第21話 忠告
きゃはははは……!
あまりにも明るく、そして屈託のない無邪気な笑い声に、それが可奈のものであるとは金治にもすぐには分からなかった。何せそれよりも、襖一枚隔てた向こうの部屋から感じられる幾人にも人の気配の方がはるかに恐ろしかったのだ。
「何が起きてる」
思い切って勢い良く襖を開けた。「う……ッ!」
可奈が振り返って金治を見た。
「ジイジ遅いわ」
「お……すまん」
声をかけられ目が合った時には、既に部屋の中からは可奈以外の気配が消え去っていた。しかし金治はその一瞬を見逃さなかった。部屋の中にはテレビの前に座る可奈を取り囲むようにして、合計三体の人間が立っていた。三人中二人は金治に背を向けていた為顔は分からない。そして可奈の向こう側でこちらを向いて立っていた女の顔には、見覚えがなかった。いや、実際には女は俯いていた為はっきりと人相を見れたわけではない。それでも髪形や背格好から思い起こされる人物は、金治の記憶からは出てこなかった。
「どないしたんな」
背に立つ和水に問われ、
「いや」
としか言えず、金治はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。
飯嶋家のインターホンが鳴ったのは、明くる日の朝未明頃になってからだった。金治は老婆かと身構えたが、考えてみればこの世の者とは思えぬあのようなものが、律義に呼び鈴など押すわけがない。玄関に立って外の気配を呼んだ金治は、はっとする。
「……不」
宣言通り、松林不死彦が現れたのだ。だが次の瞬間には首を捻った。金治は携帯電話を持っていない。山の上の自宅で不死彦と話をしたまではいいが、本人の到着を知る術を金治は持っていなかった。ただ、飯嶋家は村の最奥にあって、金治の住む山へと登っていく山道の入り口に立っている。不死彦が近くを通ればその気配を感じ取ることくらいは出来るだろう、と金治は踏んでいたのだ。だが予想に反し、不死彦の方から飯嶋家に現れた。金治と可奈がこの家にいることを伝えていなかったというのにだ。
「ほんまに不死彦か?」
金治が問うと、
「早よ入れて下さいよ、遠いとこ急いでやって来たんです。寒うてかないませんわ」
と懐かしい声が返って来た。金治の背後では和水と可奈が心配そうな顔で二人のやりとりを見守っていた。金治は振り返って彼女らに微笑みかけ、
「大丈夫や」
と言って土間に下りた。だが、金治が扉の鍵に手をかけたその時、
「ジイジあかん」
と可奈が呟くように言った。
「え?」
金治が再び振り返った瞬間、ドーン、と玄関扉に何か大きな物体がぶつかって来た。
「なんじゃ!?」
金治は慌てて飛び退り、上り框に立って扉を睨んだ。木製の頑丈な扉が僅かにたわむ程の衝撃だった。可奈と和水は悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。
ドーン
ドーン
ドドーン!
二度三度と衝撃が続いた。可奈が和水の腰に縋り付き、和水はやめてと言って泣き叫んだ。「金さんなんとかして!」
「なんとか言うても……は」
金治は自分の体を両手でまさぐり、しまった、と独り言ちた。不死彦が寄越した謎の葉っぱがない。どこかに落としたらしい。
ドドーン!
ドーン!
扉がぶち破られる、そう思った次の瞬間、
「下がって!」
という人の声と共に、カツン、と何かが玄関扉に当たる音がした。金治らがもう二歩程下がった所へ、扉下の僅かな隙間から白い煙のようなものが室内に侵入してくるのが見えた。
「火事や!」
と和水が叫んだ。
「いや、違う……なんじゃこの匂いは」
金治が眉を顰めると、
「ジイジ臭い」
可奈が泣きながら金治の背中に鼻を押し付けた。
扉にぶつかる衝撃音がやみ、しばらくは皆そのまま息を殺して黙りこくった。やがてそのまま一分が経過しようとした頃、
「おはようございますー」
扉が開いて、優し気な微笑みを浮かべた男が顔を覗かせた。
「不死……!」
繰り返された衝撃によって玄関扉の鍵が壊れたらしい。不死彦は金治を見止めるなり片眉を下げ、
「金治さん、これ、外に落ちてました」
と言って掌に乗せた緑の葉っぱを見せた。
日が昇り、ようやく可奈が疲れ果てて眠りに落ちた。同じ布団で和水も休ませた後、金治と不死彦はダイニングテーブルに向かい合って座った。
「何や変な感じしますね、末三さん家以外の場所で金治さんと顔を合わせるやなんて」
「ほんまよな、遠い所、すまんかった、苦労したやろ」
「いやいやぁ」
不死彦は、五十過ぎの年齢に似合わず髪色が淡い金色をしていた。染めているのでも色を抜いているのでもなく生まれつきなのだが、緩やかなパーマが当たったように見える癖毛のヘアスタイルといい、小さな丸いレンズの眼鏡といい、真冬を先取りしたようなウールのコートにマフラーといった出で立ちを見るに、かつて残虐非道な殺し屋であった金治と相対するには対照的すぎる男であった。
「この度は、ご子息のことは、本当に残念でしたね」
金治が淹れた熱い茶の入った湯呑を握り、不死彦が言う。「何十年振りですか、再会なさったのは」
「ええんやそんな話は」
「そんな話て」
「今までさんざん人殺しを重ねて来た男の息子が死んだだけや。そんなもん、お前にとってはなんぼ程も思うことなんかあるわけないやろ」
金治の言いように不死彦はぽかんと口を開け、
「……きっついなー」
と嘆いた。昨晩電話で話をした時は、おや、と思う程金治の印象が変わったように思えた。だが実際こうして対面して見ると、まるで変ってなどいない。不死彦は己の考えを改めざるを得なかった。
「ところで不死彦」
「何です?」
やや不機嫌さを滲ませる顔と声で茶を飲み、不死彦は聞いた。
「お前、あの婆が何者なんかとっくに分かってたな?」
「は」
不死彦は息を吐き出し、「知るわけないですやん」と答えた。
「ほな何であの葉っぱを手紙に入れてきた。推測、と書いてた。諦めろ、ともう言うたな」
「その事ですけどね、金治さん」
不死彦が前のめりになって、言う。「私は偶然、この見知らぬ他人様の家の前を通りかかったわけですよ」
「おお」
「本来なら金治さんがいてはるあの山の上の家目指して山道を登らないかん。所が、運よく山道の手前に家があった、まだ暗い時分やさかいもちろん声をかけたりなんだりは出来んと思うたけども、とりあえずは何や安心しますやんか、民家を見ると」
「……何の話や」
「休憩しよう思いましてん、ほんま言うと」
「他人の家でか」
「声でかいわ金治さん、そない物騒な話違う。軒先にしゃがんで息を整えるとかそんなレベルでっせ、別に勝手に侵入してなんぞ食わしてもらおうと思たわけやない」
「お前もなかなかえぐいのう」
「違うて。ほいだらあんさん、びっくりしまっせ。なんとこの家の前にこれ」
不死彦はいつの間に持っていたのか、掌を開いて緑の葉っぱを金治に見せた。「これが落ちてますやんか」
「……一体何なんや、この葉っぱ」
金治が睨み付けて言うと、不死彦はテーブルに葉っぱを置いて、指先で金治の方へ滑らせた。
「柊の葉、です」
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