第27話 過去世.1


 金治は、沢瀉末三と出会った日のことを今でもはっきりと覚えている。

 亡き妻真白から紹介された時、末三はまだ二十代の若さだった。現役を引退し、五十にさしかかろうとしていた金治には、その若い末三が何者なのかを上手く推し量ることが出来なかった。堅気ではなさそうに見えた、かといって、危険な人物にも見えない。どちらかと言えばにこやかで愛想が良く、それでいて飄々としながらも隙のない振舞いに、押していいのか退いていいのか、接し方ひとつにも戸惑いを感じさせる不思議な青年であったのだ。

 真白は金治に、末三のことを「怪談蒐集家」として紹介した。いまいちピンとこなかった。そのような肩書が職業として世に罷り通っていることさえ、金治は知らなかった。

 古今東西の怪異譚を蒐集して駆けずり回るのが生き甲斐の男で、集めたネタを小説家や漫画原作者に情報提供と称して話して聞かせ、日銭に変えて糊口を凌いでいるという。年齢は当時まだ二十代と若かったが、どことなく浮世離れして見える理由に関しては成程、合点がいった。資産家の三男に生まれ、かつては何不自由ない生活を送っていたが、十代前半で長兄と次兄を相次いで病で亡くし、家督を継がされることを嫌って突如出奔。案の定、その後お家は潰えたそうである。そこからついたあだ名が毒三郎、というわけだ。

 金治は当時既に殺し屋稼業から足を洗っていたが、真白の方は生まれ持っての力を用いて生業を続けていた。つまり未来を予見し、悩める人々の相談事に乗っていたのである。むろん、彼女の力に目を付け、あるいは疎ましく思い、利用と排除を企む有象無象の輩が多く現れた。その都度金治が出張っていって、身を挺して真白を守った。三界貫く矛と呼ばれた技術を持って今度は彼女の盾となり、遺憾なくその力を発揮したのである。

 金治は真白に対し、己の命を危険にさらしてまで人に尽くすなどやめておけ、と何度も忠告した。真白を守るのが嫌だったのではなく、そもそも馬鹿らしい生き方だと感じていたからだ。だが真白はやめなかった。

「自分に与えられた力の、これが正しい使い道である筈だから」

 そう言って聞かなかった。そんな真白が末三を呼び寄せたのも、彼女の持つ力が切っ掛けだった。夢を見た、と真白は言った。

「恐ろしい夢を見た。正体が何なのは分からないが、とてつもなく恐ろしいものが私たちの未来に立ちはだかる。この世の者ではないと思う。大事なものが何度も奪われる。決して逃げられない。それはいつまでも追いかけてくる」

 と、そう言うのである。古今東西の怪異に詳しい末三を人伝に呼び寄せ、相談に乗ってもらいたいと考えている……金治は真白からそう打ち明けられたが、正直どう答えてよいかも分からなかった。真白の力が本物であることはもちろん理解している、だがその先の領域に関してはまるで門外漢なのだ。真白はおそらく、金治以外の人間、つまりは夫以外の男性を頼ることに対して理解を得ようとしたのだろう、ということだけは分かった。しかし金治は俗にいう嫉妬心よりも、真白が他人を頼らざるをえない状況こそを危ぶんだ。その上で、何故自分だけでは駄目なのだとそこに憤りを感じたのである。金治は言葉には出さなかったが、心の内では末三を受け入れてはいなかった。

 後に知れたことだが、そこには真白の愛があった。真白の金治に対する愛情が、第三者を巻き込んででも金治を危険から遠ざけようとしたのである。しかしその決断が思わぬ悲劇を招くこととなる。

 当時も、そして三十年が経過した今でも、真白が予見した恐ろしいものが一体何であったのかを、金治はついぞ理解出来ないままであった。真白が末三を呼び寄せてから一年程が経過した後も、その間これといった大事件が、少なくとも金治の知る限りでは身の回りに起きていなかったのだ。ただし、

「随分と平和やないか」

 と言った金治の言葉には、真白は青い顔で首を横に振った。

「日に日に強く感じるんです。恐ろしい気配が近付いてくるのが分かります」

「ほいで、その正体が何かは分かったんけ」

「分かりません」

「実際それらしいおかしな出来事はまだ起こっとらんのやろ。そしたらオカアハンの思い過ごしいうこともあるやないか」

「しかし……」

「別にそれはそれで悪い話やないやろ。人を巻き込んだ手前何でもありませんでしたとは言いにくかろうが、平和なら平和で、オカアハンかてその方がええやろほんまは」

「それはその通りですけど」

「末三はどこや」

「さあ、何で?」

「あいつに問い質してみる」

「きつう言うたりしたらあきませんよ、オトウハン、怖いから」

「阿保抜かせ」

 だがしかし、金治が末三に事情を聞いても詳しいことは分からなかった。何かが起きているのかいないのか、今後起きるのか起きないのか、真白にせよ末三にせよ、金治の一番知りたい事柄に対する明確な答えを持ち合わせていなかったのだ。

 末三は少し前から、真白が予見した此度の怪異についてを、

「死神のような」

 と呼んでいた。むろん金治には理解出来ない。死神でもなく、のような。何故そう呼ぶのかという説明も受けたが、どうにも釈然としない。いくら怪異に詳しい蒐集家でもあっても、そのものスバリこれだ、と断言できる事象には巡り合っていないというのが末三なりの理由だった。

 だが三十年という時を経て、千尋の口から「死神」という言葉を聞いた時、金治がすぐに末三の事を思い出すことが出来たのも、喉に刺さった魚の小骨の如きこのがあったからなのだ。

「じっとこちらを見ている」

 と、当時から末三は何度もそう口にしていた。何故目に見える形で真白の周辺で怪異が起きないのか、それは分からない。だが確実に人ならざる者の気配がすぐ側まで寄って来ている。にも拘わらず、一定の距離を保ったまま近付いてはこず、危害を加えてくることもない。それがかえって不気味である、とも。

「悪霊とか、そういった類のもんか」

 金治が問うと、末三はうーんと唸って首を傾げた。

「金治さんが言うてはる悪霊て、人に悪さする死者の魂とか、そういうもんでしょ。でも私が知る中で一番これと近い存在は、やっぱり死神なんです」

「真白の命を狙ってるという点では同じとちゃうのか」

「それも、正直、分かりませんね」

「目的は千尋か?」

「ご子息ですか。もし生まれたのがつい最近という話なら可能性はあったかもしれませんね。でもおいくつです?」

「さあ、十歳やそこらやろ」

「そうでしょ、わけもなく今頃というのは……」

「ほな真白が死ぬのを待ってるんか?」

「正直、私は初めそう思ってました。真白さんは自分の死期を予見し、死神の存在に気が付いたんやないか……て」

「今は違うと思うてるんか」

「だから、死神のような、なんです」

「分からん、お前の話は全然分からん!」

「怒らんといてくださいよ、私もこんなん初めてですから」

「……その、死神の姿がお前や真白には見えるんか?」

「いや、目で見える範囲にはおりません。だから恐ろしいんですわ。ただ……」

 末三はこの時のやりとりの中で、もし相手が死神であるなら辻褄のあわない点が一つだけある、と言った。


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