アカネ(茜);Rubia argyi

 アカネは道端や山野の林縁に生えるアカネ科のつる性多年草。中国、朝鮮半島、台湾、日本、東南アジアに分布し、日本では本州、四国、九州に分布します。


 和名の茜の由来は根を乾燥させると赤黄色から橙色となり、赤い根であることからアカネと名づけられました。小野蘭山おのらんざんの『本草網目啓蒙ほんぞうこうもくけいもう』にも「茜草、アカネ、根赤木故に名づく」と記されています。茎は四角く、下向きのかぎ様の細かい刺があり、このかぎ様の棘で他の草に絡まって2mほどの蔓になります。茎には節があり、そこから長さ3~7㎝の三角状卵形で、先は細くなってとがった心形の四枚が輪生するが、そのうち二枚は托葉が 変化したものです。葉柄や葉の縁、裏面の葉脈にも下向きの刺があり衣服などにつくことがあります。八月〜十月にかけて葉腋からでる集散花序に、 直径3~4㎜の黄緑色の小さい花が咲き、 花冠は五裂し、裂片は尖って反り返ります。 花柱は二本、雄しべは五本あり、十月〜十一月に直径5~7㎜の球形の液果の核果がつき、黒く熟します。


 茜の根を乾燥したものを茜草または茜草根とも呼び、草木染めの染料や薬草として用いられます。漢方では通経、止血、利尿、解熱、強壮などの目的で処方されます。ホワイトリカーに漬け込んで薬用酒とする民間の健康法もあります。


 茜色は吉野ケ里遺跡から出土の絹の端くれから日本茜と貝紫の色素が検出されていたり、『魏志倭人伝』に邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王に献上したものの一つに「絳青縑こうせいけん」と記述があり、「絳」は「あかきねりぎぬ」即ち『茜染の絹布』であることから、この上代からすでに茜で緋色を染める技法が完成していたという説がありますが、室町時代に蘇芳の出現により安易に赤色を出せるようになり、茜染めが途絶えたと言われています。この茜染を染色研究家の宮崎明子が平安時代に記された古代史料『延喜式』や『正倉院文書』を読み解き、米のもろみを使って古代の染色技法による茜染めを再現。実験の成果を平成九年(一九九七年)に論文に纏めて発表しました。

(※日本経済新聞二〇一六年十二月一日文化欄「日本茜 格別の赤染める—室町時代に途絶えた古代技術 栽培から織機まで再現;宮崎明子)


 また、七世紀後半から八世紀後半にかけて編まれた万葉集の中に、茜、茜草、赤根、安可根等で表現され人気のあった枕詞として茜は記されています。


 あかねさす紫野行き標野しめの行き野守は見ずや君が袖振る       

  (巻一・二〇) 額田王ぬかたのきみ


 あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月のかくらく惜しも   

  (巻二・〇一六九) 柿本人麻呂かきのもとひとまろ


 あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜はすがらに音のみし泣かゆ  

  (巻十五・三七三二)中臣家守なかとみのやかもり


 大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも

(巻四・五六五)賀茂女王かものおほきみ


あかねさす日並べなくに我が恋は吉野の川の霧に立ちつつ

(巻六・九一六) 車持千年くるまもちちとせ


 泊瀬はつせ斎槻ゆつきしたに我が隠せる妻あかねさし照れる月夜に人見てむかも

(巻十一・二三五三) 柿本人麻呂歌集(旋頭歌)


  あかねさす日の暮れゆけばすべをなみ千たび嘆きて恋ひつつぞ居る

(巻十二・二九〇一) 作者不詳


玉たすき懸けぬ時なく我が思ふ妹にし逢はねばあかねさす昼はしみらに

(巻十三・三二九七) 作者不詳


 飯食めどうまくもあらず行き行けど安くもあらずあかねさす君が心し忘れかねつも

  (巻十六・三八五七) 作者未詳


  あかねさす昼は田賜たたびてぬばたまの夜のいとまに摘める芹これ

(巻二〇・四四五五) 葛城王かつらぎのおほきみ





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