第48話 ~罠~

 むせかえるような獣臭がする。


 共有されるデータからは一切の脅威が検知されなかったはずが、突如目の前に聳え立った異形。 明らかに銃火器を持った兵隊以上に危険な存在であろうそれは、不意打ちを避けられたのを察するとすぐさま追撃を放った。


 ヤツの全身から噴き出した触手のような物体による無数の打撃は、二手に分かれるように床を蹴った俺達を捕らえることも出来ず空を切るも、勢い余って壁や柱にぶつかった触手は難無くそれらの物体を粉砕し、その威力を誇示する。


「どうするの? これを狩っている時間なんて……」

「……ッ」


 皮膚を浸透した超小型通信デバイス越しに、リーリアの思考が俺へダイレクトに伝わってくる。 時間をかけている暇はない。 ここで殺せるかと狩人らしい冷徹な思考が。


 だが、リーリアの考えがまとまるより先に俺は動いた。 敵を仕留めるためではなく、一人でも多くの人を生かす為、化け物の視界を大胆に横切りながら中指を立て、敢えてヘイトを引き受ける。


「え!?」


 誰が見ても無謀としか思えない動きにリーリアは一瞬困惑の表情を浮かべるも、俺の考えを察してくれたのか素早く物陰へ駆け込み、本来のむかうはずだった場所へと消える。


「これでいい、これで俺だけがお前の相手をしてやれる」


 引き付けるなら今しかない。 俺は頭の中に送られた情報を一通り把握すると、確実に化け物を誘導すべく乱雑に物を投げつけながら床を蹴った。


 およその監禁場所として目される場所からずっと遠く、避難経路から大きく離れた倉庫を目指して。


「昔と変わらんのろまが、悔しかったら捕まえてみろカス野郎」


 敵への煽りも忘れず、時折化け物の胴体から飛び出す小さな頭へ、俺は喜んで砂を投げつける。 本心ならもっと酷いことをしてやりたいが、そんな余裕は皆無と言っていい。


 捕まっていた異界人達の解放が始まったと、別働隊から端的なメッセージが届き、今の俺に押し付けられた役割が何なのか理解する。


「時間稼ぎか、無茶ぶりをしやがるなあの王様……」


 権力者として損得を冷徹に判断する必要のあるユリウスだからこその判断だろうが、最悪使い捨てられる立場に立たされた側にとっては不快なことこの上ない。 もっとも、俺だってこんな暗く汚いところで死ぬつもりなどなかった。


「なつかしいだろ? この俺の体捌きと足運び。 忘れてたら自分の脳味噌引っ張り出して直々に聞いてみろ。 俺はテメェのことなんて、さっさと忘れたくてたまらなかったがな」


 心の底からの本音を遠慮無く吐き散らし、手当たり次第に落ちていた重くて固い物を投げまくる。 建材、工具、砕けたコンクリート等、普通の人間がぶつけられたら即死するような物体が、比喩ではなく弾丸より早く飛んでいき、化け物の身体をグチャグチャに引き裂く。


 無論、この程度では目の前で聳える贅肉の化け物は死なない。 引き裂かれた肉が瞬く間に再生を遂げ、お返しとばかりに触手による打撃が四方から飛んでくる。 俺の命を確実に奪うべく頭と胴体を狙って。


「そんなに俺が恋しかったか? 文字通り女子供の血肉を親子共々食い漁ってきたお前が? そりゃ明日大雨ってレベルじゃないな、代わりにガソリンと銃弾の雨が降るような奇跡だ。 お前がクソ親父と一緒に逮捕されたあと、無様に燃やされた大豪邸みたいにな」


 普通の人間の動体視力であれば確実に殺されているだろうが、今の俺はただの人間じゃない。 故にそれらを軽く身じろぎだけで軽くあしらい、本命とばかりに飛んできた丸太のように太い触手による横薙ぎを軽くしゃがんで掻い潜り、煽ってやる。


 するとようやく、今まで黙って攻撃ばかり繰り返していた化け物の動きが止まった。


「あぁまじむかつくわおまえ、にんげんもどきのばけものが。 おまえはおれのたのしみのときにいつもじゃまをする」


 ぐちゃぐちゃと、口の中に投げ込まれた物体を難無く咀嚼しながら、その化け物は崩壊しかけの自我を辛うじて維持しながら一方的な恨み言をぶつけてくる。


 当然、見た目だけでは既にそれが誰であったのかは 全く分からない。 だが、決して変わることのない汚らしい声色は、俺に忌まわしい名を想起させるに十分だった。


 ずっと昔、街を丸ごと抱き込んで、俺と家族を滅茶苦茶にしたクズの名を。


「……鳩野幸太郎。 テメェの小汚いツラは二度と見たくなかった」

「ひどいこというなよぉ、おれはあいたかったんだ! おれからすべてをうばったおまえを、このてでぐしゃぐしゃにひきさいてころしてやりたかったからな!」

「そんなクズ肉の塊になってでもか? 昨日おとといまでのみすぼらしい格好だった時がまだハンサムだったぞ」

「やはりかとうしみんはせんすがないな! いだいなるものはなによりおおきくふくよかなのだ! おまえみたいなもやしはいますぐしね!しね!しねぇええええ!」


 クズの逆恨みの絶叫が木魂すると共に、贅肉の奔流がコンクリで固められた床を抉りながら飛んでくる。 人間どころか重機の類いですらぶつかったらひとたまりもないような暴力の塊。 それを俺は望まずして超人化した肉体を目一杯に使い、敢えて真正面から受け止めてやった。


 名前すら呼びたくないクズ野郎が、人の姿を投げ捨ててまで得た力が大した物じゃないこと証明するために、肉と臓物の奔流を素手で掻き分けながら本体へ突き進む。


「な……なんだよそのちからは! またまえみたいにいんちきしてんのかおまえ!」

「知るか、俺だって今は望んでこんな身体になった訳じゃない。 自ら望んで贅肉の塊に成り果てた、テメェみたいなブタ野郎と一緒にするな」


 今も悪党の走狗として生きるクズへの嫌悪を思わず吐き捨て、俺は膨れ上がった贅肉の塊を引き裂くと、今の鳩野の正体を露わとしてやった。


 異界の技術に迂闊にも手を出したのか、完全に機械と筋肉の混ぜ物となった御曹司の醜態を。 そこには多少は秀麗だった姿の面影すら見出せない。


「うわあああああみるな! しね! ばけものが! しね!」

「鏡も見られないのかテメェは」


 往生際も悪く首元めがけて飛んできた触手を払いのけると、俺は口角から唾を吐き散らす外道の顔面に拳を振り上げ、殴って、殴って、殴って、殴って、殴り続けた。


 鼻が折れ、歯が折れ、皮膚が裂かれ、瞼が切れ、肉が千切れ、鮮血が飛ぶ。 しかし、この世界の者で無くなったのは伊達ではないようで、目の前のクズはまだまだ世迷いごとを吐き出す余裕があった。


「くそ……せめて……せめてあのおんなを……まて、あのおんなはどこいった?」


 眼窩からまろびでた眼球を動かし、必死に周囲を見渡す鳩野。 道連れにでもしたかったのかと思わず胸クソが悪くなったが、目の前の外道の反応は俺の予想と反し、極めて冷静だった。


「……いないな? ふふふそうかぁ、お前を囮に餌を救いにいったんだな? 見た目と裏腹に随分と悪い女だ」

「餌だと?」


 今まで焦りに焦っていたはずが、剥き出しになった眼球には極めて冷徹な意識の光が宿り、言動が理知的なものへと戻っている。 かつて金と権力に物を言わせて俺から全てを奪ったあの日のように。


 何かがおかしい。 そう考え始めた瞬間、俺の脳裏にリーリアの声が届く。


「レイジ君大丈夫? 今捕まった人達を見つけた。 最優先保護対象の人はもう回収してあるから、彼らの避難誘導が終わったらそちらに向かう」

「……っ」

「どうした? 噂をしたらお電話か?」


 突然血相を変えて黙り込んだ俺を見て、鳩野は全てを察したのか底意地の悪い笑みを浮かべる。 お前のその顔が死ぬほど見たかったと言わんばかりに。


 そして俺も悟った。 あちらが仕込んでいたセイフティに彼女は引っ掛かってしまったのだと。


「リーリア駄目だやめろ!」

「残念だが今回は俺の勝ちだな下等市民! アーハッハッハッハッハ!」


 絶望から一転しての哄笑。 それを響かせながら鳩野は自身に埋め込まれていた歪な機械を起動し、俺の目の前から文字通り消えていった。


 何時の日か見たチンピラ共が持っていた機械が起こした現象同様、ほんの一瞬だけ生まれた次元の“裂け目”に落ちて。


「くそ……畜生……!」

「おいどうした何があった? リーリア嬢の反応が大勢の確保対象と一緒に消えたとメッセ君が騒いでるぞ!」

「ちんたら説明している暇はない! さっさとここから逃げるぞ!」


 これ以上ここに滞在していたら何が起こるか分からない。 起こってしまったことを後悔するよりも今は動くのが先だと、俺は消えたリーリアの身を案じながら走り出した。

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