第23話 罠
「鬼伝承にもさまざなタイプがありまして」
と不死彦は、縁側に座ったまま講釈を垂れた。
金治は慣れた手つきで資材をひとまとめにし、手押し車に乗せて家の周囲を巡った。あちこちに狩猟罠を仕掛ける算段だった。可奈は物珍しさからそれらに手を伸ばし、金治に手の甲を引っ叩かれた。可奈は驚いて泣いたが、金治は焦りながらも、これらがどんなに危険なものかを訥々と説いて聞かせた。くくり罠に使う樹脂製の踏み板は一見してただの丸い板だし、獣の足を捕らえるワイヤーなども何となく格好よく見える。それ以外にも手袋やペンチ、針金にロープなど、正体を知らなければ触ってみたくなる代物ばかりだった。可奈の好奇心が旺盛なのは金治も理解していたが、狩猟罠はその名の通り獣を生け捕る罠である。子どもが不用意に近付いて良い物ではないのだ。
「せやけどこんなもんで、お前の言うその鬼が退治でけんのか」
と、金治は不死彦に不満をぶつけた。抗う、といったその手段がいかにも原始的な罠であるなど、金治も想像していなかったのだ。
「実体を持つ鬼なら、一度はきちんとその生態を観察してみんことには対処のしようがないですから」
と不死彦は言うが、
「お前、相手が鬼なら諦めろ言うたやんけ」
と金治は当然のごとくそう返した。
「金治さん、鬼てね、何種類かおるんですわ」
不死彦は言う。「ざっくり言うと目には見えへん神秘を人型に当てはめた、怪異としての鬼。これは正体不明のものに名前をつけただけで、祟りとか災厄とか、そういったものと同列です。あるいはこういった山深い所に生息する精霊や妖怪に近い存在。天狗とか、そういう奴やね。あとはそれこそ、人が何らかの思いを強く抱いて変化した者。私はね、今回の騒動に関してはこの人由来の鬼やないかなあと、そう思ってるわけなんです」
「人……」
「そうでも考えんとやっとれませんわね。マジもんの鬼が相手なら、ほんまにどないもならんのですから」
金治は仕方なく、不死彦の仮説を証明するために罠を仕掛けた。相手がモノノケであるなら人の仕掛けた罠になどかからぬだろう、だがもしかかるなら、何とかなるかもしれない。
「そやけど……」
言いかけて、金治は途中でやめた。何ですか、と不死彦が問うも、頭を振って作業に取り掛かった。金治はこう思ったのだ。あの老婆がもともと人であったなら、一体どのようにして千尋を死に追いやったというのか。到底人間技とは思えぬ赤痣の正体は何か。まるで時限爆弾のように人の命を蝕んでいく呪いを、あの老婆はいかようにして操っているのか。そして、完璧なタイミングで正面から捉えた自分の拳を、見えない空気の膜で弾いて見せたあの力の正体は……?
―――仮にあれがもともと人であったとして、それでもワシらにどないかなるもんなんか。
「猟銃は効きませんよ」
金治が家の中から持ち出してきたそれを見て、至極当然といった口調で不死彦が言い放つ。「銃なんか効きますかいな」
「あのわけのわからん葉っぱは効くのにか?」
金治が睨むように言うと、
「さいです」
と不死彦は頷いた。「あとは先端の尖ったもの。意外と、ナイフなんかは効くんですよ。刺さりませんけど、鬼が怖がってくれます」
「怖がるて何やそれ、ふざけてんのか」
「相手がただの死霊ではなく鬼になったんなら、これは遥に強大なパワーを手に入れたと同時に、ある意味不利なルールを背負いこんだ、ということもであるんですわ」
「不利な、ルール」
「鬼はね……」
古来より死霊として人々に認知されて来た、という。後に金髪碧眼の大柄な白人然として姿形が捉えられるようになる前、もともとは隻眼の死霊として神の眷属であると思われていた。土地神や山の神として神聖視されていた、というのである。鬼の語源はオヌといい、漢字では隠と書く。姿形が見えないものとして伝承されると同時に、一方では「見えぬ者」として一つ目の鬼が神として語り継がれて来たのだそうだ。その名残が、ひとつ目であるが故に、ギザギザの葉で目を突かれることを極端に恐れる鬼の弱点となり、先端がとがったものを忌避する「不利なルール」として定着したのだという。
「鬼である以上それらの規則性が嫌でもついて回る。柊の葉やイワシの煙が効くのもその為ですわ」
「ほならそれで、鬼を倒せるんか」
「いえ、残念ながら」
「一時凌ぎにしかならんのやろ、ほなどないする」
「それをだから、今必死に考えてるんです」
縁側に座って腕組みし、天を仰ぐ不死彦の顔は真剣そのものだった。何じゃいそら、と怒る気力も失われる程、圧倒的にこちらが不利なのは金治にも分かっていた。頼みの綱である不死彦にも絶対的な対抗策はない。老いた自分に何が出来るでもない。可奈はすでに両親を失い、確実に明日を迎えるための方法だってない。
「それでもや」
金治は唸るようにそう答えた。「やれることがあるな何でもやったるわい。何でも言えよ不死彦」
不死彦は視線を下げ、金治をしっかりと見つめて頷いた。
その日の夜、風呂場にて。
一日中野山に罠を仕掛けて回った金治を労わる意味で、可奈が手ぬぐいを持ってシミだらけの背中を必死で擦った。
「それで全力かぁ」
と金治が笑った。
「まだやで、本気出そか?」
言い返す可奈の顔はすでに真っ赤である。先に湯船に浸かる不死彦は、そんな二人の微笑ましい様子を黙って眺めた。その時、はたと気が付いた。不死彦は目を細め、可奈の右の脇腹を見つめる。
―――痣や。
「か、可奈ちゃん?」
「ん?」
「不死彦」
金治が声を張った。「……」
金治が頭を振って、察した不死彦は黙って頷き返した。そして、
「いや、しんどそうやし、おっちゃん変わったげよかー思て?」
と明るい口調で言う。
「ほんま!?」
と喜ぶ可奈。
「嫌じゃ。なんでジジイがジジイに背中洗てもらわないかんねん」
金治が立ち上がって申し出を拒み、湯船に勢いよく足を入れた。
金治はこの時すでに、可奈の脇腹に赤痣が出来ていることに気が付いていた。だが可奈を怖がらせぬよう黙っていたのだ。今度こそ虫刺されなどではなく、千尋の全身を覆い尽くしたあの忌々しい痣で間違いなかった。まだ小さくはあったが、確実に鬼の呪いが幼い可奈の命にも手を伸ばして来ていた。
「手の甲をツツーとな、指先で撫でられた程度でこれや。ワシも婆の吐いた血を浴びた、長くはないやろ」
「成程」
不死彦は濡らした手ぬぐいを両目の上に乗せた。「急いで手を考えますわ」
「ワシのことはええ。可奈を、頼む」
「小さい声で何言うてんのー」
と可奈が怒る。大きい声で喋らんと可奈ちゃん聞こえへんでー!
その時だった。
カラカラーン、と木板同士がぶつかり合う音が聞こえた。音は風呂場の外から聞こえて来た。可奈が泡まみれのまま湯船に飛び込んだ。
「何の音です?」
と不死彦。
「罠の一種や」
金治が答える。「家を一周ぐるりと囲むように木ぎれをぶら下げた。辺り一帯に仕掛けたくくり罠に得物がかかると、それに応じた方角で音が鳴る」
「ほほう」
「ジイジ凄い!」
「ほな、この風呂場の外で音が鳴ったということは……」
不死彦の問い掛けに、金治は頷いて立ち上がった。
「家の裏手やな、箱罠や。見て来る」
「私も行きます」
「可奈ちゃんは行かへん!おっちゃんもここおって!」
可奈が慌てて不死彦に飛びついた。不死彦は迷い、金治を見た。
「可奈、お前も来るんや」
金治が言うと、
「嫌や!」
と可奈は湯の中に逃げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます