第20話 忠告


 金治が口にした不死彦の名に、和水はふと我に返った。

「ふじひこさんて、あの松林さんか?」

 問われ、

「あ?ああ」

 と金治は少しだけ冷静さを取り戻した。和水にはこれまで何度も手紙のやりとりの中継地点になってもらっていた。その為面識はないが、封筒に書かれた相手の名前くらいは憶えてしまったのだろう。本当は不死彦とかいて「ふしひこ」と読むが、一般的な響きとしては「ふじひこ」の方が馴染み深い。金治が出す手紙には常に名前が二人分書かれており、そのひとつが松林不死彦、そしてもうひとつは沢瀉末三おもだがすえみつといった。

「どういうことなん」

 夜中の急な来訪を盾に、普段は決して金治の私生活を詮索しない和水もこの時ばかりは経緯を問うた。

「千尋が死んだ」

 金治は観念して答えた。

「そ、こ……こないだここで飯食わせたばっかりやないか!」

 最後の方は悲鳴に近い声だった。むろん出会って間もない両者の関係は決して親しいわけではなかったが、和水の記憶にも千尋の顔はいまだ鮮明に残っていた。その千尋が今はもう、この世にいないと金治は言ったのだ。

「息子がこの可奈を連れて山を登って来て以降、どうにもわけの分からんことばかり起きよった」

「おかしなことて?」

「説明しようがない。そやし、おかしなことなんや」

「……ほいで?」

「学のないワシには何ともやりようがなくてな。で、伝手を頼りに手紙を書いた。そやけど」

「どないしたん、助けになってくれそうにないん?」

 和水の問い掛けを受けて金治は可奈の顔を一瞥し、

「諦めろ、と書いてあった」

 そう正直に打ち明けた。

 可奈の丸い目に怯えが浮かんだ。諦めるということは、それすなわち父と母と同じ運命を受け入れるということだ。死ぬ、ということなのだ。

「とりあえず不死彦がこの村へ向かってくれとる。あいつが到着するまでここにおらせてくれ」

 金治が言うと、

「さっきの白い手、誰やったん」

 と和水は玄関の方へ視線を向けながら聞いた。

「知らん方がええ」

 金治の返事に、

「警察は?」

 と更に和水が問う。

「無駄や」

「……」

 和水は両肘を抱いてブルルと身体を震わせた。「煙草吸わせてもらうで」

「好きにせえ、お前の家や。あと悪いが和水、何ぞ甘いもんくれんか」

 金治はわざと、場の空気を変える為に適当なことを言った。和水は金治を見る事なく、

「ええけど」

 と答えたが、思い出したように顔を上げてこう続けた。「とりあえず金さんシャワー浴びといでや、なんや顔やら首やら、真っ赤っ赤やで」

 金治は和水に頼んで可奈をテレビのある部屋に連れて行かせた。運よくインターネットにつながったテレビがあり、可奈はそこで念願のユーチューブ動画を見れる環境にありつけた。しかし、可奈は決して喜んだりはしなかった。それどころか風呂場を借りると言って退室しかけた金治の側に駆け寄り、

「可奈ちゃんも行く」

 と足に縋り付いた。金治が返答に困っていると、気配を察して和水が明るい声で言った。

「お爺やんが風呂入ってる間おばちゃんとテレビ見てよ、めちゃめちゃおいしいお菓子あんで。夜中やけど今日くらいええわ、付き合ってーな」

「何のお菓子?」

 可奈は聞き返すも、その口調は明らかに乗り気ではない。

「チョコレートやで、こないだ息子夫婦が持ってきてん、リンツ、知ってる?」

「……知らん」

「ほな食べよ!金さんええやんね?」

「お、おう」

 と金治は頷いた。「ちゃちゃっとシャワーだけ浴びて来る。すぐ戻るさかい、ワシの分も置いとけよ」

「ほらいこ!」

 和水の持ち前の強引さも良かった。それでも可奈は金治と離れることを嫌がったが、行動には移さず、不安げな面持ちのまま和水に誘われて別の部屋へ移った。

 金治にも不安はあった。不死彦が同封していた謎の葉っぱによって老婆は一時去った。だが相手は神出鬼没である。どこからどのようにして再度現れるか全く読めない。金治は自分が襲われることよりも、目を離した隙に可奈が襲われることを恐れた。だが、老婆の吐いた血飛沫を浴びてそのままにしておくのも居心地が悪かった。

 実際、金治はほんの一、二分で風呂場から出た。服を脱いで汚れを落とす作業などそれくらいで十分だった。再び血の付いたものに袖を通すのは気が滅入ったが、和水にこれ以上の贅沢は要求出来ない。可奈のいる部屋の前に立つと、テレビから聞こえてくる声と大袈裟な和水の笑い声に、ひとまず胸を撫で下ろした。

 金治はダイニングテーブルに置きっ放しにしてあった不死彦からの手紙を手に取り、再度読み込んだ。


『前略

 不在の沢瀉末三氏に代わり、私松林不死彦がお手紙を拝見いたしました。まさかこの時期にあなた様からお便りが来るとは思わず、内心搔き乱されるような思いに慌てて封を切った次第であります。なるほど、確かに由々しき事態に見舞われているご様子ですね。

 ひとまずこの私めがあなた様のもとへ馳せ参じたいと思いますが、その前に今できる対処法についていくつかご忠告差し上げたいと存じます。

 まずは今起きている事象についての誤認を避ける為、過去の出来事は一旦捨て置き、あなた様とご子息、そして御孫様、この三人の置かれた状況についてのみ整理いたします。

 

 ・現在あなた方は金治様がお暮らしになられている山に揃って滞在中

 ・突如現れた謎の顔、老婆、気配などは全て同一の事象であり、ご子息が町から連れて来た、という認識

 ・御孫様には現段階で異変はない

 ・赤い痣

 ・高熱はなし

 ・金治様にも異変はない


 老婆、という点に関してはこれだと特定できる情報がまだない為、この時点で言えることはございません。ただし相手が何者であっても、同封する緑の葉を持って怪異に立ち向かい、もしも一定量の効果が認められた場合、基本的にはその怪異から逃れる術はないと諦めるがよろしいかと存じます。

 この場合相手は人でなし、また、いくら三界貫く矛と称された金治様であっても、人の子の武力が通用する事象ではございません。正直、私の推測が間違いでなければ、この地上に太刀打ちできる存在自体、おりません。


 追伸

 御孫様から目を離さないで下さい。そして可能であれば、全力で抗ってみてください。光明を見出すには、もはや人の力の持つ限界を超えた足掻きにしかない、と思われます。心を強くお持ち下さい。まあ、金治さん以上に心の強い人間なんていやしませんけどね』


 グシャ、と金治は手紙を握りつぶした。

 ここまで読んで、はたと気付いたのだ。

「不死彦め、何ぞ勘付いとるやないか」

 対処、と言いつつ具体的にこうせよとの指示はなかった。何故なら不死彦は間違いなく、此度の怪異を引き起こす相手の正体に気が付いている、もしくは当たりをつけているのだ。だがその上で不死彦が「諦めろ」と言うからには、本当に何ともならない事象である可能性が高かった。

「足掻け、か。よう言うわ」

 金治は手紙をゴミ箱に捨て、可奈と和水のいる部屋の前に立った。

「あら、遅かったやんかいさ」

 背後から和水に声をかけられ、金治は腰を抜かす程驚いた。

「お、和水お前いつからそこにおった」

「いつて、今さっきやけど。可奈ちゃんがお茶欲しい言うから」

 和水の言葉を受け、金治は可奈のいる部屋に目を向けた。

「何でや」

 その部屋からは、可奈以外にも複数体の、人の気配が感じられた。

 


 


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