第8話 行動


「可……あのガキは何ともないんか」

 金治が問うと、千尋はうんうんと頷いて両目を手の甲でぐいと拭いた。

「それだけが救いやわ」

「そうか」

「可奈はカミさんが死んだ後も、俺より早いこと立ち直ったんや。強い子やけど、でもほんまは寂がりやから。俺が側で見ててやらんと」

「ふん」

 と金治は鼻でわらった。……六歳の子が母を亡くして元気にふるまう姿をと言うのだから、このワシをしてこの息子よな。「見ててもろとんのはどっちかのぉ」

「え?」

「何でもない。ほいで、あの婆が現れるようになってから、お前のカミさんが死ぬまでの期間はどんくらいや」

「え?」

「えてなんじゃ」

「……分からん、どういう意味」

「分からんて何やねん思い出せ、重要なことやろ。まずは高熱が出た。ほいで十日程して引いた。体の節々が痛うなって、髪の毛混じりの血を吐いた。ほいでから最後に死んでまうのやろ。そこに至るまでの日数はどのくらいなんや」

「……」

「お前に残された猶予はあとどのくらいある」

 最後の言葉に、千尋の目が再び揺らめいた。拭っても拭っても、涙はいくらでも湧き上がって来た。

「茜が死んだのは、五月の下旬頃やった」

「ほなひと月くらいか。お前はまだ何の症状も出てないんか」

「まだ、ない。けど痣の大きさからしてヤバイと思う。茜が熱出始めた時にはまだ痣も小さかったんや。俺は単に熱とか血吐くとかしてないだけで、ほんまはもう」

 金治が三度、千尋の頭を引っ叩いた。

「泣くなええ年したオッサンが!」

「俺かて泣きたぁないよ。でも、もうどうしてええのか……」

「顔あげえ千尋」

「オトン」

「顔あげえ。お前、軽トラ運転できるか」

 金治の質問の意味が分からず、千尋は反射的に顔を上げた。

「軽トラ?……ああ、多分出来るけど、なんで今」

「明日の朝一で山降下りて村で軽トラ貸してもらえ。ほいで今からメモするもんを外の町まで行って買うて来い」

「え、え、何て、何で」

「お前らが登ってきた山道の麓まで下りて近くの家の側でデカい声出したら誰ぞ出て来よる。ほいでこう言え。『山形の家から来ました。軽トラを一台貸して貰えないでしょうか』。ほしたらそこへ七十代くらいのオバハンが出て来てくれる筈や。事情は説明せんでええからワシの名前だけ出せばそれで事足りる」

「ま、待ってくれやオトン!買出し!?何でや、可奈はどないするんや!」

「明日朝一番全速力で山下りろ。お前が戻って来るまで、あのガキはワシが見といたる」

「何するつもりやオトン」

「抗うんや」

「あ、あら……?」

「思いつくこと全部で対応する。やれることやらんままただただ死んで行くよりええやろ。上手いことしたら助かるかもわらかんしな」

「ほんまか!?助かるんか!?」

「知らんがな」

 実際、言葉の通りだった。

 金治には千尋を救う手立てがあったわけではない。話を聞いた上で、それでも理解出来ないことの方が多いのだ。神仏の力でも持ち出さぬ限り、得体の知れないもの相手に確実な対抗手段など思いつかない。そしてむろんのこと、かつて人殺しとして生きた金治に信仰心などあるわけもない。だが、だからと言ってただ座って息子の死を待つつもりもなかった。これはもはや性格的な話でしかなく、助かるのかと詰め寄られた所で、「知らん」というのが金治の偽らざる本音であった。


 翌日。

「何やこれ」

 ・大量の氷(できるだけ多い方がいい)

 ・縄

 ・糸

 ・油

 ・半紙

 ・朱墨

 ・切手

 ・ちょこれーと(できるだけあまいほうがいいらしい)

「半紙……?」

 まだ日の登りきらぬ早朝、金治からメモを受け取った千尋は内容に目を通して首を傾げた。

「半紙とか朱墨とかなんや。お習字でも始める気か」

「切手の字が見えんか。手紙を書くんじゃ」

 と金治は答えた。

「手紙?こんな時に何を悠長な。誰にや」

「誰とは言えんが……」

 金治は口ごもり、こめかみを指で掻いた。

 山形金治が冬の到来を前に山を下り、そこから春まで戻って来ぬ間にどこで何をしているのか。それを知っている人間はどこにもいない。いや、正確に言えばこの地球上に存在はするが、長い付き合いである村の住人の中にはいないのだ。中には感の働く人間もいる。薄々は事情を察していながら詮索せずにいてくれる心根の優しい友人であっても、金治が何をしているかという詳細までは知りようがない。

「昔の縁故で人を紹介、て、千尋お前ワシにそう言うたな」

「ああ」

 と千尋は頷く。「言いたぁないが、こういうわけの分からん事態に巻き込まれた時程、なんやオトンが頼りになりそな気がしてな」

「紹介はできんな。ワシはとうの昔に足を洗うた人間や」

「やっぱりそうか」

「ただ、ワシのそういった筋とは別に、おもろい人間を知ってる」

「おもろい?どういう意味や」

「いわば狂人の類に入る男で、年は、そうやな、千尋よりも十くらいは上やろな」

「誰や」

「本名は明かせんが、そいつならこういったおかしな状況に詳しい筈や」

「霊媒師か何かか?助けてくれるんか?」

「いや、ただの放浪者や。古今東西の怪異譚とやらを集めて日本中を移動しとる」

「な、何やそいつ」

「あだ名を毒三郎言うてな。わけあってワシは、長い間そいつの知り合いの面倒を見とるんや。丁度今時分から山下りて、春が来るまでな」

「オトンが、面倒を?」

「ああ、実を言えばお前らを捨てて家出たんもその為や。今初めて言うけど」

「な、何でそない大事なことを今さら!」

「別に言わいでもよかったけどな。お前が死ぬ前に教えといたった方がええ思て」

「誰なんや、そいつ」

「今はええ。とりあえずワシがその毒三郎に手紙を書く。奴自身はこの時期、もう家にはおらんかもしれんけど、冬から春にかけては奴の代わりに、ワシが面倒見て来た男が家の管理をしてるはずや。そいつの目に留まりさえすれば、あとは上手くやってくれるやろ」

「な、何やねんその話」

 千尋にはとてもじゃないが理解出来る内容ではなかった。自分の命が切羽詰まったこの状況で、金治が家族を捨てた理由や、その背後にいた謎の男たちの存在を打ち明けあけられたのだ。まずどこに視点を定めて良いのか、その時点ですでに答えを見失っていた。

「いずれ話したる。今お前はただただ早いとこ行って買いもんしてくればええんや」

 金治に言われ、千尋は再びメモを確認した。

「……ちょこれーと(できるだけあまいほうがいいらしい)。何やこれは」

「ああ?」

 金治は眉を顰めて覗き込んだ。「ワシ知らんで。こんなこと書いてへん。汚ったない字やな」

「あ」

 二人は顔を見合わせ、隣の部屋で眠っている筈の可奈を、襖越しに見やった。





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