第22話 選択肢
「柊?このギザギザのがか」
それは掌に乗せて握り込むには躊躇いを生じさせる程、とにかく輪郭の尖った緑の葉、であった。不死彦は言う。
「金治さんからの手紙ね」
「おう」
「あれを読んだ時にまず思ったのが、まあ、まともな人間が関係してる話やないやろなと、そっちの線の選択肢を捨てたわけです」
「まともやない人間かておるやろ」
「あんさんみたいにでっか?」
「お前が言うな」
「またそういうこと言う」
「そっくりそのまま返す」
「だからそういう話をしてるんやないんです。そもそも、老いた言うても金治さんからは並大抵やない覇気をいまだに感じます。そのあんさんがどないもならんと思い私や末三さんに手紙を寄越すくらいですから、そりゃあこっち側の領分やろうと、それくらいは察しがつきますよ」
「そいで?」
「金治さんはあんまり考えはったことがないやろけど、一般的に怪異とされるものの原因は三つだけです。ひとつ目は、霊。人の魂ですわ」
「幽霊、な」
「そうです。ただしこのカテゴリーの中には人の生霊や怨念、呪いなんかも含まれますから、単純に白い三角をデコにひっつけた『うらめしや~』だけを言うてるんやないです」
「御託はええ」
「ほな次にふたつ目、妖怪」
「はん!」
金治は腕を組んだ横柄な態度のまま、さらに小馬鹿にするように鼻を鳴らした。「おるけえ!そんなもん!」
「声がでかいわ。可愛い御孫さんを、こないけったいな現実に引き摺り戻してやりなさんな」
声を低く落として言う不死彦の目に、金治は静かに鼻から息を逃がした。
「……お前、妖怪なんぞほんまにおると信じてるんか」
金治が真面目にそう問うと、不死彦は涼しい顔で茶を飲み、
「おるでしょうよ」
と答えた。「そらでもあれでっせ、勝手に人間が妖怪と名付けてるだけで、その正体がナニモンなんかは分かりません。ただ、どないも説明の付けようない連中は、確かにおりまっさかいな。それはもう、末三さんとも付き合いの長い金治さんかて、よう知ってはりますやろ」
「あいつの飯の種、という程度になら知ってるけどな」
ふふ、と不死彦は笑った。
「末三さんもなかなか豪胆やものなあ、ようあないな生き方出来るわ、真似でけんよ、私には」
すると金治は苦笑し、
「話先進めえ」
と促した。
「じゃあ、あの老婆は何者か」
不死彦は湯呑を置き、両手をテーブルについて、金治を真っすぐに見据えた。
「何や」
「それが三つ目の可能性ですわ」
「あの婆は幽霊でも妖怪でもない。お前はそう言いたいわけか」
「私がこの柊の葉を手紙に同封した理由は、先にあげた二つの可能性についてを秤にかける為でした」
「……」
「柊の葉は、とある状況においてこう呼ばれます。鬼の眼突き、と」
「お……鬼?」
何の話しとるんや、と金治は額に手を当てた。一瞬は、不死彦が自分を担いでいると思った。馬鹿にされ、適当に誤魔化しを言われている、とも。だが目の前に座る男の真剣な目に見つめられるうち、次第に、まるで予想だにしていなかった部分からじわじわと恐怖が漏れ出して来た。その部分とは、心のずっと奥に仕舞い続けて来た、敗北への不安である。絶望を味わうことへの不安だった。不死彦の口から話を聞くまで、金治はそれでも、
「絶対に何とかなる」
と信じていた。いや、何とかすると信じて自分を疑わなかったのだ。相手が……あの老婆が鬼であると、自分よりも三十も年若い男に聞かされるまでは。
「私も信じてはいませんでしたよ。いの一番に捨て去りたい選択肢でした。せやからこの柊を入れたんです。それがまさか、効果を発揮するやなんて。先程この家の玄関扉に投げた匂い玉もそうですよ。奴らはイワシを焼いて出る煙の臭気を嫌いますから」
「ちょ、ちょっと待て」
金治は声を上擦らせ、可奈と和水の眠っている部屋の方へと視線を移した。「ほな何か。ワシの息子やあの可奈は、ほんまもんの鬼に狙われてるて言いたいんか」
「おそらく」
「実在するんか」
金治の見開いた目が不死彦を見た。
その目を不死彦は見つめ返した。
「何故、実在しないと思い込んでいたんですか?」
「お、鬼てあの、桃太郎とかに出て来るあの鬼やろ?」
「いや、鬼にも色々おりまっさかい、そこまでは」
「せやかてお前……あの婆が、お前」
「とにかく今は、対策を練りましょう。何をやっても徒労に終わるかもしれませんけど、やらないよりはましってもんです。その為に私は来たわけですから」
「対策?」
諦めろ、と宣った男の口から対策という言葉が出た。金治は逸る気持ちを抑えながら、可奈が起き出して来ぬよう声を潜め、自分の知っている情報を事細かに不死彦に話して聞かせた。途中、
「ミツケタ?喋るんですか、あいつ」
と不死彦の顔が一気に青ざめた。金治が口を噤んで頷くと、
「怖いなぁ」
と不死彦はイヤイヤをするように頭を振った。
別にワテはかましまへんけどな、と和水は言った。
金治と可奈が山の上に帰ると知って、寂しがっているのだ。和水は夫に先立たれてこの家でひとり暮らしをしている。季節ごとに息子夫婦が顔を見せに来るが、それ意外は基本一人きりだ。むろん田畑での農作業はあるし、離れているとは言っても、軽トラで数分走れば会える場所に同じ村の住人だっている。気楽ではあるものの、孤独を感じる時間がないわけではない。
「可奈ちゃん山登って帰るのしんどいやろ、トラック出そか」
だが、その和水の申し出を、不死彦が断った。
「いえいえ、それには及びませんよ」
物腰と口調は柔らかだったが、普段から付き合いがあるわけでもない男の返答に和水は機嫌を損ねた。
「あんたに言うてへんねんけど」
不死彦は金治に耳打ちする。
「この辺り全体の環境を見たいんです、あえて歩いて帰りたい」
すると金治は頷いて咳払いし、和水の肩を抱いて家の中へと連れ戻した。あいつも悪い意味で言うてるのと違う。迷惑かけた分、埋め合わせは必ずする。お前もゆっくり休んでくれ。この家にはもう危険はないから……。
金治に肩を抱かれて和水もそれ以上突っ撥ねることは出来なかった。出会ったばかりの可奈を可愛いと思い始めていた所であったが、面倒に巻き込まれたくないという本音もあった。和水は最後に可奈の手にチョコレートの箱を持たせた。
「これ食べ、全部あげるわ」
「ええの?これ可奈ちゃん嵌ったわー!」
「はは、そうか、ほなまた取りにおいで、まだあるねん実は」
「ええー!ジイジ、可奈ちゃん明日もまた来るわ!ちろぴのも和水婆ちゃんと一緒に見る約束してん!」
「そうけ、ほなそうしよか」
金治は苦笑して和水に頷きかけ、不死彦と可奈を率いて山道に入った。
「麓に下りる山道はこの道一本ですか?」
歩き始めて数分、周囲に視線を巡らせながら不死彦が問うた。
「ああ、ここしかない」
すると可奈が金治のズボンを手で引っ張った。
「可奈ちゃん歩いて登るのしんどいねんけど」
お前なぁ、と眉根を寄せる金治に先んじ、
「ほな、おっちゃんが肩車しよか」
と不死彦が可奈の前で膝を折った。可奈は一瞬喜んだが、金治を見上げて、
「……いい」
と断った。金治は可奈に睨みを効かせたわけではなかった、しかし、可奈は遠慮したのだ。自分の庇護者は金治で、それ以外の人間には甘えてはいけないのだと、子共心に言葉ではない意識が働いたものと見えた。金治は鼻で溜息をつき、
「不死彦」
と言った。
「ほいさ」
不死彦は可奈の後ろに回って可奈の足の間に首を突っ込み、有無を言わさず小さな体を持ち上げた。可奈は歓声を上げて喜んだ。
「おっちゃん誰なん?どっから来たん?」
忌憚のない可奈の問いに、不死彦は一瞬金治を見やり、
「おっちゃんはぁ……」
言い淀んだ後、「金治さんのお友達や」と答えた。お友達のピンチにはどこからともなく駆け付けるもんやろ、と。
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