第4話 幕府指南役-1
前川邸屯所の局長部屋に戻り、机に乗っている山南さんが書いた隊務報告書に目を通し、今日の仕事を終える。
床の間にかけた虎徹を掴み、最近借りることにした仮眠宅に戻ることにする。
「鴻池の虎徹の拵えが出来るまで、まだお前には働いてもらわなくてはならない」
まるで承知したと言わんばかりに、鍔のあたりでカチャリと音がした。
玄関口のかまちに降り、腰帯に鞘から入れて紐を巻き付ける。
いつも通りだ。腰になじんだ虎徹がしっくりくる。 もう10か月以上、左の腰に寄り添っているから安心感がある。
「局長、お帰りで」
玄関口を掃除する隊士に挨拶される。それにうなずき、家外に出る。
歩く足に寄り添うように虎徹が上下に小刻みに揺れる。
「馴染んでいる。しかし・・・・この虎徹には、不憫な仕打ちをしてきたな」
京に来てから、『虎徹を持っている』と周りに伝えていたが、よほどのことがない限り、この虎徹を人に見せることはしなかった。
「怖かったのだ」
虎徹という刀は贋作が多い。「虎徹をみたら偽物と思え」、誰もが虎徹を見るとき、「これは偽物だろう」と確認するような見かたをする。まるで何かの見世物の類に通じる好奇心の見かたである。
今までこの虎徹は贋作になる決め手はなかったが、本物と言われる証拠がないのも事実。もし見せている時に誰かが虎徹の不都合を発見して、「これは贋作」と決定打を突きつけられたりしたら、どうしたらいいのか?
新撰組・局長の近藤の虎徹は偽物だ。奴は偽物を後生大事に祀っている。そんな風評が広まれば、それこそ局長の威厳が失墜する。
不安なのである。胸が苦しくなる。故に、あえて見せることはしなかった。
京に来てしばらくした頃、虎徹の噂を聞いて八木殿が見せてほしいと言われたので見せた。八木殿は刀に詳しいため、もしかしたら真正の証明の言葉を貰えるかも、という下心があり見せたのだが、そこに芹沢もいて、横から眺めていた芹沢が急に言い出した。
「これは江戸の源清麿に似ている」
「なにを突然・・・」
「過去に源清麿を見たが、何か似ている気がする」
「どこでござるか?」
「いやこれといった目ぼしはないが、なんとなくの雰囲気というか、たたずまいだ」
「・・・」
芹沢が、虎徹を持つ八木殿に聞く。
「八木殿、虎徹は偽物がおおい。過去に見たことはおありで?」
「本物もありますが、いくつか贋作も」
「それと比べてどうですかな?」
「虎徹については、色々あるので、鑑定はご容赦ください。特に初代の初期のころの『古鉄』は、興里自体も製作が定まっておらず色々なものがあります。ゆえに杓子定規に本物と偽物の区別が出来ません。ただ私にできることは、その刀の素晴らしい部分を見せていただいて、楽しむということぐらいでして」
初代の初期の『古鉄』は、試行錯誤のため、変わったものが結構あるらしい。そこに乗じてか、贋作者もそれに付け込んで製造しているのも要因だ。
「それで、その虎徹には数珠刃はありますか?」
「いえ、これにはありません。しかし虎徹の特徴は持っているので、虎徹でしょう・・・初期の『古鉄』になるのではないとかと思われます」
そう数珠刃がない。それがこの虎徹の問題なのだ。
「いやいや、無難な意見。けっこう、けっこう。もし偽物といえば、激高した持ち主が詰め寄り、切りかかるやもしれませんからな」
「芹沢殿、言っていいことと悪いことがありますぞ。貴殿はこれを偽物と決めつけようという腹積もりか?」
「いや別にこれが偽物と言っているのではない。まあそれほど虎徹の偽物が沢山あるということだ。・・・ちなみに近藤殿これはいくらで手に入れられた?」
「200両(3600万円・一両=18万円計算)で買ったのだが・・・」
「最上大業物なら、まず500両からだ。八木殿、虎徹の相場は?」
「刀は値段ではございません。互いに納得されたものが、値段になります。200両で買えたのなら喜ばしいことです。江戸だったからですね」
「そうだな。こちらでは希少な虎徹は1000両出す者もいるかも知れぬ。・・・やはり虎徹ばかりは、人にみせないほうがいい」
「何故でござるか?」
「もしそれが偽物だった場合どうする?近藤殿は捨てるか?200両も出したのだ。捨てずに持ち続けるのではあるまいか?」
「いや、偽物なら捨てる。どんなものでも偽物をもっていると、その持っている者も偽物の人間になるから」
「ならば、気をつけなさいと言っているのだ。別に刀なんぞ見せる必要はない。自分が気に入ればそれでよい」
言い返せない。
「ほんの戯言。それがどうこうと言う訳ではない。ふと気になったことを言ったまでだ。失礼失礼」
そういうと芹沢はさっさとどこかに出ていった。
残された拙者と八木殿は、会話が出来ない気まずい雰囲気になってしまった。
「すみません近藤様、私が見せていただきたいなどと言ったばかりに・・・」
拙者は八木殿に向き直り、謝った。
「失礼した八木殿。自分でも少し気になっていたので、何か本物であるという証拠が出ないかと期待してお見せしてしまった。・・・虎徹を疑うということ自体、虎徹に失礼だった。芹沢殿が言う通り真贋は必要ないですね」
「その通りですね」
思えば、江戸から京に上がる浪士組の中にも虎徹を持つというものが何人かいた。
京に向かう道中に、会話の自慢話で言いふらし、刀を抜いて自慢する者さえいた。
無論そういう輩が持っているものなど本物などなく、まったく虎徹の特徴さえ持たぬ偽物だった。
その中には、柄をとって銘を見せる者もおり、確かに銘には虎徹とあった。
だが・・・
「虎徹の銘は、角ばっているので打ちやすい。だから虎徹を書く奴が多い。それが虎徹の贋作を多く作られた理由の一つだ」
などと言われたものだから持ち主は怒り、喧嘩になる。その場で果たし合いに発展する。
しかし『私闘禁止』。幕府・浪士隊管理の山岡が仲裁に入り、
「そもそも虎徹がそんなにあるわけない。虎徹は偽物ばかりだ。よくわかってない者同士が互いにけなし合い、大事を控えたお勤めの前に命をやり取りするなど、いい加減になされよ」
と、言い捨てる。結局、京に行く道すがらの暇つぶしの余興にされてしまっていた。
「・・・だが、今、自分の持っている虎徹も、偽物だとしたら?」
そう思うと恐怖が沸いてくる。拙者はこの虎徹があるから、京に向かって行けるのだから。
虎徹のこじりを握り直し、
「別におまえが悪いわけじゃない。しかしこの虎徹の不憫なところは、だれもお前を虎徹として、認定出来ないからだ」
と、言い聞かせてみる。
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