第13話 切っ掛け
背中を押すようにして、急いで千尋を和水のもとへやらせた。金治はすぐ様可奈を呼び寄せ、手を引いて縁側に座らせた。
「可奈」
「ジイジ、竹馬ないのん」
「え?何やいきなり……」
「可奈ちゃん竹馬したいねん。最近やっと何もなしで乗れるようになったから、一杯やりたいねんなあ」
「お、おお。でも竹馬はない」
「作って。家の裏に竹と木ィあったやん」
「あ、あれは焼いて炭にするんや、竹馬用やない」
「ええやんか!」
「それより聞きたいことあんねん」
「竹馬作ってー!」
「わ、分かった。あとで作ったるから教えてくれ」
「何を?」
「お前こないだ、お母ちゃんの話してたな。好きに生きなさいって、お母ちゃんがいつもそばで見守ってるからって、そう言われたって」
金治の真剣な目と声色に何かを感じ取ったのか、可奈は眉間に皺を寄せて頷いた。
「ということはお前、お母ちゃんが死んでまう直前に話をしてるんやな。可奈、お母ちゃんの背中に、お父ちゃんと同じ赤い痣があったのも見てるか?」
可奈の目に一瞬で大粒の涙が浮かんだ。
「見た」
大きく頷いた弾みで、涙が下瞼から跳んだ。
「そん時お母ちゃんなんか言うてなかったか。何でこうなったのかとか、どんな病気にかかかってる、とか」
金治はすでに、千尋の首に痣を作り、茜の命を奪ったものが病であるとは考えていなかった。だが可奈にはひょっとしたら、原因不明の病気であると伝わっているやもしれないのだ。金治自身、初めて千尋の口から茜の症状を聞いた時、不穏な気配を感じ取りはしたものの、あくまでも未知の病であろうかという推測の域を出なかった。だが昨日の千尋の様子を見て以降、赤痣と謎の老婆には確かな因果関係があるとの思いが実感へと変わりつつあった。
もしも茜が死の直前、千尋同様老婆に憑りつかれていたのだとしても、可奈に直接遺言を残している以上、最後まで自分というものを失わずに済んだのは間違いない。ならば、一連の怪異について答えのようなものを掴んでいた可能性だってある。
だが、
「……ううん」
可奈は首を横に振った。
「な、何でもええねん」
金治は言う。「何でもええから、何か思い出せ。何か切っ掛けがある筈や。普通にしとったらそないけったいな病気になんぞならん。可奈も、今みたいに寒うなってきたら保育園で風邪ひいとる奴とかようけ見かけるやろ」
「タマちゃんとかな」
「せや、そのタマちゃんみたいに、お母ちゃんにも思いつく異変がなかったか。例えば、仕事で何日も家空けたとか。そいで帰って来た途端しんどい言い出したとか。近所の人間でめちゃめちゃ咳してる奴おったとか、見たことない奴が家の周りウロウロしてたとか」
可奈は視線を下げて思い出そうとした。
勢い余って大暴れしている時などは本当に無邪気な六歳だが、こうして黙って考え事をしている時など、見せる横顔はまるで大人と変わりない。丸いほっぺいに赤みが差し、鼻息が段々と荒くなる。
「……分からへん」
と可奈は怒ったように言った。
「ほな、お母ちゃんの仕事がなんやったか分かるか?」
可奈の目がス、と右に流れた。
「……図書館、司書」
「図書館か。ほなお父ちゃんは」
「本屋さん」
「そうか、そしたら二人とも、出張に行ったり長い事家空けたりはせんな」
「お父ちゃんは可奈ちゃんが夜寝てから帰って来ること多いで」
「ああ、店番か」
「お母ちゃんは……可奈ちゃん、お母ちゃんが帰って来るまではお婆ちゃんの家にいたで」
「夕方か?」
「うん。晩御飯の時まで」
「お婆ちゃんいうのは、お母ちゃんのお母ちゃんやな」
千尋の母である真白は十年前も前に死んだ。
「そう。和美ばあちゃ……」
「……可奈?」
可奈が途中で話すをやめ、先程と同じように視線を右へ移動させ、ゆっくりと身体を回転させた。何かに導かれるようにして背後を振り返ろうとするも、当然、可奈と金治の背後は家の中である。むろん、中には誰もいない。
「どないした」
「何て?」
と、可奈が聞いた。だが可奈の顔は金治を見ていなかった。金治は反射的に飛び上がって縁側に靴のまま着地した。老婆が現れたと思ったのだ。だが可奈は怖がる素振りを見せず、家の中を見つめたまま、
「……どういう意味?」
と言ったのである。
「可奈、誰と喋ってるんや。やめとけ」
もし相手が老婆なら意志の疎通など図らぬ方が身のためだ。しかし、
「何で謝るん?」
可奈は陽の届かない、家の奥の暗がりに向かってそう尋ねた。
―――謝る?
金治も目を細めて可奈の視線を追った。何も見えないが、薄っすらと気配のようなものは感じる。だが相手は可奈に向かって謝っているという。直感で、老婆ではないと思った。
「可奈。誰がおるんや。どんな格好や」
「……カンニンエ、オトウハン」
「ま……ッ」
真白か!
金治は部屋の中へと駆けた。
再び真白が帰ってきている。オカアハンがここにいる。
金治は匂いを嗅ぐように鼻を鳴らして周囲の空気を吸い込んだ。死者が戻ってくると線香の匂いが漂うと聞いたことがある。何か、何か真白だと分かるものが感じ取れないか……。
「オカアハン」
真白は本当に病気で死んだのか。
そう尋ねた時、千尋は困惑した顔で頭を振った。どういう意味や、と金治の質問を理解出来ない様子だった。だが金治は現れた真白の顔に例の赤痣を見た。ということはつまり、真白は自分の身に起きたことを息子に黙ったまま死んで行ったのでないだろうか?
千尋の戻りを待つ間、金治は座敷の真ん中に正座して、隣に同じくちょこんと可奈を正座させ、緊張しながら可奈の祖母に電話をかけた。遥か昔に妻と息子を捨てた身である。金治の中では簡単な決断ではなかった。だが、やれることは全部やると千尋に格好つけた手前、やらぬわけにはいかなかった。
「急な電話で申し訳ありません。私、山形金治と申します」
電話に出た穏やかな声の淑女は、金治が名乗った瞬間絶句したように息を呑んだ。その名が何者であるかは、既に知っている様子だった。話が早い、と金治は俯かせた顔をやや持ち上げた。
「今更私のような者が出しゃばって電話をするべきではないと知りながら、どうしてもあなた様にお尋ねしたいことことがございまして、失礼つかまつった次第でございます」
隣では可奈が口を押えて笑いを越えらている。普段ぶっきらぼうな言葉遣いの金治が畏まっている様子が、子ども心におかしくて仕方がないのだ。
「……何ですか?」
不安を滲ませた声で、可奈の祖母が問うた。
「実は……」
だがしかし、この祖母も可奈同様、死ぬ前の茜に異変はなかった、と答えた。何もそれらしき兆候はなく、突然原因不明の高熱を出し、一度は回復したものの、やがて唐突に大量の血を吐いてこの世を去った、という。千尋の語った話と同じである。切っ掛けなどは何も心当たりがないそうだ。
娘の死に様を改めて説明する間、可奈の祖母はずっと泣き暮れていた。金治は最初の時よりも深く俯きながら、「はあ」「さようで」と無意味な相槌を打ち続けた。やがてじっと座っていることに可奈が飽き、限界を迎えたころ、
「ただ」
最後にぽろっとこんな話が聞けた。「あの子、茜がいつやったか、私に言うたんです。大丈夫や思たんやけど……て」
「はあ、それはどういった?」
「私もそれ聞いた時、熱が下がって一瞬回復したことを言うてると思うたんです」
「ええ」
「けど、考えてみたらおかしな話やと思いませんか。一瞬回復したいうても、それが一瞬やったかどうかは後になって分かることで、その時はもう大丈夫やって、ホンマならそう言う筈やないですか」
「……確かに」
―――― 大丈夫や思たんやけど。
「まるであの子、もうすぐ自分が死ぬって分かってたんちゃうやろかて、そんなふうに思えて……」
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