アサガオ(朝顔);Ipomoea nil

 朝顔アサガオはヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物。原産地はネパール近郊から中国、熱帯アジア、中南米と諸説ありますが、日本には奈良時代末期~平安時代頃に遣唐使によって渡来し、長い間、その種子が「牽牛子けんごし」という生薬として用いられてきました。


 「朝顔」という名が使われるようになったのは平安時代からで、「朝に咲く美しい花」という意味で「朝の容花かおばな」と呼ばれていたのが由来です。ただし「朝顔」はもともと朝に咲く花の総称として使われていたため、当時の朝顔には桔梗キキョウ昼顔ヒルガオ木槿ムクゲなども含まれていました。


 アサガオの種類は非常に多く、種類によって雰囲気や特徴なども違います。主に日本朝顔と西洋朝顔、変化朝顔の3タイプがあり、開花時期などもそれぞれ異なります。日本朝顔は七月中旬~十月頃に見頃を迎えます。葉は三つに分かれていて、葉裏にうぶ毛が生えています。西洋朝顔の開花時期は九~十月頃です。葉はハート形で、うぶ毛は生えていません。発芽後の双葉に深い切れ込みがあるのも特徴です。変化朝顔とは、遺伝子の突然変異によって多種多様な色や形の花や葉をつけるアサガオのことです。


 観賞用の園芸植物として栽培されるようになったのは江戸時代からで、品種改良されて独自の発展を遂げ、それが明治時代以降も続いている「古典園芸植物」です。大きな花の「大輪アサガオ」や、葉や花がユニークに変化した「変化アサガオ」が大流行しました。つる性の一年草で、あんどん仕立てやつるを長く伸ばしてカーテンのように仕立てる方法が代表的ですが、つるが伸びない矮性わいせいの品種もあります。花色には白やピンク、青、紫のほかに、覆輪部ふくりんぶと花弁の中心に向かって筋状に白い模様が入る「曜白ようじろ」と呼ばれる模様などもあります。さらに、花の大きさも巨大輪から小輪まであり、変化に富み千差万別です。アサガオといえば丸い花のイメージですが、変化朝顔の花の形は星形や筒状など、一見するとアサガオに見えないものも。江戸の町人文化が花開いた文化・文政期には、園芸ブームの後押しもあり、変わった種類の変化朝顔を栽培することが大人気に。変化朝顔は、遺伝の法則など知らなかった江戸時代の人々たちの情熱の賜物であり、「朝顔番付」など品評会が行われたり、木版の図譜類も多数出版されたといいます。


 下町の夏の風物詩とも知られ、天明期を代表する文人・狂歌師、大田南畝おおたなんぽの狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」で知られる入谷鬼子母神(法華宗本門流の寺院・真源寺)とその周辺で、毎年七夕の前後三日間(七月六日、七日、八日)に行われるのが、朝顔市です。当初は御徒町付近の下級武士(御徒目付)により盛んに栽培された朝顔ですが、町の変貌や江戸幕府から明治政府への変遷により、いつしか入谷の植木屋で育てられるようになりました。この入谷の土が朝顔の生育には最適だったようで、栽培数はさらに増え、「入谷の朝顔」として広く知られるようになり、評判を呼んだ入谷の朝顔は、「牽牛花」と呼ばれていた別名にちなみ、七夕の前後の三日間、市が開催されました。大正時代に一度廃れた朝顔市ですが、戦後、昭和二十三年に復活し、現在では「朝顔まつり」として多くの人々が訪れる夏の一大イベントとして人気を呼んでます。


 朝顔は万葉集の頃から親しまれ、多くの歌人、俳人たちに詠まれています。


君来ずば誰に見せまし我が宿の垣根に咲ける朝顔の花 詠み人しらず

しののめの別れの露を契りおきてかたみとどめぬ 朝顔の花 藤原定家

はかなくて過ぎにしかたを思ふにも今もさこそは 朝顔の露 西行

風来り白き朝顔ゆらぐなりこだまが持てるくちびるのごと 与謝野晶子


朝顔や今に咲くらん空の色  夏目漱石

朝顔や鉢に余れる蔓の丈  芥川龍之介

朝皃あさがおに空美しき日頃かな 高浜虚子

あさがほの日々とめどなく咲くはかな 久保田万太郎

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