに拒む妻のツネ。
「京で侍になる。こちらが向こうで落ち着いたのち、しばらくの間だけ京に来てくれればいい。こちらと一緒に、また江戸に戻るまでの少しのあいだである」
京に行くことになるので、ツネに通達のつもりで言うと、意外な反応を得た。
「いってらっしゃいませ。私は江戸から出ません。お父上の容態もよくありませんので江戸に置いていく訳にはいきません」
「だから、何度も行っている通り、向こうで落ち着いたら、周助どのも一緒に京へ・・」
泣きだすツネ。
「・・・」
泣いてるツネを諦め、隣の部屋の周助殿のところに行く。
「泣かれました。初めてです。こちらの意見を聞かないなんて。どうすればいいのですか?離縁するべきなのですか?」
「こちらを気にするな。行きなさい。何の躊躇があろうか、一人で行けばいい。こちらを心配することはない。呼ばなくて結構だ。」
「そうは言っても、もしかするとここを閉めて行かねばならなくなります。その場合、生活をするためにはしばらく京の我々の元に来ていただいて・・・・」
「気遣い無用。すべてを忘れて、お勤めを果たせ。勇、わしも養子だ。侍になりたかったのだ。そのため天然理心を継いだ。この勤めを果たせば、幕府の直参になれるかもしれんだろ?これは巡ってきた幸運なのかも知れぬ。進めよ勇」
こちらを送り出そうと気遣いはありがたいが、それじゃあ話がまとまらない。
拙者がいなくなったら、どうやって生活費を工面する?道場がしめることになったら、路頭に迷うことになるのだぞ。支度金は50両出るそうだが、それで賄えるのか?
やはり、道場は閉められない。
「このまま放置して京へは行かれない。前に考えた通り、総司に先生になってもらうしかない」
その考えを総司に伝え了承してもらうため、道場に出る。
最近道場は、稽古の木刀がぶつかる音と気組みを発する掛け声が、鳴り響いている。
京に行くために、多摩からの門弟が頻繁に訪れ、試衛館道場にて稽古を盛んにつけているので活気が戻っているのだ。
「先生、ご機嫌様です」
挨拶してくる門弟に会釈して中へ。師範代でみんなに稽古をつけている塾頭の沖田総司を呼ぶ。
「総司、大切な話がある」
「なんでしょう?」
いつもの屈託のない総司の笑い顔だった。
「この天然理心流はみんなで京に行く。京でお勤めをやり遂げる自信はあるが、志なかばで殉死してしまう可能性もある。しかしそれでは天然理心流が途絶えることになってしまう。そこで総司。おまえはこの江戸に残り、この試衛館を存続させるため、拙者から館長を引き継いでもらう。おまえに試衛館5代目館長になってもらおうと考えた。総司、出来るな?」
「・・・私が・・・試衛館の館長?」
「現在、天然理心流の中で、おまえより強い奴はいない。総司なら十分、師範でやっていける。今回、京に行きで引継ぎが早まったが、前々から総司に天然理心流を託したいと考えていたのだ」
「・・・私が江戸に残り、試衛館を継ぐのですか?」
「試衛館のみんなは、京に行くと浮かれているが、そんな生易しいもんじゃないはずだ。実際に行ってみないことには、何が起こるか分かったもんじゃない。・・・すべてうまくいくはずはない。何人が、お勤めを終えて江戸に戻れるか。・・・拙者も向こうで死ぬ覚悟で行く。しかしその時に気がかりは試衛館の存続。だから信頼できる総司に託して死にたいと思う」
「私は京に行けないのですか・・・・」
「総司は江戸の試衛館も日野の稽古場も熟知している。館長を継げるのは総司にしかできないことなのだ。天才である総司の剣に天然理心流を託す。よろしく頼む」
「・・・」
何も言わない総司。
「拙者らもただで死ぬはずはない。誰かが必ず戻るから待っておれ。幕府の直参になって、広く天然理心流を世間に広めるのだ。頼むぞ総司」
「・・・」
総司は返事をしなかった。
その日の夜、小野路村の小島鹿之助と一緒に、土方歳三、井上源三郎、中村金吾らの日野の門弟が試衛館に来た。
「向こうで話し合った。小野路村から自分と、ここにいないが佐藤彦五郎を頭に、日野から厳選して7~8名程度が登録して京に行くことにする。もし50人選別に支障がきたすのであれば、辞退者の選別も考えている」
「佐藤房之助は?」
山南さんが聞く。佐藤房之助は、日野において腕の立つ男だ。
「無論行く。ワシと同じ、八王子同心の兄も行くので張り切っておる」
井上源三郎が嬉しそうに答えた。
「まずは宴だ。酒を頼む」
拙者がそういうと妻のツネが、お膳を運ぶ。年若の藤堂平助らの門弟も、日野からのお客をもてなす。
「これからが楽しみだが、・・・京とはどんなところだ?」
日野から出たことのない源三郎は興味深々。
「格式ばかり高くて食えない所さ。ただ酒はうまい。あんなうまい酒、飲んだことない」
永倉がいうと原田も同感と、うなづく。
「京にはいきたかったが、なかなか行けない遠いところのなのだ。行くには覚悟がいる」
土方歳三も腹を決めたようだ。
「まあそんなに力むな。伊勢参りとそう変わらんぞ」
しばらく京に住んだことある原田が和ませる。
「近藤さん、みんなで行くのはいいが、ここはどうなる?」
ふと気なって小島鹿之助が聞いてきた。
「残すさ。天然理心流が無くなることはない」
そう、総司に館長を引き継ぐことで試衛館を残す。・・・そして、それをみんなに伝えようと・・・あれ?見まわしてみると、総司の姿が見えない。
「・・・総司は何処にいった?」
見回して総司を探していると、総司の兄・沖田林太郎さんが察したようで、近寄って来て、耳打ちする。
「それで先生すまないが、総司のことで、お話をさせてもらっていいですか」
沖田林太郎さんは、総司の姉・静を娶り、沖田家に婿養子で入っていて、今回京に行くことにもなっている。その林太郎さんが総司のことで話をしてくる。
「実は総司のことですが・・・先生に『総司に試衛館を譲る。五代目沖田総司館長だ』と言われたそうで、・・・それは本当なのでしょうか?」
「うむ、いま総司がいればみんなが揃っているこの場で、お披露目しようかと思ったところだが・・・」
「先生、それ、待っていただくことは叶いませんか?」
「どうした?総司になにか?」
「それが総司が・・・今まで一度も、嫌と言ったことない総司が、・・・泣いて嫌がっているのです」
「え?泣いて嫌がる?」
元服もとうに済ましている、いい歳の男が泣いて嫌がる?
「館長になることが嫌だそうです。・・・・いえ館長がいやというのではなく・・・どうも、ひとりだけ江戸に残されるのが、嫌なようです」
「江戸に残ると言っても、館長になるのは誉なはずだが・・・」
「それでも総司は、江戸に置いてきぼりにされると思っているです」
ますます子供の駄々っ子だ。
林太郎さんは、あまり人に聞かれたくないようで、続きは総司を呼んで館長室にて話をすることになった。
総司は試衛館には来ているらしいので、平助に総司を見つけて館長室に来るように頼むと、直ぐに井戸端でポツンと孤独にいじけている総司を見つけた。
総司は館長室に来ると、ふてくされた子供のようにダラダラと入って来て、拙者と林太郎さんの前に座る。
まったくへそ曲げている子供と同じだ
「この前、話した話だが・・・」
「わたくし沖田総司。師範、並びに館長を継ぐ話はお断りします。私も京に行きたいと思っています」
「しかし誰かが江戸に残って、この天然理心流をつながないと、絶えてしまうのだ」
「でも私だけ残るのは嫌です。みんなと一緒に京でお勤めを果たしたい。それが望みです」
「総司、何度も言うがこんなことを頼めるのはおまえしかいないのだ」
「・・・うぃうううー」
泣きだす総司。・・・本当に泣きやがった。
そして頭を畳にこすりつけて頼みこんでいる。
「嫌です。・・・私も京に行きます。連れて行ってください」
「まったく駄々っ子だ」
・・・だが思い返してみると総司が嫌がっているのを初めてみた。
10歳の子供ころから知っている総司だが、何を言っても二つ返事で「はい」と言っていた。それが今回初めて「嫌だ」と言った。そして泣いて懇願している。
自分の意志で自分の道を選んで主張している。やっていることは子供だが、一応は大人になったんだなと思えた。
それ見ていて沖田の兄、林太郎さんも頼む。
「近藤先生、自分からもお願い申し上げます。総司も連れて行ってください」
林太郎さんにも頼まれ・・・どうするか?
二人とも京に一緒に行ってくれれば、浪士隊の戦力は上がる。・・・こんだけ頼むのだ。・・・・仕方なかろう。
「京に行くか総司?」
「ハイ」
屈託なく笑う総司。
「行け、京に行け総司」
「ありがとうございます」
額を畳に擦り付けて、お辞儀をする総司。
試衛館は、京行きの者の挨拶や道具揃えの準備やらで、活発に動き始めている。
試衛館から戻った小島鹿之助から連絡が来る。「歳三と、先生の鎖帷子を手に入れた、来てくれ」とういう手紙だ。
小島家も佐藤家と同じで有名な豪商。多摩小野路村(町田あたり)の明主で、日野の彦次郎さん宅の稽古場で、拙者らと一緒に稽古をした仲である。
鹿次郎は、剣や戦いが好きなのだが稽古があまり熱心ではない。もっぱら合戦の話が好物で、鎧、兜の収集を趣味にしている。
その鹿之助に呼ばれてもう一つの道場・小野路村へ行く。
小野路村に向かう道中の道すがら考える。
総司を京に連れて行くのは構わん。が、総司に館長を断られると試衛館を任せられるものはいない。だが道場は存続しなければならない。
拙者は館長だ、道場存続は師範の仕事だ。
「ここは拙者が残るしかあるまい。・・・やはり侍は夢だったか。・・・道場主になれば侍になれるかと思ったのに。その道場が今度は足かせになってしまった。うまくいかないものだ」
小島家につくと、まだ日が暮れてないのに日野から武具や防具をもらい受けに来た源さんや歳三が、飲んでいた。
小野路村の門弟が、出発祝いで日野村の門弟を送り出しの宴を開いてくれていたのだ。
「先生、おめでとうございます。京で沢山の手柄を立ててください」
頷きながら、みんなに挨拶する。
みんな飲んで、喜んで騒ぐ。それを楽しく見つめる拙者。
「これが皆を束ねる拙者の役目か」
自分の欲を押し殺し、みんなを笑って送り出す。拙者の仕事はこれなのだろう。
「先生も一献」
あまり飲める口ではないが、今日は飲もう。みんなを送り出すことと、京に行きを断念したヤケ酒だ。飲んでもいいだろう。
盃を受け取ると、一気に飲み干す。それを見ると、みんなやんやの歓声だ。
「めずらしいですね。どうしたんですか、先生」
「たまには飲みたい時もある」
「先生、私のも一献」
門弟が、嬉しそうに注ぎに来るので、笑顔で受けた。
上機嫌に見える拙者に、小島鹿之助が、酒をすすめに来た。
「鎖帷子はまとめて試衛館に運ぶように言ってあります。後で着用して確認してください」
「おお、鹿之助。それがだな鹿之助、拙者の分は必要なくなった」
「え?・・・どうしたんだ?」
「拙者は京にいけなくなった」
「・・・何故に?」
「みんなで京に行ったら道場が立ち行かなくなる。・・・京に行くために、総司に館長を譲ろうとしたがな。断られてしまった。・・・。江戸に天然理心流を残さなければいけない。道場を閉めることは出来ないののだ・・・ゆえに拙者が残ることになる」
「でもそれなら総司には、俺が言って聞かせて・・・」
「いや、それはしないでくれ。あのなんでもゆうことを聞く総司が、江戸に残らず自分も行くという決断をした。連れて行かねば切腹をしかねない状態だ。・・・あの総司が自分の将来を考える大人になった。これは大事なことだ。尊重しなければいけない」
「しかしそれじゃ勝太は京に行けなくなるぞ。それでいいのか?あんなになりたかった侍の夢をあきらめるのか?」
久しぶりに昔の名前で呼ばれた。昔から一緒に稽古した鹿之助だからな。
「館長なら、やはり残らなくてはならない。存続第一、それが館長の役目だ」
「・・・」
やはり夢だったのだ。侍になるということは。
「別に江戸の試衛館はたたむ必要などないぞ。道場を置いていけばいい。・・・京でうまくいく保証はないのだ。それにうまく行ったら、誰かがすぐに戻ればよかろう。みんなが帰って来る間だけだ」
小島鹿之助がいう、
「そうなのだが、妻もいる周助先代もいる母屋を放置はできない。誰かが守らなきゃならないのだ。それに京で拙者が死んだら、・・・その後も考えておかなくてならない」
「やはり勝太、おまえは京に行け。」
「だからさっきから言ってるように・・・」
「俺が江戸に残るさ。みんなはいけばいい。みんなで京に行くのだ」
鹿之助が酒をそそぐ。
「俺の腕程度で、京に行っても役に立つかわからん。その点、勝太と総司はぜひ行くべき人間だ。・・・江戸は任せろ、おれが道場を守る。みんな京で暴れてこい。」
「鹿之助・・・」
「関羽の気持ちだ。心は同じ。勝太が挙がれば、俺も挙がる。気持ちは一緒だ」
拙者も鹿之助も関羽にあこがれていた。関羽の忠誠心が大好きだった。
それを言われたら、受けるしかない。ありがたたく受けさせてもらうしかないのだ。
拙者は鹿之助の手を握り言う。
「鹿之助、甘えさせてもらう。・・・ならばもう一つ頼みがある。聞いてもらえるか?」
「いいぜ、この際だ、なんでも面倒を見る。なんでも言ってくれ」
「義兄弟のサカヅキをしよう」
「お、・・・・『桃園の誓い』三国志か、・・・いいな、やろう」
二つの盃に酒を満たし、それを掴んで互いに腕を交差させて、互いに飲み干す。
「命は一緒、志も一緒、離れていても心は一緒」
互いに飲み干して、盃を地面に投げて割る。
「行って、死んで来い勝太。もし敗れても、おまえの意志は俺が継ぐ」
その一言で、拙者の目に涙が溢れた。
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