第29話 真白


 金治は何も言い返せなかった。

 不死彦が、決して誰も知る筈のない真白の秘密を、さも知っているかのように話すものだから、あまりの怒りで気が動転したというのも理由の一つとしてある。だがその一方で、あの時真白が語った言葉の意味と、その真意が、回り回って再び金治の心に注がれるのを感じていたのだ。

「なんや、涼しい顔して。ワシが怖わないんか」

「怖くはありませんねぇ」

「何故」

「何故でしょうねぇ」

「余裕やな。今ここで死ぬかもしれんのんど?」

「死にません。私は」

「何を?」

「死にませんよ、私は。それに私、あなたが来るのことをずっと前から知っていましたから」

 金治はこれまで多くの人間の命を手にかけてきた。いくら真白が特別だったとはいえ、殺した人間が戻って来るなど見たことも聞いたこともない。あの真白が、あのオカアハンが、呆気なく病に倒れた妻が自分を蘇らせることが出来るなど……いや、しかし。

「せやかてオカアハンは十年前に死んだぞ……ガンで」

 半ば放心状態で金治がそう口にすると、不死彦は悲しい顔で金治を見つめ返し、首を傾けた。

「ほんまにそうでしょうか」

「ほんまに、て、お前」

「私も詳しい原理は分かりません。そやけど金治さん、千尋さんのことがあった時、私に教えてくれはったやないですか」


『オカン俺に言うてたんや。千尋ごめん、お母さん意気地なしやねん、て。意気地なしでごめん。よう立ち向かわれへん。でも、必ず守るから、死んでも守るからて、そうも言うてた』


「それが何や」

「真白さんがガンに侵されていたことは間違いないのでしょうし、医学的な死因もその筈です。しかし、金治さん手紙で書いてはりましたよね」

「何をや」

「茜さんのこと」

「茜?茜て、千尋の嫁か?」

「さいです」


『普段病気ひとつしない千尋の妻、茜が急な発熱により床に臥せった。昨今巷を賑わせる流行病かと思い安静にさせたが、三十八度後半を維持したまま熱は一向に下がらず、起き上がることも出来なかった。発熱は十日以上続き、その間病院で検査もしたが原因は知れず。これはいよいよ普通の病ではない、と思い始めた所で、ある晩ケロっとした顔で茜が部屋から出て来た。

「戻った」

 とひと言、そう言ったそうだ。

 治った、でも、熱が引いた、でもない。

 戻った……と茜は言ったのだという』


「も」

「戻った。おそらくですが、その言葉を口にしたのは茜さんやなく、この世に舞い戻って来た真白さんやったんです」

「何故わかる」

「茜さんが吐いた長い髪は、きっと亡くなった真白さんの魂が具現化したものです。それに、その後あえなく亡くなった茜さんが可奈ちゃんに残した言葉は、真白さんが千尋さんに残した言葉と同じやった……そうですよね?」

「死んでも、守る……そ、そやかて!」

 死を目前にした親ならば、子に向かってそれくらい思いの籠った言葉を残すのではないか。好きに生きろ、ずっと側で見守っているから、と。

「そうです、空から、あるいは側で見守っていると、本来ならそう伝える筈です。でも、死期を悟った人間は、死んでも必ず守るといった約束事をかわすような真似は、したくても出来へんのと違いますやろか。そもそも、何から誰を、という重要な点も語られていませんよね」

 不死彦の言葉に、金治は喉を塞がれたようになった。

「真白さんは、茜さんの思いを可奈ちゃんに伝えたのかもしれない。そして自身も、死んでも守るという言葉を実行に移そうとした。何故なら閻魔の使いである鬼は、生者に手が出せない代わりに、こちら側からも一切の攻撃手段が通用しないからです。真白さんの言った『よう立ち向かわれへん』という言葉の真意はそこでしょう。だから、可奈ちゃんを守る為に真白さんは戻ってきた。生者として蘇るのではなく、その魂を近しい人間たちに憑依させる形で」

「ほ、ほな、そしたら茜さんは、そのまま高熱で一度死んでしもたんか」

「茜さんだけやないですよ。千尋さんも、金治さんから買い物頼まれて街に出た時、血を吐いて倒れはった。飯嶋さんもおそらくご自宅で。そして可奈ちゃんが無意識に彼らの魂を呼び戻し、再び鬼に見つかり、捕まってしまった」

 不死彦の推測では、茜も千尋も和水も、死後一度は可奈の力によって生者として蘇っている、という。だが自然界の摂理を覆す、神のごときその力を地獄の閻魔が許さなかった。

「三十年前真白さんが予見したものは」

 と不死彦が言う。「ひょっとしたら、私と末三さんが引き裂かれるというあの一件のことやったのかもしれません。そいでも今となっては、私にはこう思えるんです。閻魔によって遣わされた此度の鬼は、可奈ちゃんの先祖である真白さんの予見によって、三十年も前にその出現を看破されていた」

「さ、三十年てお前」

「真白さんはだからこそ、ご自身が病に侵され死期が迫った時、死んでも必ず守ると、千尋さんに遺言を残さはったんやと思います」

「ど、どく、す、末三はどない言うとる!?」

「さすがに今回の事件についてはまだ何も言葉を交わしてはいません。そいでも……」

 もうひとりの自分である沢瀉末三と文筆によってやりとりを交わして来た不死彦は、かねてより末三が提唱して来た「死神」説を、既にことを知っていた。だが、一年の半分以上を眠って過ごす不死彦にとっては、真白の身に起きたという過去の怪異に対する現実味があまりにも薄かった。真白と顔を合わせて言葉を交わした記憶さえ、ほとんどと言っていいくらい無いのだから。

 ところがここへ来て、長年自分の存在を証明し続けてくれた金治の口から恐ろしい話を聞いた。真白の子である千尋、そして孫である可奈の身に危険が迫っている、という。不死彦は即座に、これまで末三と交わした日記でのやりとりを紐解いた。

「もしも」

 という書き出しで、末三は不死彦にこんな忠告を書き記していた。

「もしも私の説いた死神説が全くの見当はずれであった場合、これまで我々が得た情報を総動員して、新たな推測を構築せしめる必要性を感じる。それもなるべく早急に。何故なら、あの恐ろしい何かが真白様の身に起こる怪現象ではなく、あの御人が予見した未来に起こる事象であったなら、ほとんどの謎に辻褄の会う解答が導き出されることに今更ながら気付いてしまったからだ。そして、その未来に起こる事象、ここでいう恐るべき怪異とは、真白様亡き今、十中八九彼女の子孫に向かうはずである。とても嫌な予感がする。そして今更ながらこの推測に辿り着いた己の未熟さ加減に、甚だ後悔の念を禁じ得ない。私はなすべきことを間違っていた。そのせいで、一体どれ程の心痛を彼らに与えてしまっただろう。掛け替えのない愛情、その時間をまるでどぶに捨て去るような生き方を強いてしまったのだ。万が一、今後金治様より何某かの報せを受けた時、私は今ある全てをかなぐり捨てででも、命を賭して馳せ参じる覚悟である。その時は、残された貴殿にこの家の蔵書と管理の一切をお任せしたいと勝手な言い草ばかり巡らせながら、今これを書いている」

 でこぼこの山道を低速で走る軽トラがようやく金治の家に辿り着いた頃、朝陽が上り、呼応するように可奈が自然と目を覚ました。可奈は寝惚け眼のままフロントガラスに映る雄大な山並みを見つめて、ぼそりとこう呟いた。

「もっと、寝てたかったなぁ」




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